本記事は『「直感買い」のつくり方 記憶と連想の力で「つい選んでしまう」を促す』の「第3章 直感的選択を促すトリガーを活用せよ」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
牛が描かれていないチーズのパッケージ
この会社で製造するすべてのチーズ、あらゆる種類やかたちのチーズがずらりと並んでいるというのに、牛の絵はどこにも見当たらない──。
1990年代半ば、ある大手チーズ会社は、ある暗黙のルールのもとに運営されているかのようだった。牛や牧場、牛舎は商品の包装や広告には登場させない、と。この会社は、商品のチーズがどこから来ているのかに焦点を当てるのではなく、細切りになっているシュレッドチーズとその革新性を大々的に打ち出し、便利さについて宣伝した。
この会社は、シュレッドチーズをさまざまな用途別に袋に入れて(夕食のピザ用のモッツァレラ、会社の主力商品であるタコス用のミックスチーズ、朝食の卵料理にパンチを効かせるためのペッパージャック〔訳注/香辛料の入ったチーズ〕)、大量に売り上げた。
だが、宣伝と広告のほぼすべてが、細切りにしてあるシュレッドチーズと何度も開け閉め可能なビニールの袋についてのものだったため、意図せぬ新しい連想が、会社の上層部が気づかないうちにゆっくりと消費者の心に累積していった。
やがて連想は、会社の邪魔をする隠れた障壁へと変わっていった。「細切りになって袋に入っているこの商品は、全然本物のチーズではない。加工度の高い、自然ではない、ビニール袋に入った混ぜ合わせ食品だ」。そして、このブランドのマーケットシェアは下がりつづけた。
神経回路に作用する暗黙の連想
一方、プライベートブランドのチーズメーカーはほぼすべて、パッケージのあちこちに、赤い壁に白い屋根の牛舎や銀色のサイロ(飼料貯蔵庫)、ホルスタイン牛を載せていた。アルディ(Aldi)のハッピー・ファームスやセーフウェイ(Safeway)のルツェルン・デイリーファームス、そしてクローガー(Kroger)まで、あらゆる小売チェーンがそれぞれチーズブランドを立ち上げている。これらのブランドは、例の老舗の大手チーズ会社から少なくはない規模のマーケットシェアを奪った。
消費者は、もともとはこの大手のブランドのチーズがプライベートブランドよりも高品質だと思って高い値段でも買っていたのだが、次第に、プライベートブランドのチーズも同じくらいの品質だし、もしかしたらこちらのほうがいいくらいかも、と思うようになった。それでも、大手チーズ会社のパッケージに牛は登場しなかった。
この会社はアメリカで一般向けのチーズの販売を最初に始めた会社のひとつで、乳製品については疑いようもなく優れた技術をもつ。だが、無意識の心に関していえば、現実は関係ない。どのように認識されているかと、その結果としての連想がすべてなのだ。
消費者は広告で、「このようなイメージはこういう意味です」だとか「このブランドのチーズは健康によくて、自然で、本物です」だとか、わざわざ伝えてもらう必要はない。これまで生きてきたなかで、そういった連想はもう私たちの記憶に染みこんでいる。
酪農場、丸いチーズ、切り分けたチーズには「本物」というイメージがあり、乳製品の「ルーツ」に近い感じがして、私たちの心のなかで一段高い位置に置かれる。このような連想に結びつけることによって、そこから想起されるイメージに便乗することができる。
これは、すぐに消える感情ではない。ブランドは、私たちの神経回路にすでに書き込まれている暗黙の連想を利用しているのだ。これが、最も抵抗の少ないルートである。心のなかにすでにあるものに便乗するのだ。大事なことは、私たちが感じるブランドや商品との感情的なつながりは、このようなプラスの連想すべての結果であって、原因ではないということだ。
感情に訴えかけるという誤解
2000年代半ば以降、ダニエル・カーネマンをはじめとする心理学者たちによって、私たちは判断の不合理性に気づかされた。カーネマンの著書『ファスト&スロー』(早川書房)はベストセラーになり、行動科学に新たな光が当たった。
ただ、マーケティング・広告業界全体がこの流行に飛びつき、間違った結論に行きついてしまった。彼らはこう考えたのだ。人は不合理に判断するのだから、感情に訴えかける必要がある、と。だが、感情的なつながりは、そんなふうには機能しない。感情に訴えかけるという考え方は、マーケティングに関する最も根強い誤解のひとつだ。
ブランドへの愛などというものは存在しない。感情を大げさに表現することによって絆が生まれたりはしないし、感情はすぐに消える。感情は、人の記憶構造に染みこんでいくことはない。感情ではなく、人々の心のなかにあって彼らとブランドをつなげている既存の連想を活用しなければならない。それこそが、感情的なつながりを生み出すのだ。
大手チーズ会社は結局、丸いチーズや扇形に切られたチーズの絵を使いはじめ、パッケージのあちこちに「ナチュラルチーズ」という言葉を目立つように入れた。これによってプライベートブランドに流れた客を少しは取り戻せたものの、マーケットシェアが最盛期の水準まで戻ることはなかった。
マーケティング業界でよくある考え方には反するが、「感情」は役に立たない。あなたのブランドを愛するように人に強制することはできない。あなた個人に恋に落ちるよう相手に強制できないのと同じことだ。そしてこれは愛だけではない。わかりやすく感情を前面に出した広告はどんなものでも、持続的なプラスの連想をつくりだすことができないかぎり、失敗に終わる。
ブランドは、受け手が大事にしている考えと結びつけることができて初めて、受け手の直感の心に入り込める。
