企業内の“分断”がMMM実践を阻む
平尾:サイカでは2015年頃から、オンラインとオフラインを統合して最適なマーケティング投資を実現するMMM(マーケティング・ミックス・モデリング)をベースにしたプロダクト「XICA magellan(サイカ マゼラン)」の開発を続けてきました。MMMの重要性は少しずつ理解されている感触はあるものの、まだまだ課題が多いと感じています。西口さんは、ご自身の経験に照らして、MMMの理解と実践における課題をどう捉えていらっしゃいますか?
西口:統合マーケティングの概念やMMMという手法は90年代からあり、P&Gでも以前から実践されていました。当時はデータ分析の技術の面で、精度は高くありませんでしたが、今はしっかりオン・オフを統合した行動を可視化して経営判断や投資判断に役立てられるようになっています。
ただ、それを踏まえても、特に日本企業では3つの課題があると考えています。ひとつは、経営とマーケティングが完全に分離していること。PL、BS、キャッシュフローというファイナンシャル指標とマーケティング指標が合致していないので、投資と「顧客数×単価×頻度」の向上をひもづけた議論ができていません。
2つ目は、マーケティングの中でもアナログとデジタルに強い方がそれぞれ分断していること。部門が分かれていて、統合的な判断が機能していません。3つ目は、それによって顧客の姿がちゃんと見られていないこと。顧客をベースにした指標がないので、他部門と共有する目標もなく、企業として経営戦略が曖昧で投資の整合性が取れていません。
平尾:あらゆる部分での“分断”が、根底にある大きな課題なんですね。
西口:そうですね。様々なKPI、KGIを設定しているものの、土台となるべきターゲット顧客や顧客セグメントの理解がないので、それらを繋ぐべき顧客戦略がなく、結果として部門、部署がバラバラに動いています。
グローバル企業にとってMMMのレビューはトップマター
西口:平尾さんは、MMMの重要性が増している背景をどうお考えですか?
平尾:とてもシンプルな話ですが、これまで多くの企業を支援させていただく中で、どの企業でも「統合的に分析しないと収益が圧迫される」のは共通しています。あるWeb広告の成果が大きく伸びても、その裏でテレビCMを相当量打っていたら、「Web広告が効いたから追加投資」は正しい判断とは言えず、無駄なコストになるかもしれません。逆もしかりで、本当は伸びしろがある施策なのに投資しきれず、機会損失になることも多いです。
本来、オン・オフを統合して分析し、無駄と伸びしろを把握して投資できれば、理論上は確実に収益が上がりますよね。
西口:その通りですね。2年ほど前に平尾さんにお会いしてサイカのモデルを知りましたが、その後もさらに進化して、オン・オフを統合した行動部分の可視化は相当できるようになっていると思います。これを、経営もマーケティングも、開発や営業もしっかり把握して指標を一致させれば、投資の効率化はかなり図れるはずです。
平尾:この2年ほどで、クライアント企業の側も変化してきている実感もあります。グローバル企業だと、以前から僕らのプレゼンやレビューの場にファイナンシャルのリーダーや、ひいてはトップやAPACのトップも同席することが非常に多かったんです。
PLに直結する事項としてマーケティングを極めて重要視していて、トップマターで話されるのが当たり前でした。
片や日本企業は、2年前だと相対するのはほぼマーケティングチームで、ともするとWebのチームやブランディングチームなど、さらに小規模なこともありました。それがこの2年で、四半期ごとのレビューには社長が同席されるようなケースが、少しずつ増えてきています。
MMM+心理分析=経営とマーケティングを統合する理想モデル
西口:それはいい傾向ですよね。先ほどの“分断”が解消に向かっている。
平尾:合わせて、以前はオンラインにコンバージョンポイントがあって「オフラインの施策の効果を知りたい」というクライアントが大半でしたが、去年くらいから逆転している印象です。オフライン、つまり店舗にコンバージョンポイントがあって、POSの売上に対して「オンライン施策がどう効いているか知りたい」と。
成果に対するROIがわからない、という課題を解決するのがMMMなので、その点では数学的なアプローチによる予算の最適化によって“マーケティングを科学する”ことができつつあるのかなと感じています。
西口:そうですね。ひとつMMMとぜひ併用してほしいのは、心理分析ですね。私が昨年共同創業したMarketing Force(以下、M-Force)では、顧客戦略を策定するための顧客セグメント分析と、セグメント毎の差異分析を基に、顧客の深い心理分析を担っています。
たとえばABテストにしても、Aが勝ったら今度はAとA’で競わせて、と効率化していく企業が多いですよね。Bには見向きもしなくなる。でも、「そもそもなぜBが負けたのか?」という顧客の心理的な理由を掘り下げることで、行動の背景にある心理をつかめます。顧客の心理を起点に、MMMで行動の把握と投資の最適化を図れば、おそらく経営とマーケティングを統合した理想的なモデルができあがると思います。
平尾:そのご意見には強く共感します。僕らも心理指標を分析に取り込むために、外部パートナー企業との協業を今どんどん進めています。
1円に対するリターンに執念があるか
平尾:冒頭で、西口さんには“特に日本企業では”としてMMMが広がらない課題をお話しいただきましたし、僕も前述のように日本企業とグローバル企業の違いを感じています。この違いは、どのような背景から生まれているとお考えですか?
