『たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング』の出版記念セミナーは、著者の西口一希さんが務めるスマートニュースのセミナールームにて開催となった。前半の講演では本書のエッセンスが語られ、その手法を活かしたスマートニュースの事例が紹介された。
後半のクロストークではzonariの代表執行役社長で電通デジタルの客員エグゼクティブコンサルタントを務める有園雄一さんが登場。本書を読んで抱いた質問が投げかけられ、西口さんがそれに答えるという形で進行。表では言えない話はイベントの醍醐味ではあるが、実際にここでは書けない話が頻出したため、こちらについてはポイントを絞ってお伝えしたい。
まず顧客層の全体像を捉える
西口さんはP&Gに勤めたあと、ロート製薬、ロクシタン、そしてスマートニュースへと転職し、みずからも起業してマーケターとしてのキャリアを歩んできた。その中で担当したブランドは、コンサルティングも含めて100以上。必ずしも成功ばかりではなかったというが、そうした試行錯誤から本書の核となる「N1分析」が編み出された。N1分析は1人の顧客を深く知り、そこからアイデアを掴んで実践に落とし込むという手法。これはロート製薬時代の経験で培われた部分が大きいという。
西口さんは最初、マーケティングに関する2つの懸念を示した。1つは、手法論が先行しているのではないかということ。テクノロジーの発展による次々と新しいツールやサービスが登場するため、その把握や使いこなしに時間を取られ、どうしても目的や戦略よりも個別の手法に意識が向きがちになってしまうのだ。
もう1つは、組織の分断について。マーケティングにおいてはマスとデジタル、販売促進とブランディング、あるいは短期投資と長期投資に対立があるとされる。いずれも双方は敵対するような考え方ではないが、異なる部署が担当することも多く、それが対立構造の原因になることもある。
こうした課題はなぜ生じるのか。それがつまり、マーケティングにおける最大の課題だ。西口さんは、顧客不在がすべての原因だと言う。マーケティングも経営も顧客不在で、それゆえに手法論が先行し、組織の分断が起きていると。だからこそ、西口さんは本書で顧客起点のフレームワークを提示したのである。
顧客起点というからには顧客のことを知らなければならない。では、どういう人について知るべきなのだろうか。西口さんは多くの人が顧客をロイヤル顧客、一般顧客、離反顧客という、下図の顧客ピラミッド(5セグマップ)で定義する上位3層としてしか認識できていないという。
この図は購買頻度をもとにした顧客層の全体像を表している。下位2層の認知・未購買顧客と未認知顧客を知ることは非常に重要だ。なぜなら、たとえばある年に離反顧客がたまたま1度だけ商品を買う、一般顧客がたまたま多く商品を買うといったことが起きて売上や顧客比率に変動があった場合、それが翌年の売上にも反映するかどうかはわからない。むしろ、また離反顧客や一般顧客に戻ってしまうかもしれない。下位2層を認識できていないと、この現象を説明できないのだ。
また、上位3層はイノベーター理論で言うところのイノベーターやアーリーアダプターが大半で、この層に支持されているだけではキャズムを超えられていない場合がある。立ち上がって5年くらいのブランドだと、その傾向は顕著だという。事業の成長にとってアーリーマジョリティやレイトマジョリティの存在は言うまでもなく欠かせない。多くのブランドがこの層を確保するまでに投資を諦めてしまうと西口さんは言う。
この顧客ピラミッドが認識できれば、そこには5つの戦略があることが見えてくる。ロイヤル顧客のスーパーロイヤル顧客化、一般顧客のロイヤル顧客化、離反顧客の復帰、認知・未購買顧客の一般顧客化、未認知顧客の顧客化だ。ブランドを成長させるには、一般顧客を増やしながらロイヤル顧客を増やさなければならない。
スマートニュースは2017年時点で認知・未購買顧客と未認知顧客が圧倒的に多かったが、戦略や施策はどうしても上位3層向けになってしまいがちだったそうだ。そのため、ロイヤル顧客への施策が多くなり、情報やコンテンツが飽和してかえって彼らが離反してしまいかねなかった。なので、まずは下位2層を認識することから始まったという。
5つの顧客層をブランド選好にもとづいて9つに分解
ただし、購買頻度だけでは顧客を知るには不十分だ。西口さんはこれに9セグマップの考え方を導入する。これは、顧客ピラミッドで5つのセグメントに分類した顧客をブランド選好にもとづいて9つのセグメントに分解する手法だ。
