マーケティング・組織マネジメントに活用される「マズローの欲求5段階説」
心理学的知識がマーケティングや組織マネジメントなどのビジネス領域で活用されるケースは、珍しくありません。「マズローの欲求5段階説」もその一つです。
本稿では、企業のマーケティング担当者向けにマズローの欲求を概説し、マーケティング戦略に活かすための方法論について論考します。
マズローの欲求5段階説とは?
「マズローの欲求5段階説」とは、1954年に米心理学者アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow)が、著書『人間性の心理学』(産業能率大学出版部)で提唱した説です。本稿の主題でもある欲求5段階説では、「人間は自身の自己を実現するために行動する」という前提にもとづいて、人間の欲求が5段階で表現されていることから、「自己実現理論」とも呼ばれています。
なお、一般に知られているピラミッドの階層図は、マズローが作成したものではなく、その後の解説者によって作成されたもの です。
アブラハムマズローについて
1908年、ユダヤ系ロシア人の長男であるマズローは、米ニューヨーク州ブルックリン地区で生まれました。大学では心理学を専攻し、1943年に発表した「人間の同期に関する理論」で、欲求5段階説を唱えました。それまでの心理学では避けられてきた、より人間の本質に関する研究に力を注いだ人物として、以後の学術研究に影響を与えています。
人間が本来的に抱える欲求を5つのレベルに分類する学説は、心理学のみならず、経営学や看護学など、幅広い分野でベースの考え方として使われています。
マズローの5段階説が広まった背景
マズローは、ボストンのブランダイス大学在籍中の1951年以降『Motivation and Personality(邦題:人間性の心理学)』をはじめとした論文をさまざまな媒体で発表し、米国を中心に海外でも活躍しました。さらに、1967年にはアメリカ心理学会で会長の座にも就き、自らが提唱する人間性心理学の研究に注力しています。
マズローが自説を唱える以前は、「行動主義心理学」や「精神分析学」が心理療法における主流の考え方でした。
しかし、心理学者 辰野千寿氏著の「心理学におけるパラダイムの転換」にもあるように、行動主義心理学は人間心理についてシンプルに考察しすぎる傾向があり、精神分析学は無意識という実証が難しい概念を理論に含んでいたため、両者の有用性は疑問視されていました。
そこで生まれたのが、人間を心身一体の主体的な全体として捉える「ヒューマニスティック心理学(人間性心理学)」です。人間性心理学は、それまでの行動主義心理学や精神分析学とは異なる発想であったため、「第三勢力」とも呼ばれました。
マズローによって理論立てられた欲求5段階説は、人間性心理学の代表的な研究として位置づけられました。その後、米国経営学者のダグラス・マレイ・マグレガー(Douglas Murray McGregor)が、1960年に著書で言及したしたことによって、ビジネス領域での活用もされるようになったのです。
マズローの欲求5段階について
マズローが提唱した5段階の欲求とは、具体的には以下のとおりです。
- 第1段階……生理的欲求
- 第2段階……安全性の欲求
- 第3段階……社会的欲求
- 第4段階……承認欲求
- 第5段階……自己実現の欲求
では、それぞれが何を指しているのかについては、次項より解説します。
第1段階 生理的欲求
生理的欲求とは、人間が生存するうえで不可欠なものを得るための欲求で、マズローのピラミッドではもっとも低位に位置します。マズローは、人間がより高位の欲求を追求するためには、まずは低位の欲求から満たす必要があると考えていました。
生理的欲求を満たすものとして、以下の5点が例として挙げられます。
- 空気
- 水
- 食料
- 睡眠
- 衣類
上記のような生理的欲求が満たされない段階にある人間は、さらに高次の欲求である安全性の欲求や社会的欲求を抱きづらいとされています。
第2段階 安全性の欲求
次は、安全性の欲求です。ここでいう安全性とは、精神的にも肉体的にも健康で、経済的にも不安を感じない暮らしのことでです。
つまり、以下のような要素を満たし安心して暮らしたいという欲求です。
- 健康
- 情緒面での安全
- 暴力からの隔絶
- 経済的な安定
日本のような先進国における安全性の欲求は、生活面だけでなく「仕事」「経済水準」「社会環境(福祉などのセーフティネット)」などを求める形でも顕在化します。
個人を取り巻く環境要因は異なるため、精神面や経済面、健康面における安全性を定義することは困難ですが、その人にとっての安全性の欲求が満たされることで、次の社会的欲求を抱く状態へと移行するとされています。
