エビデンスをベースにすれば、クリエイティブジャンプの飛距離が伸びる
芹澤:僕がこの企画をもらった時にまず思ったのは、「データもエビデンスもクリエイター(≒アイデア)の敵ではない」ということです。むしろ役割分担に近い話だと思っています。
カテゴリーAではブランドはこういう風に成長していく。カテゴリーBでは消費者はこういう風にブランドを選ぶ――これらはある程度まで数学的に決まる問題で、そもそもクリエイターやマーケターがオリジナリティを発揮する領域ではありません。我々の手を離れたところですでに決まっている、いわば広告以前の問題です。
もっとも、「脳内にAIが埋め込まれて全ての購買行動が合理的に行われる」くらいまで時代が変われば、また話は違うのかもしれませんが。生身の人間が習慣や慣性に従った消費行動をする限り、大きくは変わらないでしょう。

ただ、エビデンスと言っても色々な種類があります。『戦略ごっこ』の8章に書きましたが、メディアプランやクリエイティブに関するエビデンスもあります。
たとえば、広告には様々な構成要素があるわけですが、どこに一貫性を持たせて、どこから独自性を出すとよいのか、どういう場合にメッセージを一貫させ、どういう場合にエグゼキューションを変えていくべきなのかといった方向性を示してくれます。こうした知識は、日々のクリエイティブワークでもちょっと役に立ちませんか?
藤平:ちょっとではなく、めちゃくちゃ役に立ちます。EBMを知っていることで、「負け戦にハッスルする」みたいなことも防げるというか。
芹澤:思考領域を区切れるというのは、クリエイターにとっても価値になる側面だと思います。宝の埋まっている可能性の高い場所をエビデンスベースで見極めた上で、クリエイティブジャンプに臨むことができるわけですからね。
アイデアで変えられない領域でオリジナリティを発揮しても売上には繋がりにくいですし、そもそものところで間違えていたら、後付けのクリエイティブジャンプで取り返すのは困難です。
藤平:そうですよね。僕がEBMを学んで「これは活躍できるチャンスかも⁈」とワクワクしたのは、まさにそこで。思考領域を区切った上で、「で、どうする?」の部分は意外と委ねられていて、エビデンスにガチガチに縛られるわけではないんですよね。
広告会社(業界)の「オリジナリティ主義」も要改善?
藤平:冒頭で指摘された「そもそもの前提から間違えている」というズレや、「負け戦でハッスルしていることもある」という課題への気づきを踏まえて、その原因を考えてみたのですが……広告業界には、ともすると“クリエイティブごっこ”になってしまいそうな場面や瞬間もあるような気がしてきました。

どういうことかと言うと、広告コミュニケーションに関わっている人間は、「企画打ち合わせ」という名のバトルを経験してきています。そこには、企画案の数で勝て、面白さで勝て、熱量で勝て……という暗黙の文化が(最近は薄れつつありますが)存在している部分もあり。アイデアのオリジナリティはもちろん、若手は「目の付け所」で爪痕を残す、みたいなことを目指します。この熱いバトルの積み重ねで、広告業界のカルチャーが積み上げられてきたと言っても過言ではありません。
独自性を出す領域を間違えていたらもう修正不可、という話が先ほどあった通り、目の付け所でオリジナリティを出すというのは、それがよっぽど秀逸でない限り、EBMの観点では危険極まりないですよね(笑)。
こうして、企画の過程・プロセスの「オリジナル至上主義(視点の内製化)」「業界内での高度化」が進んだ結果、インサイト発見や企画発想の「前提」をもオリジナルで内製してしまったのではないかと。
芹澤:なるほど、興味深いですね。自分の内面から沸き起こる感性やオリジナリティですべてを完結させようとする、クリエイターとしての矜持もわからなくはないんです。若い頃ですが、「すべての消費者行動が数式で説明できる」みたいなことを地で行っていた、中二病的な時期が僕にもありましたから(笑)。
でも、広告系の実証研究を見ていると、つくづく「バランス」が大事なことに気づかされます。長期と短期、マスとデジタル、ボリュームとマージン、ブランド構築とパフォーマンスマーケティングなど、カテゴリーや成長フェーズによってどちらが優先かという場合分けはあるものの、片方だけに偏ったキャンペーンだとだいたいうまく行かない。
その意味では、企画の発想プロセスにも、クリエイティビティやオリジナリティに加えて、データとエビデンスがあっていいはずです。自分の表現性ですべてを貫こうとするのは、AIも創作ができるこの時代に適していないように思います。