メディア事業部 部長
安田啓司氏
1966年、岡山市生まれ。1988年 ㈱福武書店(現:ベネッセコーポレーション)に入社後、IT部門でシステム企画、開発、イントラネットなどを手がけ、現在日本最大級の女性向けコミュニティサイトに成長した「ウィメンズパーク」を立ち上げた。その後、ベネッセグループのネット戦略統括などを経て、現在はグループの生活事業領域を担うW&F事業本部の女性向けメディアの責任者として、「ウィメンズパーク」「口コミサンキュ!」など女性向けweb、「たまごクラブ」「ひよこクラブ」「サンキュ!」等の雑誌メディア、およびそれらに関連するECサイト(出産子育て向け専門モール「ウィメンズモール」など)を統括している。
システム畑から、会員380万人のコミュニティサイト「ウィメンズパーク」の立役者に
青葉 ――安田さんは元々、システム部門にいらっしゃったと伺っております。これまでのキャリアについて教えて頂けますか。
88年に旧・福武書店に入社しました。情報システム部、今でいうIT戦略部に配属されまして、5年ぐらいシステム開発・運営をやっておりました。当時は社員のほとんどが岡山の本社にいたのですが、93年に東京で情報システム部を立ち上げることになり東京へ移りました。そして、98年に社内のイントラネットと一人一台パソコンの導入を行いました。一通り、社内のネット環境を整えたわけですが、弊社はもともとBtoCの企業ですから、やはりお客様を相手に仕事をしたいと思い、異動希望を出しまして、念願かなって98年に出版部門のWeb担当になりました。
青葉 ――社内整備はひと段落して、興味関心がお客様に向いたというわけですね。御社の場合、元々Web事業は積極的に取り組まれていたのでしょうか?
異動した98年当時はまだインターネット上での積極的な取り組みはありませんでした。それが、99年になって社長が「これからはインターネットだ!」という考えを打ち出しまして。出版事業で1つ、教育事業で1つ、何かインターネット上でサービスを立ち上げようと決まりました。そこで、僕は出版事業のWebサービス開発に携わることになり、5名のチームで女性向けコミュニティサイト「ウィメンズパーク」を立ち上げました。
青葉 ――オープン当初からすごくにぎわっていたそうですね。「ウィメンズパーク」の成長過程を教えて頂けますか。
ええ、まず99年にテスト版を展開したところ好調で、正式オープン時にはすでに1万3000人の事前登録者がいる状態でした。当初用意していたサーバーでは対応できず、すぐにサーバーを増設したくらいです。「ウィメンズパーク」のこれまでを凝縮してお話すると、大きく2つのターニングポイントを挙げることができるかと思います。1つは2000年に収益化が命題になったことです。それまでは、当社の企業理念に通ずる「お客様の課題解決支援」を目的としていましたが、コミュニティ開設から1年を経て収益を上げて自立することを目指すことになり、広告販売を含め、いくつかウィメンズパークとして事業を持つことになりました。当時は市場も良かったため、広告事業は順調に伸びていきました。また会員に向けて、当社の教育系事業(こどもちゃれんじや進研ゼミなど)のクロスセルが出来たことも相まって、結果4年ほどかかってウィメンズパークは黒字化することができました。
また、もう1つのターニングポイントですが、2008年から新規会員獲得に専念したことです。2005年に携帯サイトの立ち上げを行い、今では携帯サイトとPCサイト合わせて会員380万人まで成長しました。
「ウィメンズパーク」はコミュニティですから、規約、ルール、マナーについて明示しています。その上で、独自の風土が醸成されています。会員の投稿についても、全件チェックしていますが、そうはいっても年に数件クレームもあります。でも、興味深いのは「ベネッセだから(ここまでしてほしい)」「ベネッセなのに(なぜできないの)」という声を多くいただくことです。お客様からの当社への信頼や期待を感じています。