国内の状況 ~混乱するゲーミフィケーションの定義~
国内を振り返ってみると、率直に言ってほとんど事例が存在していないのが現状です。それもあってゲーミフィケーションの考え方やその有効性もまだ十分に浸透しているわけではなく、バズワードの域を出ていないと言っていいでしょう。とにかくゲーム仕立てになっていれば何でもゲーミフィケーションというような乱暴な使い方も散見されます。
また、笑い話のようで意外に馬鹿にならないなと感じたのが「ゲーミフィケーションという言葉だと社内で稟議が通しづらい」という声を聞いたときでした。ゲームという言葉の持つニュアンスが、業務として考えたときにはあまりよい印象では捉えられないということのようです。
いかにわかりやすく伝えるかというのは著者自身も頭を悩ませているところです。第4回「ゲーミフィケーションに対するよくある誤解」でも取り上げたのですが、どうしても「バッジやレベルの概念を入れればよい」という観点で捉えられることが多いと感じています。
ゲーミフィケーションの本質は、利用者の動機付けにあります。利用者の動機付けを実現するうえで、バッジやレベルといったゲーム要素が有用なツールとなり、さらにはソーシャルグラフを活用することでより強力に動機付けることが可能になります。本連載でも繰り返し伝えてきましたが、これがゲーミフィケーションの基本的な考え方なのです。
米国と同じような道のりをたどるとすると、これから半年~1年くらいの間にさまざまな事例が登場し、それに伴ってその有用性が理解されるようになっていくことでしょう。
今後の展望 ~広がるゲーミフィケーションの可能性~
浸透の過渡期にある現状ですが、仮に1年後に米国と同じような状況になったとして、その先にゲーミフィケーションはどのような方向に向かっていくのでしょうか。ゲーミフィケーションの本質に立ち返り、利用者の動機付けという点にフォーカスを当てて考えてみたときに、筆者は「ゲーミフィケーションとはヒーローを作る仕掛けだ」と表現できるのではないかと考えています。

世の中の多くのゲームは、プレイヤーをヒーローにする遊びです。プレイヤーはゲームを通じて大魔王を倒して世界を救います。世界一のスポーツ選手になります。名探偵になることもあります。現実の自分がそうでないとしても、ゲームの世界ではヒーローを演じられますし、ゲームプレイを通じてヒーローに近づいていく過程を体験します。そうしたことがプレイヤーの動機を維持することにつながります。
ゲーミフィケーションの意外な役割
ゲーミフィケーションではこれはどう捉えられるでしょうか? ランニングを継続すれば、健康的になっていく自分を実感できます。マイレージプログラムでランクが上がっていけば、豪華なラウンジの使用権や優先搭乗権といった形でエグゼクティブな自分を実感する機会が提供されます。エコカーに乗れば、燃料の節約が可視化され、環境にやさしい自分を実感することができます。
世界を救うことができるわけではありませんが、現実世界において、心の中にある「そうありたい自分」に近づいていることをフィードバックしてくれるのがゲーミフィケーションと言っていいと思います。そして同時に、「なりたい自分に近づくこと」を支援する役割も果たしています。
ゲーミフィケーションがこのような役割を果たすことができるのは、利用者の心の中にある「なりたい自分」のイメージを引き出すことができたときに限られます。利用者は、ひょっとするとそんなことは口に出して表現しないかもしれません。自分自身でも気付いていないかもしれません。それでも、あなたのサービス・商品を通じて、その利用者はどんなヒーローになることができるかを考えることで、ゲーミフィケーションという手法を活かすことができるのです。