話はめぐりめぐって、またブログへ。ブログが私たちにもたらしたものは何だったのか? いしたにさんの鋭い考察は、全ブロガー&全編集者、必読!そして2006年を締めくくるオチの行方は…?
土俵はみんな同じということが、やっと見えてきた
いし
検索で見つかるものってアルゴリズムの結果でしかないんですが、そもそも結果が表示されるのは人がつくったコンテンツがあり、それを見たいという人がいるから成り立っているわけで、前にも後ろにもちゃんと人がいて、その人と自分は無関係ではない。しかも、それはちゃんと意見を持っている人たちなんです。
四家
「あ、そこにいたんだ」っていう感じ。ストックする→検索される→アクセスが増える→アクセスの傾向を確認する…。情報発信する個人が、新しい形で世界と接する。
いし
だから、感じられる人と感じられない人の経験の質って、ずいぶん違うものになるだろうなと思いますね。個人と言っても、人によって声の大きさ・影響力の違いはありますよ。でも、土俵は同じ。
四家
同じになるだろなあとは思いましたが。いざなってみるとすごいなと。
いし
もっというと、ずっと同じだったはずなんですよね。見えてなかっただけで。
四家
なるほど!マス・マーケティングを前提とした社会の中では、不可視だったものをネットが可視化して、ブログやmixiやツールが進化して、さらに加速していった。
いし
要するに、でかい井戸端会議ですよね。
四家
実は10年以上前、とある証券会社に提案しましたけどね。コミュニティつくれって。「井戸端会議の井戸を掘れ」って。パソコン通信を使う提案だったんですが、もちろん却下されましたけど。
いし
掘る。いいですね。掘らないとなあ。反省しよう。
四家
なんでですか(笑)。ずいぶん掘ってるじゃないですか。
いし
いやあ、まだまだぜんぜんですよ。表面舐めてるだけです。守備範囲が広いことを持ち味にしていることの仇ですね。
四家
いや掘ってますって。たとえば、8月のエントリ「
ということで、視聴覚教室001終了しました。」では、「
Flickr」(ヤフー傘下の人気フォト共有サイト)のイベントを開催しましたね。
だいたい、いしたにさんが表面削ると 他の人がまた掘りに来るんですよ。でも、ネットコミュニティ空間の中で「ここを最初に掘ったのは俺だ」みたいな顔をすると、嫌われるんですよね(笑)。
いし
まあ、言わなくてもわかりますからね。
フォト共有サイト「Flickr」のイベント開催時の模様は、
「Flickr」に上がっている写真で見ることができる。
四家
たとえば、最近のステルスなバズ(クチコミ)マーケティングにおける問題があって、これ日米ともに議論になってますよね。原理的に可視化の方向に流れるネットの中で、不可視を前提にしたステルスマーケティングをやることが正しいのか。
もうひとつは、みんなの共同作業で井戸掘るから楽しいし、会議ができる井戸ができあがるのに、そこで「俺が俺が」と自意識丸出しで出て行くことの可否が気になります。
いし
うーん、ユーザーとして見ると、検索のアルゴリズムがちゃんと進化してくれれば、そんなステルス仕掛けは無効になって、結局誰も買わないでしょとか、乱暴なことを思ったりもするのですが(笑)。
四家