人間の心の機微を理解する人工知能「KIBIT」
この半年ほどの間に、急激にマーケティングへの人工知能の活用が注目を集めるようになった。昨年秋に設立されたRappaは、まさにマーケティング領域に特化した人工知能事業を展開する企業だ。親会社のUBICでは、法律や不正調査の分野で10年以上にわたって培ったノウハウを元に人工知能「KIBIT」を開発し、実業務に役立つ形でサービスを提供。主戦場をアメリカに置き、国際訴訟の支援をはじめとして非常に厚い実績を有している。
「KIBITという名称には、人間の心の機微を理解できるという意味を込めている」と、Rappa代表取締役社長の斎藤匠氏は話す。KIBITは、UBICがアルゴリズムから構築し、機械学習と自然言語処理を応用したLandscapingという技術を搭載。これに、人間の心や行動を科学する行動情報科学というモデルを掛け合わせることで、本来は人間の高度な判断が求められる分野での実用化を可能にしている。
膨大な情報の中からほしいものだけを探す、ビッグデータ解析が抱える共通の課題として、斎藤氏はこんな例を挙げる。
「干し草の中から針を見つけるのは、そう難しくありません。従来のビッグデータを解析する手法で解析が可能です。我々が行っているのは、干し草の中から少しだけ違う干し草を見つけることです。ほしいものとそうでないものにごくわずかの差異があり、これまで弁護士や分析官など専門の知見を持つ人でないと判断できなかった領域を支援しています」(斎藤氏)
専門家が必要な判断を代行
KIBITを用いると、たとえば膨大なメールのデータから、秘密裏に行われた談合の証拠となるメールを見つけ出すことが可能だという。KIBITはテキストデータを解析対象としているため、メールやワード文書、エクセルなどに記載されたテキストの意味を正しく理解して、人間の判断を加えることでその知見を学習し、専門家に代わって膨大なデータを評価できる。属人的な知見が必要な営業マネージャーや人事マネージャーの観点を学び、判断を代行するという活用も進んでいる。
これをマーケティング領域に用いると、たとえばECサイトでのカスタマーレビューや口コミサイトの投稿などを分析して精緻なレコメンドが行える。これについては、現在ECサイトや口コミサイトと協業して技術検証を重ね、ビジネスへの実装が目前だ。また、コンタクトセンターへの問い合わせなどから「特定商品へのコメント」や「サービス改善の要望」など、ほしい情報だけを抽出する活用はすでに始まっている。
企業の人工知能に対する関心の高まりを受けて、斎藤氏は最近、人工知能を活用するには前提として膨大なデータのインプットが必要なのでは、という相談を受けることが多いと話す。ある企業からは「別の事業者から、人工知能の活用には最初に100万件のデータが必要だと言われ、諦めた。そんなデータ量はないし、あっても関連付けができない」と悩みを明かされたそうだ。
少量のインプットだけでレコメンドが可能に
斎藤氏は前段の悩みに対し、「KIBITは最初にインプットするデータが少なくても、かなり精緻なデータ分析ができます」と語る。たとえば弁護士が必要とする訴訟メールの場合、最初に50から100件ほどのメールを「必要/不必要」に弁護士が仕分けて、インプットする。すると、2種類のメールの特徴をKIBITが把握し、膨大なメールデータの仕分けを代行する。結果についてフィードバックすれば、KIBITが学習し、精緻化していく。
特に、専門家ではなく一般ユーザーの好みを学ばせるマーケティング活用の場合、最初に必要なデータ量はさらに少なく済むという。「ユーザーが好む商品を3つ、4つ教えるだけで、ある程度は好みに合う商品をお勧めしてくれます。インプット量が少なければ、すぐ実装可能になることもメリットですね」と斎藤氏は解説する。
では、マーケティング領域で具体的にどのような活用が進んでいるのだろうか? 斎藤氏は、デジタルキュレーション、VOC(Voice of Costomer)やCRMへの応用、そしてコミュニケーションロボット「Kibiro」の3つを挙げる。
ひとつ目のデジタルキュレーションとは、Rappaが電通国際情報サービスと協業して開発するKIBITを活用した高度なレコメンデーションエンジンを指す。ECサイトや口コミ系サイトに蓄積されているカスタマーレビューや商品説明文といったテキストデータを解析し、個々のユーザーの好みや趣味趣向を学習して、適切なレコメンドをしてくれる。
