星野代表インタビューの背景と目的
田中洋(以下、田中):本日は2023年7月31日に開業予定の「OMO3浅草 by 星野リゾート」にお邪魔しています。星野代表に前回お会いしたのは2020年の夏で、御社東京オフィスでお伺いしたお話がとても印象的でした。弟さんでいらっしゃる星野究道専務も一緒にお話しでき、興味深い収穫があったのです。
その時伺ったのは、星野リゾートのスタート時のお話でした。現在、リゾナーレ八ヶ岳と呼ばれている施設は、星野リゾートが最初に運営を引き受けて黒字転換に成功した案件で、いわば現在の星野リゾートの原点のひとつとも言えます。私は「なぜリゾナーレの運営を引き受けることになったのか?」という質問をしました。
その時の話を私の記憶で復元しますと、当初は星野究道専務がリゾナーレ再建の話を、星野代表のところへ持ってこられたとのこと。お兄様である星野代表は、実は最初はあまり積極的でなかったということでした。それは、当時まだ他社の施設を引き受けるだけの用意がなかった、ということだったように思います。
星野代表は世間一般的には、観光業界に革命をもたらした革新的かつアグレッシブなイメージがあると思います。それはもちろん間違いではないのですが、この会話で得た私の発見は、一方ではものすごく慎重な側面をお持ちだということです。星野代表の慎重な側面は、これまでの代表の言動からも伺えます。たとえば、コロナ禍に星野リゾートの「倒産確率」を発表されたこともそうです。また、リートに持分を全部移した時、とても安心したとおっしゃっていたことも覚えています。
前置きが長くなってしまいましたが、本日私がこのインタビューで知りたいことは、「ブランドが変わる時、どのような意思決定がなされるのだろうか」ということです。今お話しましたように、星野代表はアグレッシブな面と慎重な面とを両方備えていらっしゃると思うのですが、経営の変曲点に立った時、どういう考え方で決断をされていますか?
始まりは、ロジカル<感情的な意思決定だった
星野代表(以下、星野):リゾナーレ八ヶ岳の話を正確に言いますと、当初、確かに私は施設の運営を引き受けることに反対しました。専務は「施設の運営に成功したらファンドの資金が回収される。そしたら、私たちに対するファンドの信頼が高まるはずだ。だから引き受けるべきだ」と話していました。
ただ、当時、星野温泉旅館という古い建物を改築するプロジェクトが既に進んでいました。1991年に代表に就任し、2005年に星のや軽井沢を開業するというスケジュールを立て、そのために会社の財務体力を整えていた。だから、2001年に突如リゾナーレ八ヶ岳の話が入ってきた時は「私が10年間かけてやってきた計画が崩れかねない」と思ったのです。これが、私がリゾナーレ八ヶ岳の運営引き受けに反対した大きな理由です。
田中:そうだったのですね。けれども、結局リゾナーレ八ヶ岳の運営を引き受けることになった。
星野:ええ。先方から「とにかく見に来てほしい」と言われまして、確かに見もしないで断るのも何じゃないですか(笑)。せっかく私たちを頼って下さっているわけですから、一度施設を見に行ってから断ろうとなったのです。
実際に施設を見てみると、やはり断りたくなりました(笑)。施設は巨大で、大変そうですし、リスクがあるな、と。
ところが、想定外なことに、スタッフ全員が集められている場に通されてしまったんですね。その時、スタッフからものすごい熱気を感じまして。「星野リゾートと一緒にやりたいんだ!」という熱い思いが伝わってきました。
当時我々は、「リゾート運営の達人」になるというビジョンを掲げていたのですが、「こんなに熱意のある方々から頼られているのに、今行かずして、このビジョンにたどり着ける時が果たして来るだろうか?」という議論になったわけです。これが、リゾナーレ八ヶ岳の運営を引き受けた本当のきっかけですね。
ですから、ロジカルなビジネス思考ではなく、感情的な右脳思考で決めたということになるかもしれません。ちなみに、あの時に出会ったスタッフの多くは、現在も星野リゾートのキーパーソンとして活躍しています。