第3段階 社会的欲求
第3の段階は社会的欲求です。社会的欲求とは「愛と所属に対する欲求」とも言え、集団や家族、友人に「受け入れられたい」という欲求を指します。社会的欲求は、集団の規模の大きさや所属の多さを問うものではなく、本人の感じ方に重きを置くものです。
具体的には、以下のような関係や集団、組織に所属したり貢献したりすることで、社会的欲求が満たされるとされています。
- 地域社会
- 企業組織
- 宗教団体
- スポーツサークル
- インターネット上のコミュニティ
- 家族・交友関係
一方、集団内で果たせる役割があるという充足感や、集団・社会に受け入れられているという所属欲求が満たされない場合は、孤独感や不安感から心身のバランスを崩す可能性もあります。
第4段階 承認欲求
第4の承認欲求は「尊敬」や「承認」を求める欲求段階です。組織や社会での地位を求める「出世欲」なども、この4段階目に当てはまるとされています。
第3段階までの欲求は外的なものに対して向けられるものでしたが、承認欲求はある種内面的な欲求を満たしたいフェーズに移行しているといえるでしょう。また、承認欲求を獲得することは、行動のモチベーションや自分の新たな可能性へもつながるため、成長の原動力にもなります。
そのような特徴を持った承認欲求は、さらに以下のように大別されています。
- 他者から賞賛や尊敬を得ることで満たされる欲求
- 自身が自己を認めたり評価したりすることで満たされる欲求
他者からの尊敬や賞賛の念によって承認欲求が満たされるケースもありますが、他人ではなく自分自身の評価によって、より承認欲求が満たされるといったケースもあります。
なお、承認欲求が満たされない状態が続いた場合は、無力感や劣等感などにさいなまれることも少なくありません。
第5段階 自己実現の欲求
最終段階である自己実現の欲求は、「自分の世界観や人生観に即した“あるべき自分”」を実現したいという欲求です。
自己実現の欲求は、「自分だからこそできることを成し遂げたい」「自分らしい生き方を送りたい」という抽象度の高い欲求であり、実現に向けては理想の自分のイメージが顕在化していなければなりません。先述の1〜4の欲求を満たし、人間的に成長した段階で自己実現の欲求を抱くようになるとされています。
【補足】マズローの“第6の欲求”
一般的にマズローの欲求は、5段階までしか言及されていません。しかし、マズローは6つ目の欲求についても存在すると考えていました。これは、晩年のマズローによって発表された学説であり、第6段階は「自己超越欲求」と呼称されています。
自己超越欲求とは、5段階目の欲求である自己実現を終えた人間の一部が、周りの人間や社会、世界などの自分という枠組みを超えた対象に「貢献したい」と感じる欲求のことです。マズローによると、この状態に達することができるのは全体の約2%とされています。
学術的には興味深い説ですが、第6の欲求は活用幅が限られるため、マーケティングにおける参照対象として捉える必要性は低いといえるでしょう。
マズローの欲求の分類
マズローの5段階の欲求は、それぞれの性質によって以下の3種類に分類できます。
- 外的欲求と内的欲求
- 物質的欲求と精神的欲求
- 物質的欲求と精神的欲求
5段階説がどのように分類されているか、以下より概説します。
外的欲求と内的欲求
欲求の対象が「外部/内部」のどちらにあるのかという分類方法です。生理的欲求や安全性の欲求、社会的欲求までの3段階は「外的欲求」に該当します。
対して、承認欲求と自己実現の欲求は、自身の内面的な欲求を満たすものであるため「内的欲求」に分類されます。
物質的欲求と精神的欲求
生理的欲求や安全性の欲求は生きるために必要な「モノ」を欲する性質を持っていることから、「物質的な欲求」とも定義されます。
一方の社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求は「心」の満足度を欲しているため、「精神的な欲求」といえます。
欠乏欲求と成長欲求
生理的欲求から承認欲求までの4段階は、自分が「不足していると感じるもの」を求める欲求であるため、これら4つは「欠乏欲求」として捉えることができます。
一方の自己実現欲求は、その他4段階すべての欲求が満たされた状態からさらなる成長を目指すもので、「成長欲求」として分けられます。
マーケティング活動でマズローの欲求を活かすための考え方
マズローの欲求を自社事業や見込み顧客のニーズに照らし合わせることで、マーケティング戦略に活用できます。むしろ、マズローの唱えた人間の5段階の欲求に当てはめて考えることが、マーケティングの基礎の基礎ともいえるのではないでしょうか。
