マーケティングに株主価値の概念を組み込む
では、日本におけるマーケティング・アカウンタビリティをどう考えるべきか。その道筋がピーター・ドイルの『Value-Based Marketing』(邦訳『価値ベースのマーケティング戦略論』)に見て取れる。
本書は、マーケティングの目的を問い直し、マーケティングの効果に対する評価方法の再定義を目的としている。ファイナンス理論に基づいて算出される企業価値を、マーケティング効果の測定指標にすべきと主張し、ファイナンスとマーケティングが相互補完関係であることが述べられている。
しかし現実には、CMOをはじめとするマーケティング専門家の存在は重要度が増している一方で、取締役会におけるマーケティング専門家の影響力は、必ずしも強くないという現状が散見される。マーケティングの重要度は増しているのに、トップ・マネジメントにおけるマーケティング専門家の影響力は弱いままというパラドックスが存在する理由はいくつか考えられる。
根本的な理由の一つは、マーケティングという分野に株主価値の概念※1が組み込まれていないからだ。マーケティング戦略の成功を判断したり、代替案を比較したりする絶対的な基準がないため、製品企画、価格設定、プロモーション、さらにはマーケティング・ミックスのあらゆる要素がなかなか受け入れられない。売り上げや市場シェアを伸ばしてこそ賢明な戦略といえる、と思い込んでいるマーケティング・マネージャーは多いが、鋭いトップ・マネジメントであれば、市場シェアを最大化する戦略が経営的にはほとんど意味をなさないことを知っている。
さらに事情をよく知るマーケティング・マネージャーならば予想利益や予想投資利益率を用いて自らの施策案を整然と説明してみせるだろう。しかし残念なことに、負のバイアスがかかるため、マーケティング投資を減らし、機会を利用しそこねることもある。現代のマーケティングには既存の戦略を評価する手法が組み込まれていないがゆえに、多くの取締役会でマーケティングが軽んじられてしまっている。つまり、マーケティングの分野には、戦略的な議論に応えるだけのフレームワークが欠けているのだ。
マーケティング戦略を企業の協議事項の中心にすえなければ、マーケティングと財務も結びつかない。トップ・マネジメントは依然として資産の取得原価のみを測定し、企業内部で構築される無形資産を考慮しない企業会計に取り組んでいる。しかし、今やブランドをはじめとするマーケティング資産は、株主価値を創造する最も重要な要素であり、その価値を示す新たな指標が求められている。
※1 株主価値とは、企業が将来どれだけのキャッシュフローを生み出すかを現在価値で評価した企業価値から、負債を差し引き、株主に帰属する価値を求めたもの。
マーケティングの価値を示す新たな指標「SVA」
では、株主をはじめステークホルダーにマーケティングの価値を示すには、どのような指標が適切なのか。その一つに、「Shareholder Value Analysis」(以下、SVA)がある。
『Value-Based Marketing』の著者であるドイルによると、資本コストを上回る投資利益率を上げてはじめて、企業の経済価値が創造されることこそがSVAの核心だという。
伝統的な会計では、短期的な利益に焦点があてられ無形資産は考慮されないため、マーケティングは軽んじられる。しかしSVAでは、今日のグローバルな競争市場における真のバリュー・ドライバーが前面に押し出される。
まずSVAを用いることで、マーケティングは経営陣の戦略策定プロセスにおいて中心的な役割を担うようになる。これにより、企業価値がどれほどマーケティング戦略に左右されるかが明確になり、マーケティングと社内の他の職能とを効果的に統合するフレームワークや共通言語も得られる。
さらにSVAはマーケティングの理論的基盤をさらに強固なものにする。従来のマーケティングを、経済的価値を最大化すべく無形資産(顧客やチャネルとのリレーションシップ、ブランドなど)の創造と管理に注力するマーケティング、すなわち価値ベースのマーケティングへと設計しなおす必要がある。
そしてSVAによって収益性の高いマーケティングへの投資が増える。伝統的な会計では、マーケティング支出を「無形資産に対する投資」ではなく「コスト」とみなし、無形資産に対する投資から生み出される長期連続的な利益を考慮に入れないため、マーケティングに十分な資金を投じない企業が少なくなかった。これに対して、SVAは将来志向のものであり、マーケティング支出の長期的な効果を明確に推測することができる。
マーケティングとは、価値ある顧客とのリレーションシップを構築し、競争優位を創造することによって、株主へのリターンを最大化しようとするマネジメント・スキルであると、ドイルは指摘している。
