ビジネスに役立つ行動経済学
行動経済学を扱えるようになると、ユーザーの立場に立って、クリエイティブな企画やアイデアが考えられるようになります。デザイナーにとっても、企画や開発に携わる人にとっても、色やカタチだけではなく、広い領域でユーザーの行動につながるデザインの提案ができるようになります。ビジネスにおいて、行動経済学には次の3つの利点があります。
1. カンペキ像を崩せる
仕事では、何事でもキッチリしたことを求められがちです。新しいサービスの企画を考えるときでも、多くの人は、数値的根拠に基づいて提案の理由を説明できるようにしようと考えがちです。そして、企画の内容に対しても、つい理想的なユーザー像を設定したり、隙のないビジネスモデルを組み立ててしまいがちです。
私はこれまで、さまざまな会社の企画に携わってきましたが、特に勉強が得意で真面目な人ほど、このように考えてしまう傾向が強いと感じています。ですが、実際にサービスを使うユーザーは理想とは違って、もっといい加減だったり、感覚的だったりするものです。そういった「カンペキ」を求めがちな人にとって、行動経済学は実際のユーザーに対する偏見を取り除き、柔軟な解決策を考えるための視点を与えてくれます。
2. 理論を実践に応用できる
私が学校でデザインを学んでいたとき、心理学は人気教科の1つでした。長さが同じに見えない錯視効果や、メタファーの考え方などは、とても面白かったのですが、これを具体的なデザインに適用するのは、なかなか難しいものです。ビジュアルデザインのちょっとした工夫の範囲にとどまり、授業で感動したときのことを、実践で十分に活かすことができていません。デザイナーでこのように感じている人は、少なくないはずです。
行動経済学は心理学よりも実践的で、消費者であるユーザーを起点にしています。そのため、デザインで解決策を考えるときや商品やサービスを企画するときにも、理論を適用しやすいという特徴があります。加えて、行動経済学は経済学のカテゴリに位置付けられるので、購入率や売り上げに直結する研究も多く発表されています。抽象的な理解にとどまらず、実際のビジネスで実践できることが、行動経済学の魅力です。
3. 感覚的なことを論理的に伝えられる
家族や友人や恋人との関係であれば、あなたは常に相手のことを考えながら、喜んでもらうための方法を試行錯誤するはずです。ところが、ビジネスではこのような観点が抜けてしまいがちです。なぜなら、対象者となるユーザーは大勢いるので、考えが偏らないように数字などを用いて客観的に伝える必要があるからです。対して、数字に表れない感覚的な情報は、ビジネスシーンではなかなか論理的には伝えられません。
このときに、行動経済学の理論が裏付けとしてあると、一見変だと思われる内容や数字では示しにくい提案内容でも、根拠を持って説明することができます。デザイナーなど新しい企画を考えるのが好きな人は、ビジネスの場面でイマイチ論理的ではないと思われることが多くあります。このようなときに行動経済学の裏付けの説明を使わない手はありません。
人と機械の違い
商品やサービスを使う対象者は人(ユーザー)です。機械(マシーン)ではありません。これはとても大切なことです。まず、この違いを理解することが、行動経済学の第一歩です。
これまでの経済学は、まるで人を機械のように見ていました。ここでの機械とは、人工知能や学習機能を持たない、20世紀の計算機や産業ロボットなどを思い浮かべてください。機械は情報を受け取ると、プログラムされた処理に基づいて、いつでも同じ結果を出すことができます。一方、行動経済学は、人は人であるという前提に立っています。人は情報を受け取っても、そのときの気分だったり周囲の環境に影響を受けて、異なる反応をしてしまいます。
これまでの経済学は、とても合理的な考え方でした。人は機械のように、いつも冷静でベストな判断ができることを前提としていて、感情は考慮されていません。対して行動経済学は、人は環境や感情などに影響を受ける、ということを前提としています。
これを、ビジネスの場面に置き換えて考えてみましょう。商品やサービスを提供する会社は、つい完璧なユーザー像を想像しがちです。「機能はたくさんあった方が、ユーザーにとっていいに違いない」「論理的に設計しているから、ユーザーは間違えるはずがない」と、このような思い込みをしてしまいます。その結果、ボタンが多すぎて使いこなせない商品や、難しすぎてエラーが続出する申請書類や操作画面などが、世の中には数多くあふれています。
