新規事業開発の能力に「十分条件」は存在しない
冒頭、中原氏は「うまい新規事業の作り方の話はしない」と切り出し、「いかにして良い新規事業支援を受けるかという、あまり語られない問いについて話したい」と述べ、講演の視点を提示した。
この問いの答えを探る上で、まず理解すべきなのが新規事業開発の本質だ。コンサルティング会社や広告会社など、新規事業を支援する立場で意外と見落としがちなのは、新規事業開発に必要なケイパビリティ(能力)は何か。そして、その能力をいかにして社内外から調達していくかという点だ。
ただし、新規事業開発に必要な能力には「これだけあれば成功する」という十分条件は存在しない。MBAやビジネススクールで学べる知識、デザインシンキングやコンセプトメイキングといった手法も有用ではあるが、それだけで成功するほど新規事業は甘くない。
「新規事業=総合格闘技」と言われる所以は、良いサービスコンセプトを作る力や、それを成立させるビジネスモデルの設計、組織やチームを動かす力、マーケティングやプロモーションを展開する力など、幅広い能力が問われるからだ。つまり、新規事業開発は単一のスキルではなく、多様なケイパビリティを総合的に組み合わせて初めて実現できるものだと言えるわけだ。
「新規事業を立ち上げる際、必要なケイパビリティは非常に幅広いですが、それを社内の少人数チームだけですべて賄うのはほとんど不可能です。多くの場合、プロジェクトは数名から十数名規模で始まるため、外部からの支援をどう活用するかが重要になります」(中原氏)
オールラウンドな支援企業が生まれにくい理由
外部パートナーは、市場分析や競合調査など論理的・定量的な戦略部分に強みがあるコンサルティングファーム。サービスコンセプトやストーリーテリング、プロモーション施策など、訴求力や販促に長けている広告会社。AIやデジタル技術を活用した新規事業での技術支援が得意なIT・テクノロジー企業に大別され、それぞれの主戦場で新規事業の立ち上げを支援している。
ところが、どの外部パートナーも得意分野にはスポットライトが当たるものの、オールラウンドですべてをカバーできる会社はほとんど存在しない。これは、新規事業支援を手掛ける企業側の「ビジネスとして成立させなければならない」というジレンマに起因していると中原氏は述べた。
必要なケイパビリティのすべてをカバーしようとすれば、当然ながら事業のスケーラビリティは確保できない。そのため、サービス提供の効率化や市場における価値の明確化を考慮すると、支援企業は特定の分野へ特化することで、ビジネスをスケールさせるという構図になってしまうわけだ。
そのため、企業が新規事業を進める際は、各社の強みを理解し、どの部分を外部に委ねるかを戦略的に決めるのが重要になってくる。
広告・テクノロジー・コンサルの3つのケイパビリティを融合した「FusiONE」
では、博報堂DYグループではどのように新規事業開発を支援しているのだろうか?
新規事業支援サービス「FusiONE」では、単なるコンサルティングサービスではなく、企業の新規事業を支援する際に、デザイナーやクリエイターなど多様な専門家がチームに加わるプロジェクト型を採用。広告会社としての強みに加え、デジタル・テクノロジーに強い人材や、コンサルティングファーム出身のビジネスコンサルタントなど、異なるバックグラウンドを持つ人材を掛け合わせることで、「広告・テクノロジー・コンサル」の3つのケイパビリティをバランスよく融合させることを意識している。