ブランド選好は「次回も同じブランドを買いたいか」という質問によって把握でき、肯定と否定によってブランドに対して積極的か消極的かを判定する。これを顧客ピラミッドの上位4層で調査し、8つのセグメントを作る。それに未認知顧客を足して、9セグマップが完成する。
実は、そのブランドが大好きなロイヤル顧客でも、かなりの人たちが「次回は異なるブランドを買う」と答えるそうだ。ここにマーケティングやブランディングの本質的な課題がある。好きかどうかよりも、次も買いたいと思ってくれる積極ロイヤル顧客を増やさなければならない。
9セグマップにもとづくと、どんなアイデアが販売促進において効果的か(9セグマップにおいて左から右に遷移)、またブランディングにおいて効果的か(下から上への遷移)を検証することができる。顧客を右上に遷移させることを意識する必要がある。
この9つの顧客層が見えたところで、各層においてどんな施策を行うべきかを検討する。そのために、各層に存在する1人の顧客に焦点を当て、徹底的に分析する。平均値でも架空でもない、具体的な1人を分析するこの手法をN1分析と呼ぶ。
たとえば、積極一般顧客に当てはまる人に対してN1分析を行うと、消極一般顧客や積極離反顧客を積極一般顧客に育てるアイデアがもらえるかもしれない。アイデアが得られれば、それを商品の便益と組み合わせてコンセプトを作り、コンセプトテストを行う。ターゲット層の人たちがどれくらい商品を買ってみたくなるかを定量化するのだ。少数にしか当てはまらないニッチなアイデアなのか、それともより多くの人の心を動かせる強いアイデアなのかが判別できるだろう。
9セグマップで顧客層を理解する最大の利点は、誰に何を尋ねればよいアイデアを見つけられるかの検討ができることだ。もし適当に捕まえた顧客に商品のいいところを訊いたとしても、そのアイデアがどんなターゲットに有効なのかはわからない。下手をすれば、ターゲットがいないメディアでそのアイデアをもとにした広告を打ち続けてしまうということもありうるのだ。
スマートニュースが取り組んだ施策
西口さんはN1分析でマーケティングを推進した具体的な事例として、スマートニュースで取り組んだ施策について紹介。同社では社名と同じニュースアプリ「スマートニュース」を展開しているが、そのCPI(Cost Per Install)が2016年頃に天井を迎え、成長が鈍化していた。これをスケールさせるにはデジタル施策では限界があったものの、テレビCMを利用すべきか判断できなかったという。
そのため、まずどのセグメントに投資するかを見極めようと、ブランドイメージの調査から開始。しかし、思っていた以上に強いブランドイメージを持たれていなかったことがわかったそうだ。知っている人は利用頻度が高いが、そもそも知らない人が多かったという。
5セグマップで顧客層を分解してみると、認知・未購買(未使用)顧客が競合に比べて少なく、やはり未認知顧客が多いことが判明。だが、認知してくれていない人に対するオンライン広告は効果が低い。ともすれば、CPIにおいて認知してくれている人と比べて2倍近いコストが必要となってしまう。
一方で、ロイヤルユーザー自身はスマートニュースに対して独自性を感じており、競合と棲み分けができていたことも明らかになった。ところが、会社としてそのことに気づけておらず、競合が強みを持つ領域に施策を仕掛けて失敗しているケースが多く見られた。そこで、各セグメントにおいてN1起点でアイデアを創出。定量的なコンセプトテストを行い、どの層がどんな反応をするのかを検証した。
5セグマップの上位2層、一般顧客とロイヤル顧客がいい反応をするアイデアはロイヤリティの拡充に効果がある。下位3層、離反顧客、認知・未購買顧客、未認知顧客が反応するアイデアは新規獲得に効果がある。この理解から、「知られていない」という課題を解決するために有効なコンセプトが見えてきた。それは、テレビCMを起点にデジタル広告を組み合わせた統合マーケティングだった。
スマートニュースでは「朝1分のニュースが人生を変える」というメッセージを前面に出し、複数のテレビCMを制作。クリエイティブや放映日時ごとの効果を検証しながら最も効率的な選択肢を探し、「英語ニュースが原文で読める」という強いアイデアを見極めて、投資対効果を高めていった。
結果として、テレビCMは認知向上と新規獲得において非常に良好な成績を上げた。オンライン広告との相乗効果も上々で、統合マーケティングという方向性は成功を収めた、と西口さんは語る。