こういった問題はすべて、ユーザーである人を機械のように捉えていることが原因です。ユーザーは、商品がキッチリ並んでいるお店よりも、意外なものが隣に並んであったり、迷路のようになっているお店の方が魅力的に感じることがあります。ときには合理的ではない方が、ユーザーは嬉しいと感じる場合もあります。
行動経済学の有名な例を、1つ挙げてみましょう。「プロスペクト理論」は、人が損得をどのように感じるかを明らかにした研究です。確率50%で1000円をもらえるか1000円を失うか、という条件があったとします。合理的に考えればメリットとデメリットは同じなのに、実際には人は損することの方をより強く意識してしまいます。なので、1000円を失うリスクがあるなら条件を受けない方がいい、と考えるようになります。このような、機械とは違った人ならではの行動は数多く研究されています。
行動経済学は、ユーザーである人を起点としています。実際のユーザーをよく観察して、使い方や気持ちを想像できれば、受け入れられる商品やサービスをつくることができるはずです。デザインの取り組みでも、最初にユーザーはどんな人かを考えて、そこから商品やサービスを思い描きます。どんなにカッコよくても、ユーザーが使いにくいと感じるなら、それはよいデザインとはいえません。このように、行動経済学とデザインは、機械のような相手ではなく感情を持ったユーザーの視点に立って考える、という共通点があります。
8つのバイアス
行動経済学は全体像を捉えにくいため、難しそうな印象を受けます。個別の理論は数多くの研究発表がされています。しかし、それぞれの理論が分類化されたり、関係性がまとまったような本は、あまり見られません。
基本的な整理としては、ダニエル・カーネマンが提唱した、システム1とシステム2、という分類があります。行動経済学の名著『ファスト&スロー』では、システム1を速い思考=直感、システム2をじっくり考える思考=熟慮と分けて考えられています。行動経済学の理論には、このシステム1の速い思考に当てはまるものが多く含まれています。ですが、システム1の中でも、それぞれの理論がどのように関係しているかは、学者ではない私たちにはちょっとわかりにくいです。
そこで、本書では「人は何に影響を受けているのか?」という問いを立てて、行動経済学の理論を分類してみました。この分類方法に明確な定義や根拠はないのですが、ユーザーの立場から考えて、ビジネスに活用できることを目的として考えた結果、8種類のバイアスに整理できました。
- バイアス1. 人は相手を気にする
- バイアス2. 人は周囲に左右される
- バイアス3. 人は時間で認識が変わる
- バイアス4. 人は距離を意識する
- バイアス5. 人は条件で選択を変える
- バイアス6. 人は枠組みで理解する
- バイアス7. 人は気分で反応する
- バイアス8. 人は決断にとらわれる
それぞれは2章で詳しく解説しますが、ここでは8種類それぞれの位置付けを、大きく2つの要因に分けて紹介します。
バイアス1-4は環境要因で、社会や暮らしの中での影響に関係しています。機械であれば、環境がどうであれ空気を読むことはしませんが、人はそうはいきません。目の前に相手がいたり、周囲に人がいたり、時間や空間の距離によっても、認知の仕方や判断は変わります。
バイアス5-8は心理要因で、情報のインプットにフィルターがかかっている状態です。人は機械よりも多くの情報を受け取ってしまうため、判断にムラがあります。考えの前提となる条件があったり、考える枠組みが設定されていたり、そのときの気分や過去の決断にも影響を受けます。
このように全体像を捉えると、行動経済学のすべての理論を知っていなくても、ユーザーが何に影響を受けているかを推察することができるようになります。もしかすると、理論としてまだ確立されていなくても、新しいバイアスの要因を見つけることができるかもしれません。
ビジネスでバイアスを見つけるためには、何よりもまず、ユーザーを観察することから始めましょう。漠然とした観察では気付きにくいことも、観点を持っていると多くの発見ができるはずです。8つの分類は言い換えると、ユーザーを観察するときのチェック項目ともいえます。
ピア効果(一緒だと頑張れる)
要約
- 相手の適度なプレッシャーがあるとパフォーマンスが上がる
- 競う相手とは程よい力量でフラットな関係であること
- 競いつつも意識は相手ではなく自身に向けること
行動の特徴
