日経の「ABCバリュー」――信頼性、ブランド力、文脈
横山:ネット広告でもリーチを重視するようになったことで、おのずと優良コンテンツを有するメディアほど効果が上がるという状況になってきていると思います。優良コンテンツや質の高いユーザーの収益化について、日経ではどう取り組まれているのですか?

戸井:その試みの一つが、冒頭で少しご紹介した日経IDの活用です。今年、日経電子版で使用するこのIDのデータベースに、日経BPの記事を閲覧するための日経BPパスポートを統合し、500万件以上のデータベースを整備する予定です。ビジネスパーソンを束ねた顧客データベースとしては、アジア最大規模になるのではないでしょうか。
でも、そもそも普通の企業なら顧客データベースを持っていて当たり前なので、メディア企業が遅れているのだと思っています。新聞には報道という機能からいま報じるべきニュースがまずあり、読者が求めるものだけを発信してきたわけではないので、読者の顔が見えないままコンテンツをつくってきた部分もあります。これまでは、ユーザー基盤もコンテンツと同じくらい大きな資産であるということに、あまり目を向けてきませんでした。
ですが、デジタルの時代にメディアが生き残るためには、顧客の見える化は不可欠です。顧客データベースがあればもちろん我々の顧客との関係作りにも活用できますし、広告主を含めた外部のパートナー企業のマーケティングを最適化することにも活用できます。コンテンツの閲覧履歴から興味関心を推測して顧客との関係作りに活かせるのは、メディアの大きな強みですので、これをしっかり展開していく予定です。
横山:まさに、ユーザーデータを活用していくという考えですね。
戸井:ええ。数だけ見れば500万というデータベースは大きくないと思いますが、我々のデータはユーザーが日経のサービスを利用するために自ら登録したもので、信頼性が高い。言ってみれば、オーセンティック(根拠のある)なデータです。
それから、日経のコミュニティだからリーチできるビジネスパーソンをある程度抱えていること、その人たちが自分と日経との親和性を意識してくださっていることも、単なるデータの集合体にはない特長です。これを活かしたリーチを、「ブランデッドリーチ」と呼んでいます。
加えて、質の高いコンテンツによる、文脈に沿った「コンテキスチュアルアプローチ」ができる。オーセンティックデータ、ブランデッドリーチ、コンテキスチュアルアプローチを合わせて当社では「ABCバリュー」とし、広告ビジネスにおいても差異化を図っています。単に広告枠を売るだけではなく、ユーザーデータを最大限に活用して、広告も含めたマーケティングソリューションを提供することが、我々の目指す方向性です。
横山:そのうち、広告主とメディアのデータが直結してデータエクスチェンジをおこなう、などということもありえそうですね。
戸井:ええ、あると思います。
個人情報は預金と同じ、コンテンツやサービスを利子として返す
横山:広告主も勉強している、メディアもそうやって自社の資産を活かそうとしている。しかも、直接つながるかもしれないとなると、果たして広告代理店はどう機能すればいいのか、微妙なところですね。
戸井:データベースを直結させるだけなら技術的に難しくありませんが、問題は、双方にメリットがあるビジネス構造を成立させることでしょう。そこに発生するさまざまな調整を担うのが、広告代理店なのかもしれません。相当な知識と経験が必要だとは思いますが。
ここのところのデータ関連の動きを見ていると、私はこのような個人情報が今後のマーケティングの通貨になっていくなと感じています。広告主が持つ場合もメディアが持つ場合も、いずれにしても個人が自分の情報をどこかに預けて、メリットを享受する、いわば銀行に預金をしているような感覚ですね。そうすると、我々が読者からお預かりした個人の資産を運用し、利子をお戻しするという考え方をしないと資産は目減りします。そのときの利子とは何かというと、サービスやコンテンツです。
横山:なるほど、それはよくわかります。私も以前、データ活用の規制に関する議論の中で、個人情報は個人の財産だから、それをどういう便益とトレードオフするかは個人の自由だと話したことがありました。でも日本人は、個人情報の活用に過剰な拒否反応を示すことが多い。だからこそ、もちろん匿名性は保つ前提になりますが、個人が情報を出してくれるような便益を提示する必要があると思います。そうでないと、データ活用も発展しませんよね。
戸井:そうですね。こちらも、もっとユーザーへの説明に力を入れて、便益を理解していただく必要がありますね。
そういった便益に、誰彼かまわず表示されるような広告は含まれないかもしれません。一方で、その人に本当に有益な情報が広告として提示されたら喜ばれると思います。我々としては、広告であっても「日経を見ていたら有益な情報が得られた」と思っていただけるような環境をつくっていきたいです。
やはり、どこまでも読者の視点でものごとを設計していかないと反発を受けますし、我々メディアにとってもメリットになりません。ひいては、我々の有するデータベースをプラットフォームとしてマーケティング活動をしていく企業にも、メリットにならない。特にオーディエンスが資産であると考えるなら、読者の視点が抜け落ちると大きな損失を出す可能性もあるので、十分に注意していくべきだと考えています。