404 Shop Not Found
さて、私たちが日常体験することの多いリンク切れは、ピーター・モービルが著書『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ』、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』でも言及しているとおり、地図を頼りに目的の場所を探そうとしているときなどに起こりがちです。Googleマップの登場以来といってよいと思いますが、一躍脚光を浴びるようになってきた地図情報サービスやGPS(注13)も絡めた位置情報サービスですが、単に地図情報、位置情報といっても、その地図や航空写真、あるいは路線図のようなものを、実際に私たちが歩いたり、クルマを運転したりしながら、接している街 の景色と重ね合わせるのは、想像するほど、単純ではありません。
ピーター・モービルは先の本に「現在の大雑把なデータベース情報と平面的な地図インターフェイスは、3次元の都市環境の複雑さを表現するには不十分だ」と書いていますが、実際、その通りで、例えば、Ajaxを使ったいわゆるリッチな地図表現を行っているgooラボの地図などを例にとっても、左ナビの「周辺検索」で「飲食店」などをチェックした場合、渋谷など同じ建物内に複数の店舗登録データが存在するエリアでは、10件のリストが地図上では重なって表現されてしまい、どこにどの店があるのか、地図とリストを一致させにくい状況が生じたりします。(注14)
旅行などで慣れない街にいったときにまさにこうしたことが原因で行きたいお店を見つけられないことがあります。先日も旅先で夜の食事をする店を、地図を見ながら探していたのですが、なかなか目的のお店にたどりつけないことがありました。地図上ではこの辺だと思うところにそのお店は見つからなくて、何度もおなじところを行ったりきたりしました。結局、そのお店がどこにあったかわかりますか? ビルの3階にあったのです。狭い通りで両脇をいろんな美味しそうなお店が並んでいたこともあり、私は地上のお店しか検索対象に含んでいませんでした。さらに目的にお店の1階が「江戸前寿司」のお店だったこともあり、「旅先に来てまで江戸前はないだろう」と真っ先に除外対象にしていたせいで、余計3階に目的のお店があったのに気づかなかったのです。
もちろん、地図のお店の住所には、店舗が3階にあることはきちんと表記されていました。しかし、地図上の位置情報ばかり気にしていた私は、そのテキスト情報を完全に見逃していたのです(おまけに見つかったお店はすでに予約がいっぱいで入れないというオチまでついていました)。きっとそれが東京のように住み慣れた場所だったら違う結果になっていたのでしょう。その意味でそれは単に地図表現の問題というだけでなく、地図表現とそれを利用するユーザの立場にあった私の状況(未知の土地にいたという状況)の相互作用がもたらした不幸な結果だったのでしょう。
今、起きていることを体感する
こうした問題はGPSなどの技術がいくら発達しようとも解決しない問題です。それはピーター・モービルが述べているように「アンビエント・ファインダビリティはコンピュータの問題というより、人間と情報の間の複雑なインタラクションに関わる問題」だからです。人間が実際に情報との相互作用を持つ状況にあるとき、その人が実際に情報との相互作用から何を感じ、何を理解するのかを考慮しなければ、目的とする本が買えない、目的のお店にたどり着けないといった残念な結果が簡単に生じてしまいます。それを実際のユーザの立場に立ってみることもなく、ただひたすら既存のリソースを技術レベルでマッシュアップしたからといって、それが役に立つとは限りません。
技術志向の姿勢を批判する際に、よく「コンテンツが重要だ」などといったりしますが、その場合でもそう口にしている本人が、本当にその言葉の意味をきちんと理解していっているのかと疑問を感じる場合があります。要するに、その言葉が単なる理屈としてそうだといっているのか、あるいは、本当の意味でその重要なコンテンツは使えると思っていっているのかです。あるいは、それは体感に基づく発言なのか、それとも、単に誰かの受け売りなのかということかもしれません。これは古くからある顧客志向のマーケティングの視点と同様のもので、単にそれが顧客と商品のインタラクションから、ユーザと情報のインタラクションに対象が変化しただけのことなのでしょう。
しかし、対象が変われば、やはりこれまでもっていたノウハウをそのまま生かすことはできないのも事実です。マーケティングがこれまで蓄積してきたノウハウは、必ずしもHII(Human Information Interaction)(注15)と呼ばれる比較的新しい研究分野に生かせるとは限らないでしょう。多摩大学情報社会学研究所所長を務める公文俊平氏が著書『情報社会学序説 ラストモダンの時代を生きる』の中で、産業社会と情報社会の交差する現代を「近代文明=モダン」におけるラストモダンの時代として位置づけていることを踏まえて考えれば、私たちは、市場という産業社会におけるゲームの場でのマーケティングと同時に、智場という情報社会におけるゲームの場でのマーケティングに相当するような何かをこれから見つけていかなくてはならないのかもしれません。
そのためには、まず何よりも現在起きている変化を自分自身の脳や身体を使って実際に体感してみなくてははじまらないのではないかと私は感じています。それにはWeb2.0とは何かを頭で考えるよりも、自分でブログを書き、RSSリーダやソーシャルブックマークを使い、それで何が起きるかを実際に体験してみることが重要なのではないかと思っています。