だが、これまでコンサルは論理的に課題を解決し、広告会社はクリエイティブな力で課題を解決してきた。両者の融合を「言うは易し、行うは超難し」と中原氏は表現する。共通言語も文化も違うからだ。この点をどうクリアしたのだろうか?
同社が採ったのが、「パーセプションチェンジ(認識変容)」を起こすことだった。まず、コンサルと広告会社、両方のバックグラウンドを持つ「翻訳者」の役割を担える人材を意図的に配置。これにより、「コンサルは自分たちの価値を拡張してくれる存在だ」という認識をクリエイティブ人材側に醸成し、真の融合を目指したのだ。
「FusiONE」はアイディエーションや市場調査・マーケティングリサーチ、戦略や事業計画の策定からテストマーケティングなど、新規事業の構想段階から実際の事業拡大まで、一気通貫で支援できるサービスとなっている。一般的なコンサルティングサービスでは、市場調査から戦略策定を行い、そこからビジネスモデルや事業計画を作っていくという流れが基本だが、「FusiONE」では博報堂DYグループの強みであるクリエイティブ力や生活者視点を掛け合わせ、より実効性の高い新規事業支援を行っているのが特徴だと言えるだろう。
AIは人間の能力を拡張する「思考の補助輪」
もともと新規事業支援の市場には、「オールラウンドプレイヤーの会社がいない」という構造的な問題があった。ロジカルとクリエイティブを兼ね備えた人材は極めて希少だからだ。
この課題を解決したのがAIの存在だ。創造的かつユニークな発想や緻密な事業計画、市場規模の試算などをAIが補完してくれるようになった。AIの力を借りることで、「ひとりの傑出した人材」を探さなくても、オールラウンドな価値提供を実現できるようになったと言える。
このようにAIを導入する背景について、中原氏は「スケールとケイパビリティのジレンマを突破するための、事業戦略上の必然だった」と語る。AIは単なる流行のツールではなく、同社のビジネスモデルを根幹から支える重要な要素なのだ。
たとえば「FusiONE」が提供するサービスの一つ「バーチャル生活者」では、30代・港区在住・特定の趣味を持つ女性といった特定のペルソナを再現したAIがインタビューに応じてくれる。
実際の生活者へのインタビューを通してニーズや課題を探っていく際、どうしても何もない状態から深い本音を引き出すのは簡単ではない。そのため、何か新しいアイデアや企画を考えていく時に、まずはバーチャル生活者にインタビューを行い、「仮説を磨いてから実際の生活者に調査を行う“ゼロ次インタビュー”の位置づけになっている」と中原氏は説明した。
このように、ビジネスコンサルタントのロジカルな強みと、広告会社出身者のクリエイティブな発想力を同時に活かしたチーム体制のもと、AIを“思考の補助輪”として取り入れながらオールラウンドな新規事業支援に取り組んでいる。

AIが進化しても新規事業の成否は「パッション」が鍵を握る
セッションの最後に中原氏は、新規事業開発における重要な要素として「パッション(情熱)」を挙げた。AIやロジックを語った後になぜ情熱なのか?会場の空気を代弁するかのように中原氏は、精神論ではないと断言する。

「私たちは広告会社として、“人の心を動かす”ことを追求してきたからこそ、パッションは作るものであり、伝えていけるものだと思っています。『FusiONE』では、長年培ってきた情熱を社内外に浸透させるためのノウハウをもとに、パッションの生み出し方・伝え方に重点を置いたアプローチを行っています」(中原氏)
中原氏が示したのは、情熱を偶発的な産物ではなく、意図的に「作り、伝える」ための具体的な方法論だ。
一つが「自己説得(Self-Persuasion)」である。他者から与えられた論拠よりも、自ら考え出した主張のほうが、人は強い納得感とコミットメントを抱く。この心理的特性に基づき、「FusiONE」では答えを提示するのではなく、ワークショップ形式で顧客と「共創」するプロセスを重視する。事業担当者が自らアイデアを生み出す過程そのものが、プロジェクトを推進する当事者としてのパッションを醸成するのだという。
もう一つが「シンボルの力」だ。プロジェクト名やロゴといった「外向きのシンボル」は、メンバーの組織へのコミットメントとパフォーマンスに強い影響を与えることが研究で示されている。特に、プロジェクトの中心人物が命名に関わることで、事業への思い入れは格段に深まる。シンボルは、関係者の帰属意識を高め、パッションを伝播させるための強力な装置となる。
AIが思考を補助し、ロジックとクリエイティビティの壁が溶け合う時代。だからこそ、事業を最後までやり抜く原動力となる人間の「パッション」が、最終的な成否をわける。そしてそのパッションとは、精神論ではなく、人の心を動かす知見に基づいて設計できる戦略的な要素なのだ。新たな事業開発のあり方を力強く示し、中原氏は講演を終えた。
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