時代が変わってマーケティングも変わった
――逸見さんはこれまで店舗販売とECに携わってこられましたが、常々ご自身をマーケターではないとおっしゃっています。そんな逸見さんが本書『デジタル時代の基礎知識 『マーケティング』』を執筆されたということで、いったいどんな内容にされたのでしょうか。
逸見:本書を執筆するためにいくつかマーケティング入門書を読み漁ったのですが、けっこう難しいなと感じました。それは、読み終わったあとに書かれていることを実務で実践できるか不安になったということです。様々なフレームワークが登場するので、自分の業務にどの順番でどれを使えばいいのかがわからないなと。
なので、本書はマーケティングの理論やフレームワークを中心に説明するのではなく、自分がモノを売るときのプロセスを振り返り、その流れを解説する形にしました。そこで便利なフレームワークについては紹介していますが、あくまでマーケティング思考で考えることが大事だという点は強調しておきます。
――モノを売るときのプロセスというのは、まさにマーケティングの要の部分です。実際にはどんなプロセスで考えるといいのでしょうか。
逸見:いい商品やいいサービスがあるのは当然です。次に実店舗なのかネットなのか、商品をどうやって届けるのかというインフラが必要ですよね。そして最後に、知ってもらって買ってもらうためのマーケティングがあるわけです。私はいつもこの三段階で考えています。
この順番を間違えてはいけません。商品とインフラがないのにマーケティングをしても、クレームが来るだけです。マーケティングに取り組むなら、まずはその前段階をクリアしておく必要があります。
肝心のマーケティングについても、従来は「一度買ってもらえばいい」「知ってもらえさえすればいい」という考え方も珍しくありませんでした。しかし、一度買ってもらうだけでは事業は継続できませんし、いくら認知度が上がっても売上が上がったわけではありません。売上そのものがお客さんからの支持ですから、それをどれだけ集められるかが重要なのであって、認知度やコンバージョン率は本質ではないのです。
そして、今は買ってもらったあとが大事です。お客さんは自社の商品を使い続けて、また買ってくれているのかどうか。ネット以前のマスの時代は、マーケティングと言っても知ってもらうことしかできず、お客さんがそのあとどうしているのかはよくわかりませんでした。
ですが、ネットの時代になってからはお客さんの行動ログが残りますし、様々なデータを取得することもできます。データを見れば、商品を買い続けてくれているのか、来店はしているけれど購入はしていないのか、そういったお客さんの状態がわかります。それに対してどんなアプローチを取るのか、細かく検討して実行することができるようになったのですね。
マスの時代は、ひたすら広告を打って新規顧客を獲得することに注力する企業もありました。あるいは、大量の商品を確保すればあとは勝手に売れる時代もたしかにあったと思います。けれど、今やそうではありません。適正な量の商品を仕入れ、必要としている人に買ってもらわなければなりません。
適正な量は、データにもとづく見込みによって決まります。たとえば、私がセブンネットショッピングに所属していた頃は、サイトでその商品を見ている人の数、買っている人の数を調べ、それをもとに商品を発注していました。今まで書店のPOSデータではわからなかったデータです。
実は私が判断材料にしていたデータは、出版社にとっても有益だったのです。そこで、出版社には売れている本の情報だけでなく、絶版や重版未定で在庫がないけれど、サイトのページは見られているという本の情報も提供していました。後者は重版検討候補であって、出版社にとっては特に重要な情報だったのです。
マスの時代には書店と出版社でなかなかこうしたコミュニケーションができておらず、それどころか出版社とお客さんの間でも同様にできていませんでした。。ネット、さらにデジタルの時代になって、具体的で密接なコミュニケーションができるようになりました。それが非常に面白いところですね。
本書では、とにかく時代が変わってきたことを認識してもらえるように、マスの時代のマーケティングについてもページを割きました。スマホの普及など社会環境が変化したからこそ、マーケティングも変化して当たり前です。
ですが、その変化が可能なのは、様々な手法が今まで積み重ねられてきたからこそです。昔ながらの手法を否定するのではなく、それをどう環境に合わせて活用するのかという発想をすることが大事ですね。
逸見流マーケティング思考
――本書は逸見さんの経験が詰め込まれた1冊だと思います。本書の流れに沿って、マーケティング思考について教えていただけますか?