なぜ、100m走は1人で走らないのでしょうか。その理由は、誰かと一緒だと頑張り合って、パフォーマンスが上がるからです。このような、隣に誰かいると頑張れる現象を「ピア効果」といいます。ペア(Pair)ではなくピア(Peer)で、年齢・地位・能力などが同じ同僚や仲間という意味です。ピア効果は、仲間・同僚・ライバルがお互いの活動に影響を受けて負けられないという意識がはたらき、その結果としてパフォーマンスの向上につながります。
1898年に行われた実験では、自転車競技のタイムが単独で走ったときよりも、他の選手と競ったときの方が、速くなることを発見しました。その後、実験を重ねてピア効果が証明されるようになりました。ピア効果は競争していなかったとしても、人に見られているだけでも熱心に取り組む意識がはたらくので、よりよい結果につながります。
スーパーの店員を観察した例では、同僚のレジ打ちの生産性が上昇すると、他の従業員の生産性も少し上昇することがわかりました。ただし、相手に見られているときは生産性が高まるけど、自分がただ見ているだけで相手に見られていない場合には、生産性は変わりませんでした。
競泳選手を観察した例では、相手が自分よりも優れているかによって、選手のタイムの結果が異なる傾向が見られました。自分より遅い選手が隣にいるときは速く泳げるけど、自分よりも明らかに速い選手がいるときは、むしろ1人のときよりも遅くなりました。そして、前が見えにくい背泳ぎでは、ピア効果は現れませんでした。また、優秀な選手がチームに移籍してくると、元からいた選手たちにはよい刺激となりタイムが向上する傾向も見られました。
つまりピア効果は、少しでも手を抜いたら負けるけど頑張れば勝てるかもしれない、といった適度なプレッシャーと、本人にちょうどよい力量の関係が欠かせません。社会にはこの適度なプレッシャーと程よい難易度を活用した例が、いろいろな場面で見られます。
- 100m走、水泳、競馬などのスポーツ競技
- ジャズの演奏などで見られるジャムセッション
- 成績順に席が決まる学習塾
- 職場の同僚(同期のライバルを勝手に意識する)
- 自動車など同業種の企業間競争
- ペアプログラミング(2人1組で仕事する)
このように、程よいライバル(頑張れば超えられそうな存在)がいる関係は、成長や競争を促進させる作用があります。ただし、過度なライバル意識は相手への攻撃に関心が向き、自分の成長とは関係ない施策をしがちになります。
例えば、ライバルと競いながら成長するスポーツ選手の場合にはピア効果がはたらきますが、ライバルの弱みを見つけて出世で差をつけようとする会社員の場合には、自分の成長には関心が向かっていないので、ピア効果がはたらいていません。ライバルがいても、意識は常に自分に向けることが大事だとわかります。勝ち負けだけの指標ではなく、自身の成長や向上が感じられる指標を提供することを、忘れないように心がけましょう。
活用方法
活用1. 知らない人とつながる
2015年に出たアプリ『みんチャレ』は、同じ目的を持った5人1組がつながり、活動を共有し合うことで、1人だと続かない三日坊主をなくすアプリです。コンセプトだけではなく細かな施策も、ピア効果をうながす仕掛けがデザインされています。例えば、2人ではなく5人にすることで誰かしらの反応がある、知らない人だから馴れ合いや甘える環境になりにくい、など適度なプレッシャーを感じることができます。
活用2. 自分と似た人とつながる
オンライン言語学習サービスの『Duolingo』は、同じレベルのユーザー同士がポイントを競い合う仕組みがあります。1人では続かないけど、自分よりもすごい人が一緒だと、むしろくじけてしまうことになりかねません。似た人と自分を比較しながら取り組めることで「負けないぞ」という、成長への意識が高まります。程よいレベルで競わせることは、バイアス7で紹介するゲーミフィケーションとも強い関係性があります。
活用3. 自分のコピーを使う
任天堂のゲームの『マリオカート』では、以前に自分が走った記録と競い合う「ゴースト」という機能があります。リアルの場で自分自身と競うことは難しいですが、デジタルを活用することで、自分を目の前に登場させて、ライバル視することができます。他にも、自身がこれまでに取り組んだスポーツや勉強のテストの記録や成績があれば、それを越えようとする意識がはたらきます。自分と競えば言い訳はできなくなるし、自分自身のクセを知ることにもなるので、いいことがたくさんあります。ライバルは自分自身です。