※本記事は、2022年6月25日刊行の定期誌『MarkeZine』78号に掲載したものです。
クリエイティブを見るときの基本姿勢
「クリエイティブを論理的に見るためのフレームワーク」というテーマで取材を受けていますが、私は「こうすればクリエイティブ力が上がる」というようなフレームワークは、クリエイティブの領域においてはないと思っています。ですが、クリエイティブと向き合うときの「フォーム(基本姿勢)」は形成することができる。あとは、このフォームをいかに自分の中で当たり前のものとして定着させていけるかだと思います。まずは「フォームを形成する3つの要素」についてお話ししていきましょう。
1.「私」を持つ
大前提として、マーケターは「自分がどうしたいか」という「私」を持ったほうがいいと思います。「私」を持つことを恐れない、とも言えるかもしれません。ここで言う「私」とは、「マーケティングの力で、(私は)世の中にこんな影響を与えたい。こんな社会文化を作りたい」といったゴールのイメージを指します。
たとえば、我々が立ち上げ当初から長年携わっているプロジェクトの一つに、サントリー「角ハイボール」のマーケティングがあります。25年連続でウイスキー市場が縮小していた中、角ハイボールは「一杯目はとりあえずビール! ではなく、ハイボール!」という世界観を作りたいというゴールを置きました。このゴールのイメージが裏側にある中で生まれたのが、女優の小雪さんを起用してプロモーションした「夜は、ハイボールからはじまる。」のコピーです。ウイスキーをソーダで割るという新しい飲み方がウケたこともあり、ハイボールブームが到来。今ではハイボールはどこでも飲まれるものになっています。
自分たちのプロジェクトを世の中に届けることで、社会を豊かにしたり、文化や価値を創造したりすることができる――マーケティングというのは、とてもおもしろい仕事です。だからこそ、マーケターは『「私」を持っている』ことが大前提であると思います。
2.主観と客観の両方を大事にする
もう一つは、「主観と客観の両方を大事にする」ということです。最近は広告を作るときにも説明責任を求められることが多いと思います。社内で企画を通したり、周りの人を動かしたりするときには、物事を論理的に説明する「客観性」が必要です。しかし、「私を持つ」という話にも通じますが、自分の中の判断軸として主観をしっかり持っておくというのは、非常に重要だと感じています。ただ、ピントの外れた主観では当然ダメです。客観性と掛け合わせて、周りを巻き込んでいける主観を持つためには、次の3つ目の要素が必要になります。
3.説得力のある主観と客観を養う
私は、優秀なマーケターは優秀な評論家でもあると思っています。自分のいる業種業界に限らず、広く世の中にある事例を見ていて、それらに対して素直な感受性を含んだ自分の意見を持っている人が多い印象です。つまり、説得力のある主観と客観を養う日々の姿勢・行動が「私」「主観と客観」の土台にあるということです。
マーケターが日々の生活や仕事の中で取り入れられるアクションとしておすすめなのは、「常にいろいろなものを自己採点していく」というもの。成功/失敗、業種業界問わず、広くたくさんの事例を見て、自分なりに採点してみると良いと思います。正直、世の中にある広告の95%はつまらないです。どうしても5%の派手で目立つ事例ばかりに目が行きがちですが、ダメな事例を見て自分なりの解決策を考えることも大切です。あとは、「激しくつまらないな」と思ったときの“違和感”を放っておかないことも大事ですね。自分がなぜそのように感じたのかを見つめて、言語化してみる。そのような積み重ねで、主観と客観が強くなっていきます。
もう一つ、誰でもすぐに実践できるアプローチとして、「3つの眼で見る」というスキルをご紹介したいと思います。3つの眼とは、俯瞰でものを見る「鳥の眼」と、近づいて見る「虫の眼」、流れを見る「魚の眼」のことをいいます。世の中の動きや事例を見るとき、この3つの見方を繰り返していくとよいでしょう。
鳥の眼
物事の本質を捉えるために、まず必要なのは“俯瞰で見るクセ”をつけること。一歩引いて全体を冷静に見てみると、近視眼的に見ていたときにはわからなかったことに気づくことができる。
虫の眼
より対象に近づいて見る視点。鳥の眼では、「世の中やマーケットにどのような影響を及ぼすか」という大きな視点で見るのに対し、虫の眼では、「その商品やサービスが世の中に根差した時にどんな良いことがありそうか」をつぶさに見ていく。消費者と同じ目線に立って「何をどう感じるか」を冷静に考える姿勢が必要。
魚の眼
川(時代)の流れを見ていく視点。時代の空気感をつかみ、流行の謎を解き、次の兆しを捕まえるために必要な視点である。ポイントは流行そのものを追うのではなく、その裏にある現象や背景を自分なりに捉えようとすること。