1995年と2026年の共通点
1995年は、Windows 95の登場によって、仕事の前提が大きく変わったと認識している方は多いだろう。人はコマンドを覚えなくても、マウス操作(アイコンをクリック!)でコンピュータを扱えるようになった。コンピューターもテキストからGUIと呼ばれるグラフィック中心の設計へと変わって行ったのである。
このUIの変化は、単なる操作性の向上ではなく、コンピュータを使う主体を一気に広げたという点で革命的だった。誰もがインターネットに気軽に触れ、世界中の情報にアクセスできるようになったのである。その後、インターネットが社会インフラとして整備され、デジタルは一部の専門家のものではなく、誰もが使う存在になっていった。
そして今、インターネットとクラウドを前提とした世界で、会話に近い言語(プロンプト)をUIとする生成AIが登場している。これは1995年と同じ種類の変化だ。技術が進化したのではなく、人と技術の関係性が大きく変わったのである。
実はWindows 95が発売された時に、ニュースステーションの取材で取り上げられたことがあった。1995年11月23日のWindows 95は発売日に、私は満を辞して当日の予約をして午前0時に買いに行ったのだ。大行列の中、当時Windows 95のプリインストールパソコンを購入していた私は、誰もいない「パソコンはこちら」の列で待ち時間なしでパソコンを購入した。 真夜中の秋葉原でパソコンを運んでいる最中に、取材されたのがニュースステーションだった。
当時はソフトを買って何時間もかけて自分でパソコンにインストールする時代だった。 「なんでソフトではなくパソコンを買ったのか?」と聞かれ、「いちいち自分で入れるのは手間がかかるし、ソフトウェアは今後バンドリングされて自分でインストールする時代ではなくなるはずだ」と答えた。
おそらく、日本で最初にプリインストールパソコンを買ったのは私だった。帰宅してすぐにベッコアメ・インターネットに繋いだ。Windows 95でインターネットに繋いだ最初のユーザーだったかもしれない。
当時はインストールするのにフロッピー20枚以上で5~6時間かかるような時代だった。生成AIもそうだが、世の中変わる時はワクワクして、いち早く動いてしまう癖がある。この記事の執筆中に久米宏さんの訃報が飛び込んできた。久米さんとこのような機会で間接的に接することができて光栄だった。安らかにお休みください。
2026年は「使い方」ではなく「再設計」が問われる年
生成AIを巡る議論は、「何ができるか」「どう使うか」に集中しがちのように感じている。しかし、2026年に問われるのは、生成AIをどう使うかではない。生成AIが存在する前提で、仕事や組織、マーケティングをどう設計し直すかだ。生成AIと共に働くことを意識する必然性が高まる。
「生成AIというツールを学ぶのか」もしくは「思考の前提AIが存在するということでマーケティングを再設計するのか」。この違いは小さく見えて、実は決定的である。この分岐点にどう対応するかが2026年以降のマーケティングをはじめとする業務プロセスの明暗となるだろう。本稿では、2026年のマーケティング業界を見通す上で、特に重要だと考えている次の3点を整理していく。
(1)生成AIのDXとしての正しい浸透
──効率化では終わらない“共働”をどう定義するのか
(2)マーケティング施策を起点とした、価値創出のエコシステム
──個別業務の最適を超え、全体として生成AI前提で広がっていく構造とは何か
(3)演繹的思考・行動の支援と集約
──正解や横並びの安心感を探す時代(帰納)から、仮説を置いて試す時代(演繹)へ
これらは独立したテーマではなく、相互に絡み合いながら、マーケティングを初めとする組織機能の役割そのものを変えていくと筆者は捉えている。まずは生成AI時代の入り口として、なぜ従来型の“ツールとして使うマインド”や、それに準じた研修や学びではマーケティングが変わりきらないのかを整理していこう。
