この記事は、日本マーケティング学会発行の『マーケティングジャーナル』Vol.42, No.3の巻頭言を、加筆・修正したものです。
センサリー・マーケティングへの注目
センサリー・マーケティングや感覚マーケティングという言葉を耳にされたことがあるでしょうか。日本語で「感覚」というと少し異なる印象を抱かれる読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆる五感と置き換えていただいてもそれほど誤解はないと思います。
つまりセンサリー・マーケティングとは、消費者の五感への影響を考慮したマーケティングのことを指しています。日本においても第一人者であるアラドナ・クリシュナ教授による啓蒙書『感覚マーケティング』が出版されています(手前味噌にはなりますが、センサリー・マーケティングの考え方を広く紹介したくて、私も翻訳に携わらせていただきました。興味がある方はぜひお手に取っていただけますと幸いです)。
五感への刺激がマーケティングに影響することは古くから知られており、実務上でも広く活用されてきているかと思います。ただ、学術的な研究においては、ここ10年くらいで研究数が急増しています。『マーケティングジャーナル』誌においても、研究動向の整理「店舗空間における感覚マーケティング(PDF)」やセンサリー・マーケティングを取り上げたケース「見せ方の変化とアンバサダーの起用による市場開拓戦略―変身した株式会社ワークマン―(PDF)」などを掲載しています。
センサリー・マーケティング研究が増加している背景とは?
それでは、なぜ改めてセンサリー・マーケティングの研究が増えているのでしょうか。実務的な要請ももちろん大きいとは思いますが、ここでは学術的な理由を二つ取り上げましょう。
一つ目は、五感それぞれの研究が進展してきたことにあります。かつては視覚に訴えるカラーや聴覚に訴えるBGMの研究が盛んに進められてきたのですが、1990年代後半からは嗅覚に訴える香りの研究、2000年代中盤からは触覚に訴える手触りの研究などが進められてきました。
研究の対象が五感全体へと広がっていく中で、センサリー・マーケティングという枠組みから研究知見を包括的、統合的に捉えようとする機運が高まったと考えられます。先ほど取り上げた『感覚マーケティング』では、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚のそれぞれが章ごとに紹介されているのですが、こうした構成が可能になっているのも研究の広がりによるところが大きいでしょう。
二つ目は、隣接分野である心理学領域において、五感に関わる魅力的な研究知見が発表されるようになった点です。代表的なものとして、ウィリアムスとバージによる対人評価に関する研究があります。同研究は、事前に温かいコーヒーカップを持たせた実験参加者と冷たいコーヒーカップを持たせた実験参加者による他者に対する評価を比較し、前者の方が他者を心温かい人物と評価することを鮮やかに描き出して大きな話題となりました。
こうした興味深い研究知見に触発され、多くのマーケティングや消費者行動の研究者がセンサリー・マーケティングの議論へと乗り出したものと考えられます。