100年続いたマスマーケティングが終焉へ

西口:そうですね。ネット広告の形もどんどん進化して、刈り取り型のマーケティングが広がっていきました。
有園:2004年の「日本の広告費」(※2005年2月発表)で、ネット広告費は1814億円となり、ラジオ広告費を抜きました。ちょうど先日発表された2018年の情報では、1兆7,589億円になりましたね。だから分解すると、景気後退があり、マスマーケティング以外の手段が発展してチャネルが分散化し、情報量自体も膨大になり。
西口:さらに人口減の問題もある。昔は中心的な消費者だった10~30代のテレビ視聴率が減って、その人口自体が半減しているから、その掛け算でみると確かにテレビの影響力は減ったと思いますが。ダブルパンチどころか、四重くらいのパンチですね。
有園:ご指摘のように、私もテレビCM が言われるほど効かなくなっているとは思っていないんですが、マスマーケティングは終焉を迎えた感はあります。
プラザ合意よりももっとさかのぼる1908年、アメリカで典型的な“大衆車”とされたT型フォードが発売されました。当時はテレビどころかラジオもありませんでしたが、ここから数十年にわたって「皆が買う商品」を「皆が見ているメディアで宣伝」するというマスマーケティングがスタンダードになっていったと思います。そこに一区切りがついたのが、2007年のiPhone登場のタイミングではないかと。
生活者は“マス”ではなく“リゾーム”へ

西口:なるほど、ちょうど100年ですね。確かに、T型フォードは産業組織論では重要なタイミングですよね。これによって大量生産の仕組みが確立して、ネジやバネなどの部品の製造コストが劇的に下がり、それが横展開されていろいろな機械や電子機器の製造につながって。iPhoneによっても同じことが起きていますよね、新しい技術が一気に普及して派生ビジネスが発展した。
有園:そう、そうなんです。T型フォードの話が通じる人がいて嬉しい(笑)。この2つのタイミングはとても重要で、結局、人々の生活を大きく変えたわけです。でも違いは、100年前は人々が“マス”というかたまりで捉えられたのに対して、iPhone登場以降は“マス”ではなくなっている。
今の生活者像を、私は“リゾーム”と表しているんですが、元は地下茎という意味で、中核を持たずにどんどん広がる感じが似ているなと思っていて。
西口:たとえばかつてのテレビのような、情報発信の起点を持たないイメージですね。
有園:そうです、アメーバというのも近いかもしれないですが、生活者が緩やかにつながりながら動いていて、そのネットワークを情報が縦横無尽に拡散していく。
つまり、マスマーケティングではなく、リゾームマーケティングの時代になっていると考えているんです。そうすると、そのリゾームの中にテレビも位置づけられれば効くし、「“マス”向け→テレビ」と設計すると効かない、ということだと思います。