エリアマーケティングの課題はデータが足りないこと
今回話をうかがった電通の朱喜哲(ちゅ・ひちょる)氏は、ダイレクトマーケティングやECを中心としたデジタルマーケティング、データ分析に関わるかたわら、商業施設などの顧客分析も行っている。実店舗では、オンラインと同じような行動/顧客データが取得できない。この課題意識から、ジオターゲティング技術に着目し位置情報を活用した広告配信を積極的に研究・導入を進めてきた。
「現在のエリアマーケティングが持つ課題は大きく2つです。まず、パーソナライズ化されたデータが限定的で、購買者の一部(会員)しかわからないこと。そして、そのためにマーケティング上のKPI設定とPDCAが厳密に実施できないことです。こうした背景から、従来のマーケティングはどうしてもあいまいなターゲットに対して、経験と勘に基づいた施策になってしまいがちな現状がありました」(朱氏)
OOHや折り込みチラシ、ポスティングのプランニングには、国勢調査をベースとした世帯単位のデータが使われている。またオンライン媒体においても、位置情報を所有するホルダーごとに来店コンバージョンなどの新指標も導入されつつあるが、各社で定義が異なるため、広告手法として成長途中の段階にある。
「商業施設のマーケティングには、カード会員などを分析したデータを使います。しかし、すべての売り上げに対するカード会員の売り上げは3割から6割程度。売り上げの大半が誰によるものなのか説明ができません。また、テナントリーシングによって賃料収入を得るという商業施設のビジネスモデルにおいては、施設全体への来場者数がKPIになる。それなのに、この数値は人感センサーにもとづいており、ユニーク人数も、どんな人が来店しているのかも、わからないままなのです」(朱氏)
同氏によれば、施設事業者やテナント企業では、会員の購入データから自社で設定したペルソナを設定し、購入経験者に向けたマーチャンダイジングや棚作りを行っているが、店頭で興味を持ったのに素通りしてしまった人、店に入ったが買わなかった人がその背後にいる。この人たちへのアプローチが重要、としつつも「現状ではデータがないため定量的な把握すらできていません」と語る。
リアルなマーケティングの現場に、「真の潜在顧客」を見つけ出すデータが足りていない。これを解決するための光明が見えつつあるのが、現在の技術とデータ環境によって実現しつつある「サイバーフィジカルシステム(以下、CPS)」である。
エリアマーケティングのキーワード「CPS」とは
CPSとは、リアルな空間(フィジカルシステム)をデータ化しサイバー空間に取り込むという考え方だ。身近なものを挙げると、自動車の自動運転がある。「運転するというリアル空間の動きをデータ化し、自動化する」という構造は、CPSの考え方に基づいている。
CPSが注目されている背景に、測位技術の向上がある。測位には屋外と屋内があり、ナビゲーターなどで利用されているGPSは屋外測位に強い。こちらは先日2号機が打ち上げられた準天頂衛星「みちびき」により、さらなる高精度化が期待されている。
屋内測位の代表的な方法は、モバイルキャリアを中心に展開しているWi-FiとBluetoothを利用するBeaconだ。管理する機器に対して、携帯端末が受信する電波強度を活用し屋内を測位する仕組みである。Beaconでの屋内計測は、米AppleのiBeaconやアドインテのAIBeaconなどがシェアを持っている。
政府も、2020年のオリンピックへ向けて位置情報を活用するためのプラットフォームの開発をスタートした。現在の位置情報データは、データホルダーそれぞれが独自の仕様で保有している。それを共通した基準で統一し、パブリックドメイン化しようというパブリックタグ構想を掲げ、官民で協力を図っているところだ。たとえば民間ではunerryのBeacon Bank事業も広がっている。以上のことから、2000年代から構想されてきたCPSの実現とリッチ化する位置情報活用の分野はますます活性化してくると見られている。
CPSでリアルとデジタルのマーケティングがおもしろくなる
CPS化が進むと、生活の中でどんなことが起きるのだろうか?
