エゴ(利己的な自我)を超越した視点
アポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカート氏が、宇宙から地球をみたとき、真っ暗な天空の中に地球だけが明るく青く存在していて、そのコントラストの美しさに魅了されたという話がある(参照:『致知』2020年8月号)。
彼が宇宙空間に出て作業をしているときに、機材の故障があって地上とも船長とも交信が途絶えてしまった。そのときに、彼は、宇宙での完全な静寂に放り出される。
宇宙服を纏い宇宙空間に漂いながら、眼下に青く輝く地球をただ呆然と眺めていたその時、突然、なんの前触れもなく「地球は生きている」と、激しい思いが込み上げてきた。彼は、後に語っている。
「いま、こうして宇宙のここにいるのは、私であって私ではない。すべての地球の生命としての我われであり、いま生きている生命だけではなく、かつて生まれては死んでいったすべての生命、そしてこれから生まれて来るすべての生命を含んだ我われなのだ」と。
その時、その偉大な生命の輪の繋がりに連なっている自分が「見えた」のだと、ラッセル・シュワイカート氏は語っている。そして、その体験を経て、彼は名言を残している。
「自分の生命に改めて恋をした」
38億年前に生命が誕生し、その後、その遺伝子は脈々と受け継がれ、人類が誕生した。人間とチンパンジーのゲノム情報は98.8%が同じであり、人間はすべての生命と遺伝子情報を多かれ少なかれ共有している。その繋がりの輪の中で、地球や宇宙やすべての環境に生かされている自分。そんな自分の生命の偉大さと他の生命の偉大さを直感し、ラッセル・シュワイカート氏は「自分の生命に改めて恋をした」のだ。
これは、エゴ(利己的な自我)を超越した視点だ。そして、宮坂氏のコンサルティングが、日本一だと思うのは、マクロの視点とミクロの視点を横断し、様々なポジションの人の意見を揺さぶりながらも、ゴールへと議論を展開していく、その能力の高さにある。それは、エゴを超越した視点を併せ持つ。宮坂氏自身のエゴは当然だが、どこかの誰かの利益を無条件に代弁するわけではなく、ロジカルに話を進めていく。
エゴを超越する宮坂氏のコンサルティングは、すべての生命に対する優しさを兼ね備えることになる。宇宙から地球を見下ろすような大きな視点が、小さなエゴを取り除くのだ。だから、みんな宮坂氏と仕事しても嫌な気持ちにならない。彼の論理で打ち負かされたという凹んだ気持ちにならない。いや、逆だ。そこに愛情を感じるから、みんな宮坂氏と仕事がしたいのだ。
昨年末に私は頚椎椎間板ヘルニアのレーザー手術を受けた。その後、数ヵ月は順調に回復したが、今年の春ぐらいから再発し、改めて今年7月初旬に手術を受けている。その影響もあって、ビービットを含めていくつかのクライアントの仕事を解約した。
それを知った宮坂氏はいつも私の体調を心配してくれていた。7月末にキックオフした今回のプロジェクトでも、「大丈夫? ヘルニア?」と気遣ってくれた。8月2日午後にエレベーターホールの前で交わした最後の言葉も「大丈夫? ヘルニア?」だった。優しく声をかけてもらったまま、私は何のお返しもできていない。
川崎市多摩区にある「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」に、藤本正子夫人からの手紙が展示されている。
「藤本 弘様
その後、どうしていますか。
何故と思う程、寸暇を惜しんで書き続けた漫画、
いまも変らず子供達が読み、観てくれていますよ。
良かったですね。おもしろいんですよ。
優しく、マジメ、高い理想を持った貴方と過せた事、
これからも過ごすことが出来る事、
家族は感謝しています。
藤本正子」
藤子・F・不二雄ミュージアムに数年前にいったとき、この手紙が私に刺さった。ドラえもんを見て育った世代だが、それまでは、特に感謝することはなかった。だが、ミュージアムで先生の遺稿や作品に触れ、感謝の念が湧いてきた。
8月4日午後7時16分、メールを書いたあなたの奥様をあれほど気丈にしたのは、あなたに感謝しているからだと思う。私自身もそうだ。少ない時間だったが、優しさとロジカルさを仕事で表現し、いつも高い理想をもっていた、日本一のUXコンサルタント、宮坂祐氏と仕事を一緒にできたこと、彼から学んだ多くのことをこれからも活かしていけることに、私は感謝している。
最後に、宮坂氏との対談記事のリンクを貼って、終わりにしたい。ありがとう、宮坂さん。