チーズに関していえば、加工食品より自然食品、工場から来たものより牧場から来たもの、という消費者の志向はますます強まっている。ただ、おいしいロックフォール〔訳注/ブルーチーズの一種〕を求めてスーパーへ行くときに意識的にそんなことを考えている、という意味ではない。こういった連想は、消費者の記憶のなかに保存されているのだ。
説明したように、市場での成長のためには、消費者の無意識のなかでこういった連想の存在感を高めなければならない。そのためには、グロース・トリガーが必要だ。
心の引き金を引くのは何か
グロース・トリガー(成長誘因)は、さまざまなプラスの連想が詰まった簡潔な記号やイメージである。五感のいずれかを通してプラスの連想とさまざまな意味合いを伝える近道である。そういった超強力なビジュアル、言葉、音、香り、そして手触りまでが、私たちの心のなかにすでに存在する記憶、印象、好感情の引き金(トリガー)となる。
グロース・トリガーはトロイの木馬のように、気づかれずにこっそりと、私たちの心に新しい考えを潜り込ませることができる。それは、私たちにとって身近なものを利用するからだ。頭のなかにいったん入れば、プラスの連想や意味合いを爆発させる。それらは脳のいろんな場所にくっつき、陣地を広げていく。グロース・トリガーは、広報や顧客対応、商品など各分野で、よりうまく革新を起こすために使うことができる。
実際、グロース・トリガーは説明する必要がない。だからこそ、広告・広報の観点で非常に効率的なのだ。牛や酪農場、切り分けられたチーズがよい例だ。
これらのイメージに、私たちは直感的にひきつけられる。また、消費者みんなに同じように効果がある。もし受け手のうちほんの少しあるいは特定のグループにしか効果がないようであれば、それはそもそもグロース・トリガーではない。
ブランドとこうしたイメージとのあいだにつながりをつくることで、ターゲットとする相手の脳のなかでのコネクトーム(編注:神経回路)の物理的な存在感を素早く高めることができる。だが、感情にはこれはできない。すぐに消えてしまい、人々の記憶にくっつくこともない。
私がJ&Jでベビーシャンプーの広告に父親を登場させることについて上司をようやく説得したとき、私は自分にとって最初の超強力なイメージを発見した。「やさしく赤ちゃんの世話をしている父親」は、「強くて温かい父親」「母親がやっと休憩できる」など、たくさんのプラスの連想を伝えた。
プラスの連想をブランドや考え、理念、あるいは商品に結びつけるうえで、このようなイメージは必要不可欠だ。だから、直感に反するように思えるかもしれないが、感情的なつながりをつくるための鍵は、感情を表現することではなく、脳がすでに理解しているプラスの連想がたくさん入っている身近なイメージを使うことにある。
すべてのカテゴリーとブランドについて、限られた数の基本的なイメージが存在する。つまり、ブランドを成長させるためには、そのブランドに特有のグロース・トリガーだけでなく、そのカテゴリーのグロース・トリガーを所有したい。
それを手に入れられなければ、そのカテゴリーで敗北する。例の大手チーズ会社の場合、チーズというカテゴリーでの最も強力なイメージと記号は、「健康的」「自然」「原料のルーツである酪農に近い」というもので、その多くは、この会社が活用することをやめていたものだった。
プライベートブランドのチーズが参入してきたのも無理はない。消費者がこのようなイメージのついたチーズを見れば、そのブランドの表すものと消費者の脳のなかにすでにあるものとが一致する(電球がパッと点く瞬間である)。
パズルのふたつのピースが互いにぴったりとはまるようなものだ。直感が優位になる。巨額の広告費をつぎ込む必要はない。クーポンを出す必要もない。パッケージのデザインだけで効果が出る。
だが、グロース・トリガーは、目に見えるもの以外にも多くのものに適用される。人の五感に訴えるさまざまなイメージが、受け手のあらゆるタッチポイントに超強力な印象を与えることができる。文章、SNS、広告、ライブイベント、さらにはCEOのスピーチやオンラインの決算発表会まで。どんな接触の場もチャンスになる。グロース・トリガーを活用する方法を工夫しよう。
「好き」は必ずしも行動に結びつかない
コミュニケーションはどんどん短くなり、どんどん急かされるようになっている。いまではもう、スマホのメッセージでは文章を入力することさえせず、省略語を使う。それでも伝わるような新しい言語を私たちはつくりだした。
グロース・トリガーも同じだ。コンパクトでありながら強烈なパンチ力のあるイメージや記号を使う。グロース・トリガーは倹約家でもある。連想を全部言う必要はない。それは、脳が代わりにやってくれる。私たちの文化や、これまでに学習した内容で補うのだ。
マーケターや広告担当者が教えられてきたこととは逆に、感情を表現することで感情的なつながりはできない。ちょっと笑ったり涙したりしたところで、長続きしないのだ。
そして、「好き(like)」という情報は信用できない。「いいね!(like)」するものはたくさんあるかもしれないが、それは必ずしも行動には結びつかない(フェイスブックにはごめんなさい!)。
直感に反するように聞こえるかもしれないが、感情的なつながりは、特定の感情を表現しても生まれない。ターゲットとする相手の心のなかに存在するものと一致するグロース・トリガーの刺激によって生まれるのだ。
この、パズルのふたつのピースがはまる瞬間こそが、マーケターや広告担当者が探しつづけている、とらえどころのない、感情的なつながりである。これが実現できれば、あなたの商品は、強制されるものではなく、直感的に選ばれる選択肢になる。
そして誰かがあなたの商品を直感的に選ぶということは、その人の心はもうつかんだということなのだ。考えることもなく、その商品に手を伸ばす。ほかの選択肢はもう、視界に入ってすらいないのだ。