仕事はややこしいことが増えていくことの連続
私としては、
「仕事術などいらない。というか仕事いらない、寝て暮らしたい」
と、常々思うのであるが、そんな事いっていると社会的に抹殺されてしまうので、ここは、自分の所業を思い切って振り返ってみたい。
まず、健康保険は受けられるくらいには仕事をしていきたいとする自分のスタイルとしては、役所の「すぐやる課」みたいに、現場でできるものはすぐやる、というのがメソッドといえばメソッドか。コンピュータの「FIFO(First In First Out)」と同じで、とりあえずできるだけ速く(自分比で)順々に片付けていくようにはしている。
ただ、会社員生活を10年以上続けていると、会議やらなんやら「現場以外のややこしいこと」や奇妙な「責任」が逓増してくる。自分としては、マネージメント的なことよりは、現場でチマチマ何かくだらないものを作ってるほうが好きなのだが、これは日本企業に属するものとしては、ある程度宿命付けられたものなのだろう。
そういった環境下では、すぐに片付けられず「レスキュー」のような待機仕事がどんどん溜まってくる。これを非同期に片付けることで、「現場ですぐやる」時間を確保したい、と思うように最近はなってきた。
仕事を減らすためにやること
それに、もし「仕事術」を駆使しなければならないほど、仕事が溜まっているとしたら、それはもしかして不健康な状態なのではないかと、個人的には思ったりするので、健康を害する前に、あの手この手で仕事を減らしていくのが得策だと思い、いくつか実践していることに今気づいた。
1つ目は、当たり前だが、権限をどんどん委譲して人に任せてみる、ということ。
会社でなすべき事において、自分がいないと回らない仕事、というのは、究極的にはたぶん無い…と思う。なので、とりあえず自分ではない誰かに任せて、やらせてみて、できるのならそのままで、危なそうならそれなりに助ける(助けないこともあるが)、というスタンス。
もちろん多少のリスクはあるが、人というのは任せられるとやり遂げようとするもの。得てして、うまく行くことが多いような気がする。
これは、以前NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でハイパーレスキュー部隊長の宮本和敏氏が、隊員のことを「信用するが信頼しない」と語っていたのが印象的だったが、これに似た感じかもしれない。それに、我々の仕事では生命の危機にさらされることもまずない。
このケースで重要なのは、たとえ失敗したとしても、あんまり担当者の個人的な責任追及しないことだろうと思う。任命責任を自覚した上で実行するべきだろう。