規格外の案件は成長のチャンス
私のマーケティングキャリアの始まりは36年前──電通に入社し、新入社員研修を経てマーケティング局に配属された1986年7月です。帰国子女の私は語学力が最大の強みだったため「海外向けの部署に配属されるのだろう」と思っていました。ところが蓋を開けてみると、配属先はマーケティング局。新入社員の間で噂が広まるくらい、意外な人事でした。
私の適性を踏まえた采配だったのかは不明ですが、結果的には36年続くキャリアのスタートとなる、素晴らしい“あたりくじ”を引いたことになります。思い返すと、その後も様々な偶然に後押しされながら、私のマーケティングコンピタンスとキャリアは形作られていきました。
配属後は、当時の電通では珍しい工学部卒の経歴を理由に、テクノロジー系の案件を多く担当しました。そこから転じて、業務プロセスが確立されていない「規格外」の案件を丸投げされることも。この経験は、マーケターとして成長するチャンスでした。新人マーケターが確立されている仕事のやり方を学ぶことはもちろん大切です。ただし、一歩間違えるとそのやり方が刷り込まれすぎて、マーケターとしての進化を妨げる場合もあります。私の場合は規格外の仕事を多く任されたことによって、課題の解決を一から考える習性が身につくとともに、常に新しいマーケティングを模索する体質になった気がします。
グローバルな視座を養い井の中の蛙状態を脱する
語学力が幸いし、多くのグローバル企業のマーケターと仕事をともにさせていただいた経験も大きかったです。グローバル企業のマーケターは日系企業のマーケターに比べ「マーケティングを進化させよう」とする意識が総じて高く、常に新しいマーケティングのアプローチを志向します。マーケティングは競合との相対で結果が決まるもの。いくら“良い”マーケティングをしても、相手も“良い”マーケティングをすれば勝てません。勝つためには、相手の一歩先を行くマーケティングを実行しなければならないのです。グローバル企業のマーケターからは、マーケティングイノベーションの心構えを学ばせてもらいました。
電通に入社して約12年が経ったころ、しばらく休止していた海外留学のプログラムが再開したため、コロンビア大学へMBAを取得しに行きました。留学のタイミングとしてはかなり遅く、そのうえ留学先はファイナンス系のカリキュラムが中心の学校。しかしながら、この境遇が結果的に功を奏しました。マーケティング領域で“井戸の中の蛙”と化していた自分が、経営やファイナンス、学術の視点でマーケティングを捉えられるようになったからです。もっと早いタイミングで留学していても、マーケティングを専門とする学校に留学していても、これほど大きな転換点は迎えていなかったと思います。これもまた、幸運な偶然です。