たとえば、イベント会場にいた人の端末に対し「イベントのDVDが発売されます」という広告配信を後日行うことができる。また、デジタルサイネージを見た、近くを通りかかったという端末に対して、スマートフォン広告やプッシュ通知を配信することも可能だ。インターネットの世界と同じように、リアルの世界でも「人」を軸にして行動をトラッキングすることができるようになる。
また、位置情報を使ってリアル空間の調査も行いやすくなる。電通とシナラシステムズジャパン(以下、シナラシステムズ)は位置情報を活用し商業施設の客層を可視化する実証実験を行った。すると、実際の客層がカード会員をもとにした分析内容と大きく違っていたという結果が出た。また、ゾーン(フロア)ごとにどんな属性の顧客がいるのかも把握でき、カード会員の分析では見えなかった真の来店者が見えてきた。
シナラシステムズの技術は、Wi-Fiを通してセキュアに端末の位置情報を取得する。そのデータを活用すれば、モール系通販ではおなじみの買い回り施策など、デジタルマーケティングにおける各種施策がリアルマーケティングの場でも活用できるのだ。
位置情報の精度がオンライン媒体の価値を上げる
これまで、出店し集客をする際、リアルに行っていたエリアマーケティングとデジタルマーケティングは別物という感覚が強かった。リアルな商業施設、小売においてデジタル施策について及び腰な広告主が多かったこともこうした感覚に根差したものである。しかし、スマートフォンの普及とCPSの実現によってリアル空間の情報がデータ化されると、従来のデジタルマーケティングをリアル空間でも同じように考えることができるようになると朱氏は話す。
「オンライン広告で買いつけたインプレッションに正確な位置情報が付与され、コンバージョン(CV)として「来店」が測定できるということなので、考え方は従来のデジタルマーケティングと変わりません。さらに、オンライン広告のKPIが見直され再評価される傾向にあります。バナーや広告を見た人の来店計測ができるようになると、CTRやCPCなど広告へのアクションではなく、来店CVを軸として広告接触体験の価値を重視するようになりますよね。より質の高いインプレッションが求められてくるということです」(朱氏)
シナラシステムズは第三者配信にも対応しているので、他のネット広告の来店CVはもちろん、シナラシステムズ側のエリアデータと組み合わせてオフライン媒体の想定来店CVRが計測できる。すると、来店・購買に対しての費用対効果の可視化ができないことからオンライン広告を控えていた実店舗を持つ広告主も、明確なKPIを軸にしたPDCA型のデジタルマーケティングを行えるようになる。位置情報の充実と精度の向上が、オンライン媒体の価値を上げる要素となるのだ。
今後必要なのは指標の統一
CPS化によって、様々なチャンスが広がっているエリアマーケティング。そのためにも、位置情報をパブリックなものとして、各社で定義が入り混じる指標を統一していく必要がある。
「位置情報のパブリック化には、国と産学の連携が重要です。そして、広告主やマーケター・メディア・広告代理店はもちろん、広く生活者に対して位置情報に関するリテラシーを高めるために、信頼のできる基盤が求められます。マーケットを整えるという視点で考えるならば、位置情報ホルダーそれぞれのプロダクトの強みをアピールしていくことと並行して、足並みを揃えて共通の基盤を築いていくことが重要でしょう。
たとえば第三者配信の強みを生かしてシナラシステムズをエリアマーケティングのプラットフォームの中心に位置づけてデータ検証をまとめて行い、指標の統一をリードする。そうしたデータ基盤の上で、健全に競争できる環境を作っていくことなども期待できます」(朱氏)
さらに、この技術が広がっていく上で、個人情報の扱いの問題は避けて通れない。2017年5月に施行された改正個人情報保護法では位置情報ビジネスの活性化も視野に、個人情報利用のグレーゾーンを撤廃し、事業者側にとっては利活用の範囲がわかりやすくなってきている。
しかし、生活者の側ではいまだ位置情報を含むパーソナルデータのビジネス利用については漠然とした不安感もあるだろう。だからこそ、位置情報については信頼性があり安心して利用できるものとして整備し、積極的に情報開示することでリテラシーを高めていく必要がある。
「デジタル広告におけるリターゲティングやインタレストマッチも、黎明期には生活者にとって不透明感のつきまとう機能でした。ランニングアプリやカーナビなど、位置情報が直接的に生活者に恩恵をもたらすサービスはこれからも増え続け、高精度化によってその恩恵も大きくなるでしょう。
CPS時代の最先端のエリアマーケティングを推進して市場を伸ばし、生活者からの信頼を得るためにも、今を過渡期ととらえ、関係各社が協力して技術の透明性を高めることが重要です」(朱氏)
産官学の連携を含め、位置情報に関わるプレーヤーを広げながら新たな市場を形成していく必要があると繰り返した朱氏。具体的に大学への委託研究などもすでに開始しているという。CPS環境の到来によって、これまで見えていなかったデータが可視化され、きめ細やかで有意義なエリアマーケティング施策が可能になることは確かだ。
次回は、位置情報システムを使って実際に行った調査・配信施策について詳しく紹介する。