世代論が語ることができる65歳以上~「これからシニア」は多様性
現65歳以上については、上から団塊の世代、しらけ世代、DC洗礼世代などと世代論がよく語られている。世界の他の国や地域でも世代論はあるものの、人種や言語、居住地域や職業、収入などのほうが分類しやすくかつ有効であるので、世界的に見て我が国は世代論が通用しやすい特殊性を持っている。
特に現65歳以上については、所得格差も大きくなく、就職、結婚、出産、子育て、子どもの独立などライフステージの変化を同じように経験してきたので、似たような価値観が形成されやすかったということがある。このため「塊」として見ることができ、世の中に多くある世代論が通用した人たちである。
一方で64歳以下の人たちはどうだろうか。微細な世代論が語られていたり、あるいは乱立するようになったりした最初の世代である。所得格差も顕著になり、さらにライフステージの多様化、人の趣味嗜好や価値観も様々になっているので、納得度の高い共通した特徴でまとめにくい。
たとえばバブル世代について、「消費行動に旺盛な人たち」と見る向きは多いが、そうやって一括りにしてしまっていいのだろうか。実際は「バブル」を謳歌した人も恩恵をまったく受けなかった人もいるだろう。男女雇用均等法が施行された最初の世代だったため、総合職として採用された女性たちは、バブルで浮かれる暇もないまま、血のにじむような努力をして仕事に取り組んだであろう。男性の未婚率も進んだ世代であり、「世帯」という考え方にも変化が生じてきた。
その意味では、「多様性の時代」を最初に経験してきた人たちである。「これからシニア」については従来概念を捨て新たに見ていく必要がある。
「働く時代」におけるリスキリングの必要性
65歳以上シニアについては終身雇用が主流であった。クルマのキャッチコピーである「いつかはクラウン」が響いた世代であり、頑張って働けば肩書というステータスが得られ、そのあとは安泰な老後というものが想像できた世代である。
さて、現在はどうか。2021年の改正では「70歳までの就労機会の確保」が努力義務として新設された。健康寿命について、令和元(2019)年のデータによると男性は72.68歳で女性は75.38歳であるから、ほぼ健康寿命までは働くということになる。一方で老後3000万円問題がインパクトをもって捉えられたのは、不確実な時代において「安泰な老後はない」とどこかで思っていたことが決定づけられたからであろう。
さて、60歳を超えて再雇用となって会社で働くとき、どんなことが起こってくるだろう。若手の育成や専門性が必要とされるのは想像に難くない。ジェネレーションギャップを持たず(持たせず)、柔軟な考え方で対応できるかどうかや、デジタル対応能力や情報処理能力は必須となってくる。
また専門性については60歳を超えてから習得できるかというとなかなか難しく、60歳以前にそれを意識した働き方をしなくてはいけない。すでに日本型雇用システムは変容しているので、専門性を持った若手がいるかもしれないから、自分の独自性を身につけておくことは必須である。
再雇用という選択肢を取らない場合はどうか。現状のシニアに関して、専門職あるいは専門性を持たない人の場合、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)と呼ばれる職の募集が多く、それに就く人もいるだろう。しかしながらそこにもデジタルやAIといった波が押し寄せているので、少なくなってくるかもしれない。デジタルやAIを操作管理できる人や、あるいはデジタル社会においてそれでも人の手が必要な仕事に就ける人は働き続けられるかもしれないが、なかなか厳しくなってくる。
会社として、高齢者が働き続けられる環境を整えていくと同時に、リスキリングに関するサービスは今後必要不可欠となってくるであろう。