逸見:なにより、まずは世の中の変化を理解したうえで、自社と競合、市場と顧客をきちんと認識することです。自分たちは何ができて、競合とは何が違うのか。そして、市場と顧客はどう変化しているのか。いわゆる3C分析(Company=自社、Competitor=競合、Custumer=市場・顧客)です。
そこに時間軸を設けることも欠かせません。役立つのが、現在から未来にわたって自社がどういう状況にあるのかを可視化するSWOT分析です。プラス要因として強み(Strengths)と機会(Opportunity)を把握し、マイナス要因として弱み(Weakness)と脅威(Threat)を分析します。このうち強みと弱みは内部環境要因なので、自社の現在の状況を知ることです。そして機会と脅威は外部環境要因で、起こりうる未来の可能性を探ることになります。
それからSTPの観点を加えて戦略を練ります。これはセグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングで絞り込むことです。具体的な顧客ターゲットを明確にし、目的や目標に対し現状を洗い出し、そのギャップをどう埋めるかを考えることで、戦略を作り上げます。
ペルソナやカスタマージャーニーという言葉を聞いたことのある方もいると思いますが、いきなりそうしたフレームワークを取り入れるのではなく、まず今紹介した3つのフレームワークで分析してみてください。自分たちがどんな立ち位置にいて、どういう目的を目指して進んでいけばいいのかが明確になると思います。
その後は具体的な施策を考える段階となり、4Pと4Cが登場します。4Pは製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、販促(Promotion)のことです。このうち、製品の質は全体的に向上しているので、ここで競合と差別化するのは難しくなっています。そして、価格はあとから決めるものです。となると、どこで買えるのかという流通と、どうやって知ってもらうかという販促が重要になります。
ここではその4PにC(Customer)の観点を加えた4Cを使います。つまり、4Cは顧客にとっての価値(Customer Value)、顧客が負担するコスト(Cost)、顧客の利便性(Convenience)、顧客とのコミュニケーション(Communication)のことで、顧客視点で考えるフレームワークです。特に流通と販促についてこの4Cをもとに考えることで、お客さんにとって最適な施策が見えてきます。
ここまできちんと準備できたとしても、実際に施策を実行するのは自分の部署だけでは難しいでしょう。そこで他部署との連携が必要です。そのためには、他部署がどういう指標で評価されるのか、KPIを知らなければなりません。それは自分の部署についても同様ですが、他部署のKPIを知ったうえでアプローチすれば、協力を断られる可能性は低いと思われます。
だからこそ、世の中の情報だけでなく社内の情報も集めておかないといけません。社内ではいろいろな帳票が作られているはずですから、いきなり外部に情報を取得しに行くのではなく、まずは社内にある情報を集めて活用することが効率的です。最初はそこからマーケティング施策の効果測定をすればいいのです。
私はこうした流れで店舗とECの業務をつなげて行ってきましたが、本書を執筆しながらまさにこれがマーケティングなのだなと改めて思いました。
トップマーケターへのインタビューも
――本書では7名のマーケターへのインタビューも掲載されています。いずれも個性的な方々ですが、逸見さんの視点で紹介していただけませんか?