重要なのは「偶然の出会いを創出すること」
通常、ECサイトなどを訪れると、まずカテゴリを絞り込むかキーワード検索をするのが一般的だろう。そうしないと目的の情報にたどり着けないからだが、その場合は絞り込んだ外側に潜む有益な情報に出会うことは難しくなる。
「そうした形で除外されてしまう偶然の出会い、セレンディピティを生み出せるのが、KIBITの大きな価値だと思っています」と斎藤氏は語る。
「これは、自分と似た人が買っている商品や、ランキング上位の商品が推薦されるのとも違います。似た人ではない、ユーザー自身の好みや価値観を正確に反映するため、かなりマッチング性が高い情報を提案できます」(斎藤氏)
KIBITを用いたデジタルキュレーションは、ユーザーには偶然の出会いを生み出す一方、ECサイトなどの事業者には複数のメリットがある。たとえば在庫が動きにくい、ロングテールのテール側の商品の購買機会につながったり、前述のようにカテゴリ絞り込みに左右されないレコメンドによってカテゴリを超えたクロスセルが実現したりする。また、斎藤氏は人工知能や機械学習は、継続することのメリットが大きいと解説する。
「使えば使うほど自分の好みを覚えてレコメンドの精度も上がるため、ユーザーには使い続ける動機になります。結果的にリテンションの効果も期待できます」(斎藤氏)
目視でしか抽出できなかった顧客の声をピックアップ
2つ目のVOCやCRMへの応用とは、顧客の声を分析してサービス改善や商品開発につなげるという使い方だ。ECの浸透が進むにつれて、メールでの問い合わせや商品レビューなど、テキストデータとしての顧客の声は増え続けている。ただし、既存のテキストマイニングツールでの分析では、全体のおおまかな傾向を把握できても、ピンポイントでクレーム情報を抜き出すといったことは難しい。
この場合、先述した専門家の知見をインプットする時と同様に、最初にマーケターやアナリストが一定量のデータを「必要/不必要」と仕分けし、KIBITに展開。その上で、カスタマーレビューや問い合わせ履歴のデータを読み込ませると、必要な情報のピックアップを代行してくれる。
実際にKIBITをVOC分析に導入したアパレルのECサイトでは、抽出したい顧客の声の軸として「店やサービスへの要望」「色・柄」「他社との比較」「フィット感」の4つを挙げ、必要な情報のサンプルを選んでインプットした。そしてインプットしたデータから得られた分析結果を同ECサイトのマーケターが確認したところ、KIBITが抽出したデータは実に88%〜100%という高い精度で「必要な情報」だったという。
「これまで、この企業では目視でほしい情報を探していました。しかし、ほしい顧客の声を目視で抽出するのは、非常に工数がかかるため、今回の結果には大きな評価をいただきました。必要な情報の軸はフレキシブルに変えられるので、季節性などに合わせて設定し直すのも簡単です」(斎藤氏)
ロボットが消費者と企業をつなぐプラットフォームに
さらに発展的なKIBIT活用としてRappaが注力するのが、KIBIT搭載のロボット「Kibiro」によるマーケティングプラットフォーム構想だ。2016年中に一般家庭への販売を見込んでいるKibiroは、人工知能のインターフェースとして、ユーザーとの会話を通してその好みや価値観のデータを収集。Web上の膨大な商品や店舗情報、口コミデータを代わりにスキャンして、自分では見つけられない提案をしてくれるのだ。
Kibiroは一般への展開の前に、店舗など事業者への展開を予定しており、家庭で取得したユーザーデータを店舗のKibiroへ反映することが今後可能になるという。ECサイトなどコンテンツパートナーとの提携も進めており、広告の配信も視野に入れている。
最終的にRappaでは、Kibiroの裏側にあるKIBITをつないで、個々人の好みという情報をデータベース化することを目指している。このデータベースをもとにプラットフォームを構築することで、たとえば有名レビュアーの好みと自分の好みを掛け合わせてお勧めの店舗を選んでもらったり、友人同士の好みを束ねて旅行のプランをレコメンドしてもらうなど、好みに合った上で新しい出会いを創出できる。
KIBITが解析対象とするテキストデータには「人間の価値観や判断が凝縮されている」と斎藤氏は期待を語る。マーケティング領域に散在しているテキストデータの可能性を、大幅に活かすことができるKIBIT。今年のうちにも多くの実用事例が登場しそうだ。