コンテンツ制作も「義を見てせざるは勇無きなり」
心地よいおもてなし精神、相手へのきめ細かな配慮、痒いところに手が届く心配り……日本人の精神ってコンテンツ制作にも如実に表れています。この源泉はどこから? と考えた結果、行き着いたのは「武士道(BUSHIDO)」でした。
え? 武士道ってなんだ、ですって? 旧五千円札でおなじみの新渡戸稲造が1900年にアメリカで出版した書籍『Bushido: The Soul of Japan』によると、武士道とは仏教(死生観)・神道(忠誠・崇敬)・儒教(倫理体系)を組み合わせた日本独自の価値基準で、「武士が守るべき道徳の作法」のことだそうです。
体系化された思想だけど、これといった厳密な定義は存在せず、時代や人によって解釈が異なるというファジーな要素が多い。でも日本人の心にDNAレベルで深く根ざす心の拠り所……だと筆者は考えています。この精神がコンテンツ作りにも発揮されているのでは、という仮説です。
新渡戸稲造によると、徳目は「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」の7つ。
◇1.「義」:人間としての正しい道・正義
武士道の中心となる「打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く」良心の掟。体に例えるなら骨。たとえ才能や学があっても、義の精神がなければ武士ではない。◇2.「勇」:義を貫くための勇気
勇とは勇気、正義を敢然と貫く実行力。義の精神をいくら机上で学んでも、自分より強い暴漢に怯えて実行できなければ無意味。◇3.「仁」:人としての思いやり、他者への憐れみの心
武士の情け。仁は女性的なやさしさ、母のような徳で弱者や敗者を見捨てない心。◇4.「礼」:他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さ
他者に対する優しさ。心で肉体をコントロールし心を磨く。◇5.「誠」:言ったことを成す
武士にとってウソをつくことやごまかしは、臆病な行為とみなされた。◇6.「名誉」:恥を知る
人としての美学を追究するための基本の徳。名を尊び、自分に恥じない高潔な生き方を貫くこと。◇7.「忠義」:主君に対する絶対的な従順
主君の命令は絶対だが、武士は主君の奴隷ではない。主君の間違った考えに対して本物の武士たちは命をかけて己の気持ちを訴えた。
武士道の中で最も大事な徳目は「義と勇」で、「流されずに正義を守る勇気を持つ者こそが真の武士」なのであります。これをコンテンツ作りに置き換えると……
◇1.「義」:人間としての正しい道・正義
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コンテンツマーケターの中心となる良心の掟。たとえSEO知識がふんだんにあっても、義の精神がなければ優れたコンテンツマーケターではない。上位表示させたいがために検索エンジンの穴を突くとか、安易なブラックハット行為に手を染めることなく、顧客のために己が正しいと信じる道を貫く。
◇2.「勇」:義を貫くための勇気
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検索意図に寄り添い、読み手のニーズを満たす正義を敢然と貫く実行力。義の精神をいくら机上で学んでも、上位に表示する競合に怯えて実行できなければ無意味。
コンテンツ制作も「義を見てせざるは勇無きなり」ですね。やや精神論的な話に帰着してしまっていますが、迷ったときに立ち返る精神の拠り所があるというのは、日本人の強みだと思います。
ということで、Content Marketing Worldでの最大の気付きは「原点回帰」だったのです。異国で最先端情報を収集するつもりが、日本の歴史について振り返ることになり……というまさに温故知新な結果になりました。でも、これも国外に出たからこそ得られた収穫です。
俺たちのコンテンツは強い! ことを世界で証明したい
私が訴えたいのは、「Made in Japanのコンテンツ力ってすごいんだよ! 世界的に見ても超優れているんだよ! 自信持っていこうぜ!」ってことです。
日本は優秀なコンテンツに溢れています。マンガ、アニメ、コスプレ等のポップカルチャー、日本食、伝統工芸、小説、芸術&芸能、歴史的建造物等のハイカルチャー、そして家電製品やガジェット類のデジタルカルチャーもあります。こんなに多様で独自の文化を持つ国ってほぼ例がありません。そんな国民のコンテンツ制作能力が低いわけがない。
「日本人のコンテンツ力の高さはわかるけど、日本語のコンテンツは国内でしか読まれないわけで、世界より優れていても別に関係なくない?」って思われるかもですが、ここで伝えたいのはマインドの持ち方です。他者(他国)から学ぼうという姿勢は悪いことではないですが、行き過ぎると己の能力を過小評価することになり、戦う前から勝負が決まっているということになります。
こういうことを書くと、「根拠に乏しい」「データで示せ」と言われるかもしれません。私もデータはないので、証明できるのか? と問われたら「やってみないとわからない」と答えるしかありません。でもですね、確実に勝てる勝負だから戦うんじゃなくて、「勝敗はわからないけど、自分を信じて挑戦する」ことに意義がある……と思うわけです。
最後に、メジャーに挑戦したイチローが、2001年3月の開幕直線に発した言葉を紹介させてください。
よく、通用するとか、しないとか、言いますよね。何言ってんだと思いますね。とても悲しい気持ちになります。野球に限らず、新しい世界に挑戦しようとしている人間に対して、それをやったことのない人間が、通用するのか、って……まったく失礼な話です。
なぜ日本の選手に対しては短所を探す傾向があるのに、向こうの選手に対してはその反対なんですかね。メジャーという、すごく大きなイメージのところから来た人間に対しては、ものすごい評価をするでしょ? で、日本でプレーした人間がアメリカに行くときは、子供のような捉え方をしてすごく小さくするじゃないですか。みんな、よっぽど日本の野球って大したことないって意識なんだなぁと思ってしまいます。
出典:『「通用するとか、しないとか、何言ってんだと思いますね」メジャー挑戦直前に聞いたイチローの言葉』(文春オンライン)
メジャーでまだ何も成し遂げておらず、想像を絶するプレッシャーの中での言葉です。挑戦する者を揶揄するのって、ビジネスや企業の世界でもよくありますよね。
オウンドメディアは終わったとか、コンテンツマーケは限界が来ているとかって言葉を耳にすることがありますが、それは勝手に自分で終わらせているだけであって、打ち手はいくらでもあり、トライしていないだけです。
コンテンツ制作の世界も「武士道(BUSHIDO)」精神が通じるものがあります。日本人の崇高な精神性は世界に誇るに値するし、武士道というと大げさですが、我々日本人は義と勇に関しては幼少期から「お天道様が見ている」とか「悪行を働くとバチが当たる」という戒めを浴びて育っています。優れた素地を日本人は既に有しているのです。
なんとなく海外の情報が最先端であり、それを受け身で待つことで事足れりとしてしまうってことはありませんか? 勝手に心の中で優劣を下してはいませんか? 自らが発信者になろうと一歩踏み出すことを諦めていませんか?
……とまあ、イチローの言葉を借りて偉そうなことを書きましたが、正直に告白すると私も渡米するまでは「学ぼう」という受け身の姿勢しかなく、自らが発信側に立つって発想がありませんでした。う~む、書いていてすごく恥ずかしい……。
私が勤務するファベルカンパニーのコーポレートアイデンティティのひとつに「Made in Japanを世界に 日本発、世界へ」というのがあって、それをいっちょ体現してみようと思い、「Content Marketing World 2020」の登壇者として立候補し、エントリーしました。私自身も一人のコンテンツマーケターとして「義と勇」を持って挑戦していきます。