工場探しの長い旅
当初の計画通り、3年を経て会社を辞め、Chrysmelaを立ち上げたのが26歳の頃。この新たなチャレンジについても、3年かけて事業として成り立たなければやめることを決めていたそう。会社員を辞めた時に既に特許を出願。菊永さんが描いた図面をもとにある工場に試作品をつくってもらった。無事に試作品は完成したものの、そもそも全く違う事業を本業としているため同じ工場での量産は困難。これが、量産できる工場を探す長い旅の幕開けだった。
工場に打診しては断られることを繰り返す日々。そもそも24、25歳の女の子が、個人の名刺と手書きの図面を持って出向いても相手にされない。お金はあるの?と聞かれる始末。そこで2007年7月に法人を設立。それでも苦労の日々は続いた。
「日本の製造業は素晴らしい。彼らにこれがつくれないとは思えない。自分の力不足で適切な工場が見つけられていないのか、と悩みました。精密加工といっても色々ありますし、どこでつくれるのか検討がつかない。工場に聞くこともしたんですが、技術が真似されることを防ぐため、他の工場の詳しい技術を知らないことが多いそうです。」
応援してくれる人々との出会い
結局、有益な情報が得られないまま9ヶ月が過ぎだ。そんな時、最後の可能性だと思って出向いたのが長野県の諏訪地方。様々な工場がそれぞれのパーツを組み合わせて製品をつくるネットワークプラン協同組合という団体について知り、最後の望みを託して長野に出向いた。ピアスキャッチについて、いつかは海外にも輸出する日本製品をつくりたいと熱弁をふるったところ、とある工場の社長(現会長)が協力してくれることに。
「自分が課したタイムリミットがあったので、3ヶ月で商品化して販売したいと無茶なお願いをしたのに、社長、また工場長も一緒になって力を貸してくださいました。おふたりとも新しいものを考えることがお好きで色々な提案もしてくださって。社長の一番下の娘さんが私と同じ年だったので、娘のように感じてか、できる限り応援したいと言ってくださったんです。」

社長のネットワークで部品ごとに工場を手配し、やっと製品の発売に漕ぎ着けた。2008年7月、発売開始のリリースを出したところ、「はずれにくいピアスキャッチ」は日経MJに掲載された。商品発売から5年ほどが経った今では、取り扱い店が700店舗、ネット店舗数は100店舗を越え、購入者層も広がっている。自分用に、と購入する女性客以外にも、女性へのプレゼントとして購入する男性も増えているんだとか。
「リアル店舗での扱いが増えたのは、ネットでの販売実績もあるんです。楽天ショップの宝石屋さんが、この商品は絶対売れるからって扱ってくださって。実際、10%のコンバージョンで売れました。楽天ランキングやジュエリーランキングにランクインするようになると、見ていらっしゃる他のショップさんも取り扱ってくださるようになりました。その後、購入者の94%が満足しているという結果をみて、大手チェーン店さんが商品を扱ってくださるようになったんです。」