時には「無理やり」起こすイノベーションがあっても面白い
田中:今回は、内田先生がイノベーション研究会の皆さんとお書きになった書籍『イノベーションの競争戦略: 優れたイノベーターは0→1か? 横取りか?』を取り上げさせていただき色々な話を伺っています。
前編では、イノベーションの定義と要件を学ばせていただきました。「偉大な発明をしても、それが顧客の行動を変えるところまでいかなければイノベーションではない」というのが核論でしたが、インベンション(発明)を人々の行動変容に繋げてく時、マーケティングのスマートなやり方はあるのでしょうか?
内田:これは書籍でしっかり書けなかったのですが、元々世の中に定着しているものを変えようとするのには、かなりの努力と時間が必要になります。たとえば、お尻は紙で拭くものだという常識があったところからウォシュレットを普及させるために、TOTOさんは相当な年月をかけられている。このように既にあるものを変えようとする場合には、いくらスペックが優れていても、それなりの工夫や仕掛けがないと、世の中に自然に定着していくことはありません。
ですから、マーケティング的な観点で言うと、技術だけでなく、社会構造の変化や消費者の心理をうまく捉えて、そこに乗っかるという考え方が一つあると思います。しかし、それだけではイノベーションのスピードはスローになると思われるので、時には無理やり進めていく「人為的なイノベーション」が出てきてもよいと考えています。
私が人為的イノベーションの例として挙げているのは、銀行やコンビニで当たり前のように使われているATMです。
昔、銀行預金には通帳と印鑑が必要でしたよね。銀行通帳と印鑑を持って銀行の窓口に行き、書類を書いて提出し、しばらくするとまた呼ばれて現金を渡される。これが銀行の常識でした。今考えると笑い話ですが、当時の銀行は、このようにカウンターで銀行員がサービスすることが常識だったわけですね。
ですが、これでは人件費がかかりすぎてたまらないということで、まずCD(キャッシュ・ディスペンサー)が導入され、その後ATMで預金もできるようになっていきました。あの移行は、実は自然に進んだものではなく、住友銀行(今の三井住友銀行)が仕掛けたものなんですよ。
当時何をやったかというと、窓口のカウンターを半分閉めたんです(笑)。かわりにCDコーナーを充実させて、そこに案内係を立たせたのですが、銀行はそれまで“接客業”とされていましたから「自分たちの相手を機械にさせるのか」「そんなことなら他の銀行にいくぞ」と文句が殺到したそうで。それでも、住友銀行は顧客の声を聞かずに移行を継続させたんですね。
「おかげで住友銀行からお客さんを獲得できる」と他の銀行が喜んだのもつかの間、他の銀行も小口の資金の出し入れを行員にさせていては算盤に合わないということに気づき、結局はみんな住友銀行に追随していきました。このように定着している人々の行動を変えることは、結構な時間と腕力のいるものなのです。これはかなり人為的に起こしたイノベーションの例だと思います。
近年の人為的なイノベーションの例
田中:窓口カウンターを半分閉めるというのは、なんともシンプルで面白いですね(笑)。
内田:もう一つ、私が面白いなと思ったのはPayPayなどのモバイル決済の普及ですね。あれも、私から見ると、人為的なイノベーションに分類されます。
みなさんご存知かもしれませんが、元々、モバイル決済はアフリカのケニアと中国で最初に普及しました。銀行口座やクレジットカードを持っていない人が多く、現金を持っていても偽札や盗難の事件が多い。そこで、スマートフォンは約9割の人が持っているから、スマホでやり取りできるようにしよう、と生まれたのがモバイル決済です。
一方、日本は現金もクレジットカードも使えますし、Suicaなどの電子マネーも既にありました。つまり、本来なら、モバイル決済は必要ないのです。そんな状態からモバイル決済を普及させるために、100億円還元キャンペーンが展開されたのは記憶に新しいですよね。要は、消費者に無理やり使わせたわけです。また、加盟店の開拓もどぶ板営業的に行われています。
PayPayの前にもLINE Payなど類似サービスがありましたが、あまり普及しなかったことを考えると、やはり既に日本にはよい決済手段があったことが大きいと考えます。社会構造の変化や消費者の心理など世の中の流れを読むことも大事ですが、PayPayのように世の中を意図的に変えていくようなイノベーションも時にはあったほうが面白いですよね。