この記事は、日本マーケティング学会発行の『マーケティングジャーナル』Vol.46, No.1の巻頭言を、加筆・修正したものです。
「市場を正しく分析すれば売れる」は本当か?
「顧客ニーズを調査・分析によって正しく把握し、それに適合する商品を出せば売れる」──こうした考え方は、教科書的なマーケティングの理解でも、多くのビジネスパーソンの仕事でも、前提とされてきたのではないかと思います。
確かに、企業が顧客のニーズや自らをとりまく市場環境を理解するために、データ分析やマーケティング・リサーチを活用することは重要です。近年では多様なデータの利用可能性の高まりとAIの発達によって、効果的・効率的なリサーチやより高い精度の予測も可能になってきました。
しかし、それでも最善と考えられたやり方が「うまくいかない」ケースは後を絶ちません。綿密に準備した新商品が思ったほど売れない、想定していたターゲットに響かない、といった経験は多くの現場で共有されているのではないでしょうか。

こうした理解と現実のギャップの背景には、マーケティングを「市場環境に適応する活動」として捉えすぎている問題があります。神戸大学名誉教授であり日本マーケティング学会初代会長でもある石井淳蔵氏は、30年以上前に発表された著書『マーケティングの神話』(岩波書店、1993年)の中で、この点を鋭く指摘していました。
石井氏は、優れたマーケティングがあたかも、調査によって発見された消費者欲望と製品能力を前提とした、合理的で整然としたプロセスによって実現されるかのように語られること自体が「神話」にすぎない、と述べました。
現実の現場では、計画通りに進むことの方がむしろ少なく、試行錯誤や偶然の積み重ねの中で新しい価値が生み出されています。それにもかかわらず「正しい手順を踏めば成功する」という前提で考えてしまうと、現場のマーケターが経験する創造的な工夫や葛藤を見落としてしまいます。
「マーケティングにおける創造性」とは
実際には、マーケティングとは、単に環境を理解してそれに合わせる仕事ではありません。むしろマーケティングは、顧客や社会といった外部環境との関わりの中で、まだ存在しない価値を創り出し、それを社会に広げていく仕事であり、本質的に創造的な活動であると言えます。
今回の特集号は、この「創造する力」に多様な視点から向き合うものです。早稲田大学大学院の川上智子氏の論文で詳しく紹介されるように、創造性(creativity)は一般に、新規性(novelty)と有用性(usefulness)をともなうアイデア・成果を生み出す能力やプロセスです。創造性はこれまでも経営学の中で長く研究されてきたテーマであり、個人から、チームや組織へと研究の対象も広がってきました。
ただし本特集では、こうした従来の枠組みにとどまらず、マーケティングの現場における創造性をより幅広い視点から捉え、「価値を生み出す学問」としてのマーケティングの現在地を考える手がかりにしたいと考えています。
実際、価値創造にかかわるマーケティングの仕事には、新しい製品・サービスの開発はもちろんのこと、新たなポジショニングやコンセプトの実現、コミュニケーションの刷新や、取引関係の構築を通じた新たな顧客や協力者との関係作りといった、多岐にわたる実践が含まれます。そのため、本特集号に寄稿をいただいた4編の論文もまた、新規性の高いサービス提供による新市場創造、流通業者との関係の再構築による製品差別化、クリエイティブ活動の今日的状況、日常的な創造性を可能にする組織の仕組み、といった多彩なテーマについて、理論や事例をもとに考察を深める内容となっています。
