“馬車を馬の前に置くな” 順序を間違えてはいけない
── 1997年から様々な業界で20年間CMOを歴任し、直近はアメリカ合衆国で最大手のチョコレート製造会社であるハーシーズ(Hershey's)のCMOを務め、現在は独立というキャリアと伺っています。近年デジタルシフトが進みマーケティングのルールが変わる一方で、変わらないこともあるのではと感じます。その点に関してどうお考えですか。
デジタルシフトでも基本なことは一緒だと思います。基本とは一人の顧客のことを常に真剣に考えることです。顧客のことを考える際には、マズローの欲求5段階説の考え方に沿うことが有効です。デジタルシフトによって確かに「環境」は変わったと思いますが、土台となる考え方や基礎は一緒なので、それをきちんと理解して事を進めていくことが大切です。
“Don't put the cart before the horse.(馬車を馬の前に置くな)”ということわざがあります。本末転倒なことはするなという意味で、事業の目的を達成するためにデジタルという道具を使う意識を疎かにしてはいけません。
仮に自らの会社が伝統的な会社で、現状ではデジタルのノウハウはないが道具として使いたいのならば、自分の会社の中で構築しなければならないことは何か、外部の力を借りなければならないことは何かを、きちんと仕分けして進める意識が大切です。
また、事業拡大のためにデジタルがあるわけですが、デジタルだけで全てを解決できるわけではありません。
マーケティングの世界ではアートとサイエンスという言葉が使われますが、両方のバランスをとることが重要です。マーケティングのプロセスそのものは、ますますデジタル化が促進すると思いますが、一方でマーケター自身の感覚を疎かにしてはいけないという意味です。
── この10年ぐらいでデジタルマーケティングの分野は急速に発展し、次々と新しい手法が生まれてきたと思います。一方そのキャッチアップに精一杯で、本来マーケターが行うべき仕事であるインサイトやクリエイティブ、いわゆるアートの部分が置き去りにされつつあると警鐘を鳴らす人もいます。
ご指摘の通りだと思います。新しいやり方が次々と登場していますが「原理原則」を忘れてはいけません。原理原則を示すキーワードは、インサイト、ポジショニング、ストーリーテリング、キュリオシティ(興味・関心)、コラボレーションですね。原理原則を理解してはじめて、目的を達成するための道筋が描けるのです。その目的の一つは、このイベントのテーマでもあるエンゲージメントを高めることですね。アートとサイエンスどちらか一方に偏っていては、いい仕事はできません。
サイエンスよりのマーケターがステップアップするためには
── アートとサイエンスという点で言えば、デジタルマーケターはサイエンスに寄りがちな印象です。近年はデジタルのみのキャリアを歩んでいるマーケターも多いと感じますが、そういったキャリアのマーケターが視野を広げるためにはどうすればよいでしょうか。
四つのアドバイスがあります。
一つ目は常に興味関心を持ち“Why(なぜ)”を考えることです。数字はいつ、何が、どこで起きたのかという事実は教えてくれますが、裏を返せばそれ以外のことは教えてくれません。数字の裏には人の感情や気持ちがあるのです。「なぜそういった行動をするのか」それを深く考えることが大切です。
二つ目は逆説的に聞こえるかもしれませんが、アナリティクスを完全に信じないことです。自分の感覚やフィーリングに基づいた判断も大切にしましょう。自分の気持ちに素直になるのです。
── それは意外です。CMOという立場であれば、ダッシュボードに並べられた数字に基づいて様々なことを判断をしているイメージですが、ホーストさん自身も数字だけではなく、フィーリングに基づいた判断もされていたということでしょうか。
はい、そうしていました。私の知り合いの最も素晴らしいアナリストですら、そうしていましたよ。数字だけを100%信じるのはよくありませんね。
三つ目は自分の身の回りのことから学ぶことです。視聴率が高いテレビ番組や評判が高い広告などにたくさん触れて、なぜ人気なのかを考える癖をつけましょう。
最後のアドバイスとしては、クリエイティブな感覚に優れている人や考えを持っている人と、できるだけ多くの時間を過ごしましょう。自分の仕事の中でそういう機会を積極的に作ることもお薦めです。クリエイティブな人がどういう思考を持ち、行動、発言するのかを体感してほしいです。
── それぞれのアドバイスは特別なことではなく、自身の心がけ一つでできることですね。最後に今注目しているテクノロジーのトレンドがあれば教えてください。
Amazon Alexaが話題ですが、私もボイスインタラクションの領域が面白いと思っています。IoTの普及と平行して発展していくでしょう。それによってコミュニケーションそのものが変わるかもしれません。ただそれは、ブランドと消費者の間に機械が割り込むことを意味しているので、問題も起こるかもしれません。それでも、より高いレベルでのリレーションを成り立たせるチャンスでもあると感じています。