西口:かなりマクロ的な話になりますが、米国系企業が相当早くからMMMに取り組んでいて日本が遅れているのは、圧倒的に株式市場の期待値が違うからだと考えています。
米国の大手上場企業は、ROIに対する株主の期待が非常に厳しいですね。CDOやCMOも基本は2年契約で、早ければ1年か半年でジャッジされる、つまりクビです。
片や日本はほぼ0%金利のため、株主の期待値がそもそも低いことにあぐらをかいて、“日本的経営”“長期的経営”という言葉でごまかしてきたと思います。90年代は、私もそんなものなのかなと、自分は米国系のシビアな環境でつらいと思っていましたが、30年経った今現在で米国系企業よりもパフォーマンスを出している日本企業があるかというと、残念ながら完全に置いていかれています。
平尾:確かに……極めて厳しい状況ですね。
西口:やはり、緊張感が違う。1円使うことに対するリターンをどう考えるか、そこへの株主のプレッシャーが違うという歴史的背景があるし、だから現在もデジタルを中心に、米国系企業の経営者やCクラスの方はものすごく勉強しています。
西口:もうひとつは、企業のステージによって組織戦略も変えるべきなのに、そこができてこなかった。70~80年代、日本では当時の優秀な経営者や創業者がすばらしい商品をたくさん生み出しましたが、それ以降ずっとその事業の水平拡大のために人員を配置し、組織を広げてきています。商品が強いので大幅には落ち込まずとも、それだと新しい価値を生み出すエネルギーがどこにも宿らない組織構造になるんです。さらに、結果として水平展開を行う上での自分の担当分野には習熟していますが、事業全体を考えたり、新しい価値創造をするような人材育成がスポッと抜け落ちてしまいました。このジリ貧の状況に気づいて、人員と組織構造の観点から投資を見直すことも必要だと思います。
企業はグロースのステージに合わせて戦い方を変えるべき
西口:データの観点からも、きっとこうした体質や姿勢がMMM活用の遅れにつながっているのではと思いますが、平尾さんから見てどうですか?
平尾:そうですね、経営者がトップマターとしてデータ分析を捉え、しっかり経営指標に活かす考えがないと、当然ながら経営にインパクトを与えるレベルのデータ活用は難しくなってきます。各部門で個別にベンダーと組んでデータベースを持っていても、IDがばらばらで使えません。
逆に経営者が主導するケースは、先ほどおっしゃった、グロースのステージが変わったら戦い方を変えることができていると感じます。
西口:まさに今必要な戦い方こそ、最低限、まずはデジタルでリーチできる範囲において統合的に顧客を把握してROIをすべて可視化していくことですからね。そういうステージに、本来はどの企業も入っていないといけないと思います。
平尾:では、企業がMMMを実施していく際に、マーケターはどのようなスキルを備えるべきだとお考えですか?
西口:やはり、顧客を理解する力がとても重要だと思います。顧客の心理的変化と行動変化を洞察できる能力。ここまでけっこう辛辣な話をしてしまいましたが、実は現場に近い方は、今ある課題や危機感を肌でわかっていることが多いと思います。
それをうまく経営に上げられないという別の問題もありますが、本来、経営者や創業者も顧客に近いところにいて、顧客理解を起点に事業を成長させてきたはずです。次第に顧客から離れてしまったから手詰まりになっているので、たとえばサイカと作成したマーケティング・モデルで行動の可視化を示し、現場の話をよく聞いてもらえれば、今の顧客の姿を知って大きく舵を切れることもあるでしょうし、思い切って下に任せることができればそれも生き残れる道だと思います。
“N=1”の理解を積み上げれば視野は広がる
西口:平尾さんは、どのようなスキルが必要だと思われますか?
平尾:顧客理解とも関連しますが、それに基づいた高い仮説力が求められると考えています。顧客が自社にこう接触し、こんな心理的変化が起きているから購買に至っているだろう、という一連の動態を踏まえた仮説がある方は、僕らと組んでマーケティング・モデルを作成したときの精度が段違いに高いんです。
西口:わかります。前述の“経営者が改めて顧客の姿を知ると変わる”というのも、ビジネスを拡大してきた経営者は元々仮説を設定する力も高いし、見出すスピードもすごく速いからだと思いますね。
仮説思考には、ある程度の粒度で顧客を分類しておく必要があります。M-Forceでは顧客を認知と購買頻度で5層に分ける5segs、さらにロイヤルティの軸を加えて9層に分ける9segsという顧客分析を行っていますが、打ち手も効率もセグメントによってまったく違ってくるので、仮説設定に必ず役立つと思います。
他にデータ分析を専門とする観点から、マーケターに知ってほしいことはありますか?
平尾:顧客に向き合うことを一丁目一番地として、あと2つ加えると、分析自体を目的としないことと、トライ&エラーを恐れないことです。分析技術はどんどん進化していて、もはや結果が返ってくるのは当たり前なので、分析後のアクションを前提にしてどんどん前へ進めることが必要です。また、仮に施策がうまくいかなくても、そこから必ず学ぶことがあるので、思考停止にならないことをぜひ意識していただきたいと思います。
西口さんからも、ぜひマーケターの方へメッセージをいただけますか?
西口:やはり、顧客を見ることに尽きると思います。まずは、現在のビジネスを構成する様々な顧客セグメントをマクロレベルで数値化、可視化し、その顧客を個客として深く理解することです。顧客は本当に一人ひとり異なるので、一人の具体的な名前がある“N=1”の理解を積み上げれば、そこから視野が広がります。
MMMの実践、さらに心理分析まで加味すれば、大幅な作業の圧縮と同時に相当なROIの改善も見込めます。そこでセーブした資源を、ぜひ新しいアイデアや事業に投資していただきたいですね。