誤解されがちなゲーミフィケーション
本連載は全6回の予定ですので、後半の3回は実践的な内容を中心にしていきます。まず、本第4回では「ゲーミフィケーションの誤解」と題して、このコンセプトの理解の途上で遭遇する典型的な誤解を中心に説明していきましょう。実際に筆者自身が様々なところで頂いたご質問・ご意見等をもとに、感じた点を中心にまとめています。
- 【誤解1】ようするにバッジやレベルの概念を導入すればよい
- 【誤解2】このサービスの価値はゲーミフィケーションにある
- 【誤解3】ネガティブ商材には合わない
- 【誤解4】ゲームコンテンツをサービスに入れることである
【誤解1】「ようするにバッジやレベルの概念を導入すればよい」
“バッジ”や“レベル”というのは、典型的なゲーム要素の例として挙げました。これだけに限らず、“表面的にゲーム要素を導入すればよい”とする考え方が1つ目の誤解です。同義のよくある質問として「利用者がゲームを面白いと思うことが、サービスへのロイヤリティが高まることにつながらない場合があるのではないか?」というものもあります。
“表面的なゲーム要素の導入”という意味では、「エデュテイメント」と呼ばれる教育用途にゲーム要素を取り入れた分野で失敗例をよく見かけました。教育ゲームと言えば、ゲームとしてはつまらなく、教育ツールとしても不十分な出来になっているものを想像される方も多いのではないでしょうか? これは、典型的に「表面的にゲーム要素を取り入れただけ」に終わってしまっているために生じた結果であると言えます。
バッジ疲れはなぜ起こる?
Web上のサービスでも、こうした例を見かけます。例えば、ゲーミフィケーションの成功事例として取り上げられることの多い位置情報サービス「foursquare」は、一方で「“バッジ疲れ(badge fatigue)”を生み出す」という意見も見られます(参考:企業と個人のコミュニケーションを繋ぐ新戦略"ゲーミフィケーション"は万能なのか?:現代ビジネス)。“バッジ疲れ”とは、ふと気付いた時に「あれ? そもそもなんのためにバッジを集めていたんだっけ?」「メイヤーになって何が嬉しかったんだっけ?」といった気分になる現象です。特に、狙っていたバッジやメイヤーを獲得した直後になることがあります。
友人など自分以外のプレーヤーと関わりを持って進むソーシャル性が本来の面白味を生み出すサービスにおいては、サービス開始時のユーザー数が少ない段階では、その面白味が感じられません。そこで、一人遊びでもある程度継続的に使用してもらえるように、ゲーム要素を取り入れるというのは有効です。ただ、“そのゲーム要素が本来のサービスの面白味”、あるいは“ユーザーの利用目的と正しくリンクしているかどうか”は、こうしたバッジ疲れ発生の有無に関わってきます。正しくリンクしていれば、バッジを収集する本来の意味をユーザーが自らに問い直すようなことは起こりません。
“ゲーム要素の導入”というのは、表面的に導入しても機能する場合があります。正確には「機能するように見える」「短期的にのみ機能する」ということなのですが、区別がつかないこともあります。差が出てくるのは少し時間が経ってから、ユーザーが「このバッジって、もらって何が嬉しかったんだっけ?」と問い直す時期が来た時です。
これは第2回で説明した心理学的観点から見ると、バッジ獲得などのゲーム要素が外発的な動機付け要因になっていたということを意味します。本来であれば第3回のゲーミフィケーション・フレームワークで説明したように、ユーザーの利用目的に沿ってゲーム要素の導入をデザインするのが、あるべき姿なのです。
肝に置いておいて欲しいのは、“ゲーミフィケーションは「サービスが持つ本来の価値をユーザーに届けること」を加速するために使う”という点です。ゲーミフィケーション・フレームワークでも、その中心に「ゲームコンセプト・ルール」を置いています。これがサービス本来の価値を意味しています。ゲーミフィケーションは、この価値をユーザーに正しく効果的に、あるいは楽しんでもらいながら伝えていくプロセスをデザインする手法であるとも言えます。
単にゲーム要素を導入しただけで有効に機能するものではありません。