たとえば、飲食業を展開している事業者の場合、顧客の「生理的欲求」である「空腹を満たすという価値」はもちろん、それ以上の「より体に良いものを食べたい」という安全欲求などを提供するといったプランが検討可能です。
ハウスメーカーや不動産業で考えると、顧客のニーズは「1.雨風をしのげる空間→2.安全に暮らせる住まいが欲しい→3.良い家に住みたい→4.第三者に認められる家に住みたい→5.自分らしい暮らしをしたい」といった形で、マズローの欲求5段階説に合わせてターゲットやサービスを設定することが可能です。
さらに、FacebookやTwitter、InstagramなどのSNSで他ユーザーと話題をシェアしたり、投稿に「いいね」し合ったりする機能は、まさに社会とのつながりを実感させる「社会的欲求」を満たすサービスといえるでしょう。
このように、顧客ニーズをマズローの5段階欲求で、下位のレベルから当てはめていくことで、「自社がどういう価値を提供すべきか」が明確になります。
マーケティングとは、顧客ニーズを起点にして商品やサービスが売れる仕組みを作ることにほかなりません。そのため、マズローの欲求5段階説をマーケティングに活用することは大いに意義があるといえるでしょう。
マズローの欲求はインナーマーケティングにも役立つ
マズローの欲求はマーケティング活動だけでなく、組織マネジメントや社員のモチベーション管理などにも活用されています。
組織マネジメント
現代の国内組織においては、マズローが提唱する下位の欲求である生理的欲求や安全欲求は、ほとんどの場合で満たされていると考えてよいでしょう。それを前提として、さらに高位の欲求に焦点を当てることで、効率的な組織マネジメントの実現につながります。
たとえば、勤続年数が短い若年層の社員には、社会的欲求を満たせるよう、業務や成果を通じて組織の一員として認めるといった接し方が検討できます。
一方、中堅層に対しては承認欲求を満たせるように難易度の高い業務やノルマを与え、実現できれば相応のポストを用意するというマネジメント方法も検討できるでしょう。
社員のモチベーション管理
組織レベルのマネジメントだけではなく、個人レベルのモチベーション管理にもマズローの欲求5段階説は役立ちます。特に人間の生命活動に直結する生理的欲求は、モチベーション管理の観点からも意識したいポイントです。
たとえば、健康につながる取り組みや習慣を部署やチーム単位で取り入れることで、長時間労働や残業が日常化している社員のモチベーション低下を防げます。
また、個々のモチベーションが何に起因しているかを意識して役職や業務を割り当てることで、社員のモチベーションを効率的に管理することも可能です。
マズローの欲求に対する批判
マズローの法則は、人間の欲求について分かりやすく整理されており、マーケティングや社内マネジメントの領域でも活用できるものです。しかし、一部では画一的で整理されすぎているといった理由による批判もあります。
具体的には、マズローの欲求階層説では、人間の欲求の段階に高次・低次と優劣をつけている点が不適切だというものです。
また、マズローの欲求階層説は西洋の文化を背景とした理論であるため、その他の文化に適応しづらいといった点も問題視されています。
さらに、個々の欲求は取り巻く環境や価値観の違いにもとづくものであり、必ずしも段階的に一定方向への向かわないという意見もあります。
たとえば、同じ「働く人」でも、「お金を得たい人」と「自分の理想を叶えたい人」がいた場合、マズローの説に照らし合わせると後者の方が尊いことになってしまいます。この例の場合、「A or B」の話であり、決して「甲乙」の話ではないと分かるはずです。つまり、マズローの説では、人それぞれの価値観までは勘案されていないといえます。
欲求の段階は人により優先順位が入れ替わることも珍しくありません。「衣食住を後にしてでも、成功のために仕事に没頭する」「承認欲求が満たされなくても、芸術的な自己実現に邁進する」というケースは、往々にしてあるものです。
このようにマズローの説には検証の余地があるものの、マーケティングにおいてはシンプルで活かしやすく、実践的な理論といえます。そのため、「一概にはいい切れない」ことを念頭に置きつつ、マーケティングに活用するとよいでしょう。
まとめ
マズローの欲求5段階説は、現代社会に生きる人々のインサイトを考えるうえで大いに役立つ心理学的理論です。マズローが提唱した考えをベースにすることで、自社でのターゲット顧客層が抱えるニーズをより正確に捉えることができるでしょう。
またマズローの5段階説は、マーケティング戦略におけるアプローチだけでなく、組織マネジメントにも役立ちます。人間の欲求の本質が分かりやすく定義されているため、社内外のさまざまなビジネスシーンで積極的に活用しましょう。