未来シナリオは一つではない
近年の世界的なトレンドとして、スタイリッシュなデザインや都市での走行性能追求に重きを置いたSUVクーペ車や、ミニバン並みの快適な多人数乗車を実現した3列シートSUV車の人気が高まっている。このトレンドを受けて、現行ミドルサイズSUV保有者の一部がそれらへと乗り換え(離反)するシナリオは十分に考えられそうだ。
もしくは、さらなる低燃費化と安全性能向上が進んだ結果、従来ならばミニバン一択だったファミリー層がミドルサイズSUVを積極的に選択(流入)するシナリオもありえそうだ。
未来の環境変化シナリオは無数に考えうるし、そのシナリオを受けた市場・競合動向シナリオも無数に考えうる。過去に起こったシナリオ(例:エコカー減税など)に対しては、過去の各種データを洗い出せば市場動向はある程度見通せるだろう。しかし過去に起きたことのないシナリオに対しては、そうもいかない。
既知未知問わず想定される様々な環境変化シナリオに対して、市場がどう動くかを見立てられるようなシミュレーション手法はないだろうか。このような課題意識をお持ちの読者に向けて、本稿でご紹介したいのが、エージェント・ベースド・モデリング(以下、ABM)というメソドロジーだ。
SUVの仮想市場を作ってみよう
今回はABMの専門家集団である米Concentric社の協力のもと、コンピュータの中にSUV市場を“まるごと”モデル化することを試みた。具体的には、日本自動車販売協会連合会が公開する車種別登録台数や、ソーシャルリスニングツールで取得できるクチコミデータ、弊社が提供するi-SSPや前述のCar-kitをデータソースとし、ABM専用ソフトウェアを利用してミドルサイズSUVの仮想市場を構築した(図表2)。
後は、コンピュータ上でこの仮想市場の時計の針を進めながら、環境変化シナリオを放り投げた際の仮想市場の振る舞いを観察するだけである。
ABMとは何か
実験結果に移る前に、ABMというメソドロジーにも触れておく。
ABMとは、自律的な行動ルールをもつエージェント(分析対象となる人)を多数発生させた上で、エージェント全体に影響を及ぼす刺激を与えた際のエージェントの挙動を観察するシミュレーション手法のことを指す。現実世界を模した仮想市場をコンピュータ上に構築するうえで、キーとなるメソドロジーだ。近年では、行動経済学の知見もABMに組み込まれ、より“リアル”な仮想市場の再現が可能になってきている。
ミドルサイズSUV仮想市場を例に取ってみよう。ここでのエージェントとは「ミドルサイズSUV車種の保有者もしくは保有見込み者」となる。仮想市場上の時計の針を進めるにつれ、各エージェントには「広告などのマーケティング施策」「他エージェントからの情報シェア」が接触体験として蓄積されていく。接触回数が増えるほど施策の理解度は高まり、逆に接触間隔が空くと忘却されていく仕組みもある。
さらに時計の針を進めると、「買い替え間隔分布」や「使用頻度分布」などの所与のパラメータに従って、ある時点でエージェントは買い替え検討モードへと状態変化していく。
検討においては、「ブランド・パーセプション(認知や知覚品質など)」「クチコミの影響(エージェント間での伝播効果)」「車種基本属性(価格など)」などに左右されてエージェントの検討度合いが変化する。そしてやがて候補車種が絞り込まれ、買い替え行動へと至る。買い替え後は、周囲のエージェントに向けてクチコミを拡散し、他エージェントの行動ルールに影響を与える。
以上の一連の行動ルールは、事前にデータで学習をさせておくことになる。なお現実世界と同様、性年代などのセグメントごとに学習データを変えることにより、“個性”をエージェントに与える工夫も可能だ。毎年クルマを買い替えるエージェント、情報拡散力が強いエージェント、燃費最優先で車種選択するエージェント……様々な特徴をもつエージェントを一つの仮想市場に同居させられるという訳だ。