逸見:最初にご登場いただくのはスマートニュース/ロクシタンの西口一希さんです。P&Gご出身のこれぞマーケターという方で、数字で見ることの重要性、若年層が物理世界とは異なるデジタルワールドに住んでいること、今後はマーケティングの大半がAIになる中で、これから人がやるべきは何かということを語ってくださいました。
次が西井敏恭さんです。オイシックスドット大地に所属しながらシンクロを起業した非常にユニークな方です。建築学科の大学院を出てゼネコンの内定をもらったのに、断って世界旅行に行ったのですよ(笑)。帰国後にECの世界に入ったのですが、旅で感じたことをマーケティングに活かしているのが西井さんらしさです。オイシックスで買い物をすることで楽しい食卓を作れるようにしたい、それが楽しいという想いは、私も共感します。
前田徹哉さん(タワーレコード)と奥谷孝司さん(オイシックスドット大地)に取材したのは、お二人がビジネスと学問という両極の考え方でマーケティングに取り組んでいるからです。
前田さんはコンサルティング会社のご出身なので、コンサルティングフレームワークとマーケティングの関係について語っていただきました。印象的なのは、フレームワークを用いて企業ごとに成功させるためのマーケティングの「型」を作らなければならないということ。そのためにPDCAを回すと言います。
一方で、奥谷さんはマーケティングにおいて学問と実践を融合させようとしています。学問においてはビジネスを客観的に見るので、都合の悪い真実もすべてPDCAに組み込みます。普通の企業だと、Doで失敗したらCheckには注力しませんよね。しかし、学者は失敗も成功と同じくらい重要視して明らかにします。そのためのCheckとActionを重視したフレームワークが大事なのだと強調されています。
メガネスーパーの川添隆さんは事業の立て直しに注力された方で、メガネを安く売る会社ではなく、経営者が唱える「アイケアカンパニー」を実現するために、EC事業などWebに関わるすべてを統括されています。単に他社と競争するのではなく、企業理念をどうやってマーケティングで実現するかを考えているのです。
野村総合研究所を経てコンサルティング会社D4DRの代表となった藤元健太郎さんは、企業がどうやってイノベーションを起こすべきなのかについて語ってくださいました。欧米企業では、M&Aを活用して中軸となる事業をどんどん変えていくそうです。それは世の中を見て、顧客を見て、そのうえで自社の事業を考えているからです。
ところが、日本企業の多くはそうはできず、自社ばかり見ています。さらに「昔からやってきたから」といった理由にこだわり、事業の転換やイノベーションができません。そこから脱するためには、現場の業務に携わる人だけでなく、経営層にもマーケティング思考が必要だというのが藤元さんのお考えです。
最後にご登場いただくのがプリズマティクスの濱野幸介さんです。私の中では、事業者観点でデータを語らせたら右に出る方はいないというくらい、「経営者に刺さるデータ」を始め、目的達成のためのデータ活用を唱える方ですね。マーケティングにおいてデータをどう活用するのか、データサイエンティストはどのように仕事をすればいいのか、そうした視点で話してくださいました。
皆さんのお話に共通する部分があるのは、やはりどなたもマーケティング思考が大切だと考えていることです。本書はこのマーケティング思考を養う入門書にしていただきたいと思っています。
売上を上げて事業を継続することが最大の貢献
――マーケティング思考が大事だと思い込みすぎると、落とし穴に落ちるかもしれません。デジタル時代のマーケティングではどんなことに注意すべきでしょうか。
逸見:デジタルマーケティングがメインになり、ツールを使ってKPIをたくさん「見える化」することが大事だという流れになると危険です。本来は、お客さんに買ってもらうことが最も大事なはずです。それも新規顧客を増やすのではなく、既存顧客に適切なアプローチをして何度も買ってもらうほうが効率的です。
そして今やお客さんがシェアしてくれる時代ですから、そのための仕掛けもマーケティングの一つです。シェアしたいと思うのは、その商品を好きになってくれたからこそなので、やはり買ってくれたあとのフォローが大事なのですね。
これはインフルエンサーマーケティングも同様で、インフルエンサーが商品を好きであることに意味があるのです。たとえば、人気YouTuberがプロモーションしたら必ず売上が伸びるかといったらそうではありません。彼らは何でもかんでもプロモーションを引き受けるわけではない。彼らは自分が面白い、好きだと思っている商品でなければ、想いがファンにも届かないことを熟知しています。
いずれにせよ、売れてなんぼの世界です。どれだけ多くのKPIを達成しようとも、売上になっていないのなら意味がありません。売上を上げて利益を出し、事業を継続することが、企業がお客さんにできる最大の貢献なのです。事業が続かなければ、お客さんに商品やサービスを提供できなくなり、不便を強いることになりますからね。
――では最後に、逸見さんが本書で最も伝えたいことを教えてください。
逸見:本書は「顧客ファースト」と銘打っているように、お客さんの視点でビジネスを考えるためのノウハウを詰め込みました。ですから、マーケティングの理論に詳しくなるというよりも、顧客視点のビジネスの基本がわかる1冊だと言えます。
商品開発、インフラ構築、販促、さらには部署間の調整やパートナー企業との連携、企業理念の実現など、マーケティング自体がもはやビジネス全体に関わるものになっています。つまり、マーケティングに直接携わっている方だけでなく、新入社員、マネージャー、経営層に至るまで、全員にマーケティング思考が必要です。
そして、マーケティング思考とは顧客満足を上げ続けるものです。本書からそのことを感じ取って、少しずつ今の実務に取り入れていただけたのならば嬉しいですね。
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