クラウドコンピューティング
電気の利用が始まったばかりの昔は、自家発電が中心だった。それが効率を高める目的から、発電は電力会社が一手に引き受けるようになった。同様のことがコンピューティングの世界にも起こるといわれる。自社でサーバーを管理するのではなく、専門業者のデータセンターを利用し、使った分だけ料金を払う。それが最近話題のクラウドコンピューティングと呼ばれる考え方だ。データベースや回線の管理、メンテナンスなどは、すべて雲の中のこと。分からなくてもビジネスに支障はない、という意味でのクラウド(雲)である。
そのクラウドコンピューティング事業に参入し、21世紀のコンピューター産業における「電力会社」になろうとしているのが、Amazon.comであり、googleである。とはいうものの電力会社は何社も要らない。両社はどう戦っていくのだろうか。戦略にどのような違いがあるのだろうか。また両社の戦いはIT業界全体にどのような影響を与えるのだろうか。
AmazonはGoogleとどう戦うのか
IVS初日の最初のセッションは、そうした話題のクラウドコンピューティングがテーマ。Amazon Web Services社のTechnology EvangelistのJinesh Varia氏が、クラウドコンピューティング事業について講演を行った。
AmazonはGoogleとどう戦うのか。結論から言うと、講演の中でこのことに対する言及はなかった。講演の中身は、これまでに発表済みのものがほとんど。直接の担当者からサービスの全体像を整理して聞けたという価値はあったが、クラウドコンピューティングが今後ネット業界の勢力図をどのように塗り替えていくのかを示す手がかりとなるような発言は一切なかった。
また、講演後に会場から「googleのクラウドコンピューティングとはどう違うのか」という質問が出たが、それに対しては「他社のことはよくしらない」と回答。演題から降りてきたところをつかまえて取材を申し込むと「USの広報を通してくれ」とかわされてしまった。競合相手に関する質問をはぐらかす場合はライバル意識を持っていることが多い、というのがわたしのこれまでの経験則だ。しかし本当のところは分からない。
「戦略は顧客の要望に応えること」
とはいうものの、海外からの参加者たちと話していると、googleやAmazonの今後の方向性についてはだいたいの予測がつく。最近の米国のネット企業の多くは、顧客の要望に応えることを「戦略」にしている。IVSに参加したメッセンジャーサービスの米meeboのSeth Sternberg氏は、「サービスを開始したときは成功するのかどうか、まったく分からなかった」と言う。ただインターネット普及以前と違って、今はネットを通じて顧客と対話できる。Sternberg氏は、ユーザーに対してmeeboのサービスのどこが好きなのか、どこが嫌いなのか、どのように改良すべきなのか、を聞いて回った。そして多くのユーザーの要望にしたがって新機能を次々と開発していったところ、利用者が急増していったと言う。
3月に取材したウェブ解析大手Omnitureの米国ソルトレークでのOmniture Summitでも、最終セッションは、3000人が入る大きな会場でユーザーの声を聞くというものだった。今後開発を希望する新機能のアイデアがあるユーザーには挙手の上、発表してもらう。その案に賛同する人が何人いるか、これも挙手で調べる、というものだ。また単独インタビューでOmnitureの CEOのJosh James氏に今後の戦略をたずねたところ「戦略はない。ただ顧客の要望に応えていくだけ」と返されてしまった。AmazonのVaria氏も「戦略はない。ただ顧客の要望に応えていくことだけだ」と繰り返した。
Amazonにはレコメンデーションエンジンを
最近のネット企業の戦略が「顧客の要望に応えること」であるならば、今後Amazon、googleのクラウドコンピューティングのサービスがどのようなものになるのかを予測するのは、それほど大変ではない。
自分がユーザーであるならば、どのようなサービスを期待するかを考えればいいだけだからだ。サーバーや回線の運営、管理の部分など、他社との差別化に無関係なIT業務の力技な部分をすべてアウトソースするとした場合、どの業者に任せるかの選択条件は、コストや信頼度などになるだろう。そうした条件だけなら、Amazonであれ、googleであれ、salesforce.comであれ、どこでもいい。条件のいいところにアウトソースすればいいだけだ。
しかしAmazonに対してはAmazonならではの要望がある、とすればそれはなんなのだろう。googleならではの要望があるとすれば、それはなんなのだろう。
もし、わたしがネット企業のCTOであるならば、基本的な力技な部分であるクラウドコンピューティングだけではなく、Amazonが得意する機能もサービスメニューに追加することを要望するだろう。Amazonが得意とする技術といえば、例えばレコメンデーションエンジンがある。「この本を買った人は、こんな本も買っています」というようなお勧め機能だ。
多くのユーザーが、この機能をクラウドコンピューティングのサービスのメニューに追加することを望めば、Amazonは顧客の要望に沿って追加するだろう。同様にgoogleには検索関係のサービスメニューを期待するだろうし、salesforce.comにはCRM関係のサービスメニューを期待するだろう。そしてgoogleやsalesforce.comはそうした期待に応えるだろう。
ということは、根拠の乏しい現状で将来を予測することが許されるのであれば、将来的にECサイトは Amazonのクラウドコンピューティングを、BtoC事業者はgoogleを、BtoB事業者はsalesforce.comを利用するようになるのではなかろうか。これが可能性あるシナリオの1つである。
ネットベンチャーに理想的な時代の到来
そうなった場合、IT業界はどのような影響を受けるのだろうか。まずハードウェアメーカーの交渉力は急激に弱まるだろう。交渉相手が2、3社しかいないのであれば、どうしても交渉相手の方が有利になる。もしクラウドコンピューティング事業者の力が強くなり過ぎた場合は、政府の介入もあるかもしれない。電力会社同様に公益事業として規制の対象になるかもしれない。
もちろんすぐにそうなるというわけではない。欧米のIVS参加者と話していても、欧米企業でさえ、ITシステムの大部分をアウトソースすることに抵抗のある企業が多いという。Amazonのクラウドコンピューティング事業はまだ大きな収益を上げるまでには至っていないという米国での報道もある。とはいってもクラウドコンピューティングが今後主流になる、という見方が支配的であることだけは間違いない。
一方で、ネットベンチャーはシステム運営の力わざな部分のことを心配しなくていいわけだから、少ないリソースでも起業が可能になる。アイデアとやる気だけでビジネスが可能になるわけだ。AmazonのVaria氏も「ネットベンチャーにとって理想的な状況になってきた」と語っている。