変わらない核心──人の“非合理”を理解し、価値を創る
では、マーケティングを担う人にとって、変わらない本質的な役割とは何でしょうか。私の仮説は、人の非合理を理解した上で、提供価値を創ることだと思っています。前述したマーケティングの定義に照らすと「人が創り出すマーケットのニーズに、利益を生み出すこと」の部分にあたります。なぜなら、感情を持つ非合理的な人間の心理を理解し、そこに価値を設計できるのは人しかいないからです。
「人は合理的に考えて、非合理に決める」と言われます。合理的とは論理や数値に基づいた客観的判断、非合理とはイメージや感情による主観的判断です。「なんとなく合う」「なんとなく良い」といった感覚で選んでしまうことは日常の購買体験でも多く見られるはずです。機能や価格で比較して選んだはずなのに、最終的には「やっぱりこれが欲しい」と別のものを買ってしまった──そんな経験は皆様にもあるのではないでしょうか。
私は、様々な事業支援を通して「商売は非合理だ」と痛感しました。それは、人の意思決定がデータや合理だけではなく、非合理=感情や主観に大きく影響されているからです。マーケティングは、このことを理解した上で「人が創り出すマーケット」に向き合う必要があります。言い換えれば、合理は“理由”、非合理は“本音”。その本音はデータには現れにくいものです。ゆえにAIには理解が難しい領域ですが、人はそこを捉え、提供すべき価値を設計できます。これこそがAI時代に人が果たすべき役割であり、過去から未来に変わらないマーケティングの本質だと思います。
では、そのためにどのような能力が必要なのでしょうか。私が思うのは、(1)構造理解力、(2)仮説思考力、(3)論理思考力の3つです。
- 構造理解力:表面的な「現象」ではなく、その背後にある「仕組みと因果関係」を見抜く力。数字から「なぜその変化が起きているのか」と問い、ビジネスの仕組みやルールを構造的に理解することで本質的な課題や成長機会を捉えます。
- 仮説思考力:限られた情報しかない状況でも初期仮説を立て、検証を重ねる力。不確実性の高い市場では仮説を置いて検証を繰り返し、解像度を上げていくことが重要です。
- 論理思考力:データを客観的に整理・分析し、因果関係を明確にする力。合理的な判断を通じて、適切な解決策を導き出します。
これら3つの力を鍛える方法は、アウトプットとレビューの繰り返しが有効です。課題に向き合いアウトプットを創り、観点の違う人からレビューをもらうことです。よく、インプットの仕方を聞かれることがありますが、インプットはアウトプットのために行うのが効率的です。そして、AIはそのインプットツールとしても、アウトプットに向けた議論のパートナーとしても有効に活用できます。人×AIで“人の集合体=マーケット”に刺さるサービスやプロダクトを生み出していく時代に、私たちは既に突入しているのです。
AIの能力を最大限に引き出すには、適切な「問い」を立てる力が不可欠です。筋の良い問いは、構造を理解した上で出てくる筋の良い仮説が重要です。非合理の本音を捉え、仮説を構造化し、問いとしてAIに投げかける。このプロセスを支える3つの基礎力こそが、AI時代のマーケターにとっての面舵になると、私は考えています。
意思決定のシフト──検索中心からAI提案中心へ、指標も変わる
では、AIが「価値のデリバリー」を担うようになると、どのような変化がマーケティング上で起こるのでしょうか。私の見立てでは、これまで非合理に左右されていた選択行動が、より合理的な選択に変わっていくと考えています。
これまで人は検索し、情報を比較し、自ら意思決定をしていました。しかし、これからはAIが情報を収集・整理・提案し、人は最終判断を下す──そんなフローに変わっていくでしょう。この変化が最も顕著に表れるのが、ブランドマーケティングと検索マーケティングの分野だとみています。
前提として、私はブランドを「期待値を超えた信頼値の蓄積により、絶対的に選ばれる資産価値」と定義しています。期待値とは商品やサービスに接する前に持たれる期待満足度、信頼値とは実際に使った後の実質満足度。この差分が大きいほど、人は比較せず“絶対的に選ぶ”ようになります。
しかしAIが意思決定の主体になると、どれほど知名度が高くても、オンライン上の情報を根拠に合理的に比較されます。「有名だから」という刷り込み的なマーケティングは通用しなくなるでしょう。ブランドは本質的な強みや特徴を発信し、ユーザーにオンライン上で理解される構造を作る必要があります。その上でニーズに合致した際に、合理的に選ばれることが重要です。
この変化にともない、重要なブランドマーケティング指標も変わっていきます。検索主導の時代には「指名検索数」がブランドのKPIとして重視されてきました。しかしAI主導の時代には、「AI指名表出率(AI Brand Appearance Rate)」──AIがブランドを回答・提案の中でどの程度“出す”かが、新たな価値基準になる可能性があります。こうした新指標が生まれると、マーケティングの手法も変化して新たなHOWも生まれていきます。
また、現状ではユーザーの検索には、いわゆるDoクエリ(何か行動するためのクエリ)とKnowクエリ(何か情報を収集するためのクエリ)の2種類があります。AIが検索の代替となると、情報収集を効率的にできるKnowクエリのニーズがAIに流れるのではないでしょうか。つまり、そのサービスや商品の将来の潜在顧客≒新規ユーザーがAIから入ってくる流れが強くなると仮説を持っています。マーケティングを担う人は、このブランド×検索というデジタル上での王道のマーケティング手法が変化することを想定して、流入の入口となるAIへの最適化の手法開発をデータ検証と共に進める必要があると思います。