ユベロス・マジックは権利への着目から
ユベロス氏の、権利というものに対する炯眼は、「制限」するという点に着目したところにある。権利とは、もともと王権を制限し逆に貴族の権利を拡大すること(たとえば、1689年に成文化されたイギリスの不文憲法の法典『権利の章典』)であり、その後は市民が自分達に対する制限を縮小するために勝ち取ってきたものである。
何かが制限されている状態があって、その制限を縮小することにより、権利自体に意味が生ずるのだ。また権利が与えられても、権利を持たないものとの区別がなければ、その権利自体に商業的な価値は生じない。権利の有無によって区別されないのなら、なんとかして差別化を行い、区別を作り出すことが必要になる。だからこそ、外形的に明確な差別化を用意することは、スポーツ・マーケティングの主要な機能なのである。
そのために、五輪のメディア価値を利用する権利を得た商品やコンテンツ類はすべて「公式(Official)」と呼ばれ、排他独占的(Exclusive)なものとして守られ、非公式と徹底的に差別化されるのである。「公式権」の基本は「排他独占権(Exclusivity)」だ(「アンブッシュ・マーケティング」は徹底的に排除される必要がある)。権利を持たざるものに対する制限が強いほど、その制限を免除される権利の価値は高くなることは自明である。
スポーツ・マーケティングからスポーツ・マネジメントへ
筆者は当時、電通に入社して4年目であったが、奇しくもその84年にスポーツを扱う部署に異動となり、以降、今日に至るまでスポーツ・ビジネスにかかわることになろうとは。原初からの目撃者として、スポーツ・マーケティング界の語り部、稗田阿礼を自認している。
ユベロスの手法は、その後ISL社に引き継がれた。ISLとは、電通とアディダスがスイスに共同で作った、スポーツ・マーケティング会社であう。筆者は、ISLのスタッフとして1986年のメキシコWカップの運営にあたった。今のFIFAのブラッター会長は、当時事務局長であり、同じホテルに宿泊していたので、早朝、ホテルの中庭で一緒にボールリフティングをしたことも懐かしい思い出である。
「スポーツ・マーケティング」をタイトルに掲げてスタートした連載であるが、時代は「スポーツ・マネジメント」へと移り変わっている。単純に売上を上げるだけでなく、コストの管理や適切な投資の必要性が出てきたためだ。一般企業では当たり前のことだが、スポーツ産業ではどうしても「競技力」にスポットが当てられていたため、見逃されていたのである。
本連載では、そうしたスポーツ・ビジネスの問題点も含め、その時々のイベントを取り上げながら、読者の皆さまとともにスポーツ・マーケティング、そしてスポーツ・マネジメントを考えていければと思う。