データに表れないけれども、重要な「見えないもの」とは?
データだけではわからない顧客の感情を無視すると何が起きるのか、どのように「見えないものを視る」のか。「見えないものを視る~データの可能性と限界、その先の新たな世界~」というテーマのもと繰り広げられたパネルディスカッションのモデレータを務めるLIFULLの菅野氏は、登壇者3名に「見えないもの」をどう定義しているかを問いかけた。
JX通信社の松本氏は、「概念として存在しているが、定量・定性的なデータとしては表せないもの」と語った。見えないものを定義する上で注意するべきなのは、「見えないもの」を自分の都合の良いように視ようとしていないか、という点だ。
データからユーザーインサイトを推測する際、無意識に自分自身の希望や個人のバイアスを盛り込んでしまってはいないだろうか。「マーケターの希望的観測はそもそも存在してもいない。ゆえに、見えないものには含まれない」と松本氏は指摘した。
一方、日本IBMの千葉氏は見えないものを「ユーザーの心理、無意識の行動」と定義づけた。検索してたどり着いたページの読み込みが遅く、待ちきれずに離脱した、ECサイトを回遊して、ヘッダーに表示されているロゴからトップページに戻ろうとしたのに、クリックしても反応しなくてイラッとした、など、無意識のうちに取る行動の裏側にある感情が「見えないもの」だという。すべてを数字の増減で語りがちなデジタルマーケターこそ意識するべき部分だと千葉氏は主張する。
時勢的にも、見えないものと向き合わざるを得ない状況になってきている。GDPRやCookie規制によりデータ取得が制限されつつある現代、「見えないものを視る努力を怠るとマーケティングが立ちいかなくなるのではないか」とモデレータの菅野氏も指摘。
そしてオプトの中川氏も、見えないものとはつまり「顧客の気持ち」と、千葉氏と近い考えを示した。広告をクリックする、コンバージョンするなどの行動履歴はデータで取得できる。ただ、その行動の要因となった「気持ち」は定量的に計測することは難しい。コンバージョン率や離脱率などの定量データはあくまで氷山の一角に過ぎない。それらの行動の深層部にある感情を読み取ろうとしなければ、表層的なマーケティングに終始してしまうわけだ。