Q.会社を立ち上げるまでのキャリアを教えてください
私は宮崎県の出身です。ご存知かどうか分かりませんが、宮崎には民放のチャンネルが2つしかありません。
“月9”と言われる番組が放送されるのは、1週遅れの土曜5時。土5(どご)です(笑)。デジタルデバイドというよりも、メディアデバイドな状況で育ちました。大学から東京に来たのですが、最初に驚いたのは、チャンネルがたくさんあるなーということです。
そうこうしてるうちに、“衛星デジタル多チャンネル放送が日本で始まる”というニュースを見て、「絶対これを仕事にしたい! 宮崎を多チャンネル化したい!」と強く思うようになり、衛星放送を運営する会社に就職したいと考えるようになりました。
大学3年生の1996年に、衛星放送がスタートしました。運営していたのは、商社陣営とCCC(TSUTAYA)陣営だったので、その両方に就職活動をし、1997年に日商岩井(現 双日)に入社しました。
Q.日商岩井(現 双日)では、どのような業務に携わっていましたか?
就職活動中から“衛星放送を”と言っていたので、「メディア事業部衛星事業課」という、まさに希望どおりの部署に配属してもらえました。
チャンネルを運営する会社を複数立ち上げ、そこで役員を兼務させてもらい、会社運営も若いうちから経験させて頂けたのは大きいですね。もちろん、訴訟や事業撤退なども経験し、血尿時代もありましたが・・・(涙)。
衛星ってロマンがありますよね。地球の周りを一定の距離を保ってずっと飛んでる。そこから映像が降ってくるですよ。今考えても、すごい。
その後、所属していた本部が2000年4月にITXとして分社化し、私も転籍しました。
衛星関連事業も成長の一途で、IPOも実現し、落ち着いた段階で、ITXの株主であるオリンパスに2年間出向しました。オリンパスと聞くとデジタルカメラのイメージが強いですが、実は医療分野が強く、内視鏡分野では“世界シェア70%”という圧倒的な会社なんです。
私は医療は全く分からなかったのですが、医療事業企画に出向させてもらい、商品のライフサイクルマネジメントや、国内外の競業企業調査など、貴重な体験をたくさんさせてもらいました。学会などでは、体内の映像や手術シーンを皆さん当たり前のように見ているのですが、私はかなり薄目で見ていたのはここだけの話です…。
最後に出向したのがITテレコムという、数百店舗の携帯ショップの運営やブロードバンド回線の販売、メディア事業などを展開している会社です。当時、ITXの通信系子会社でした(先般ITXと合併)。
私はメディア事業の部署で、携帯ショップと購入するお客様を結び付けるための携帯サイトの立ち上げを担当しました。そこでの携帯サイトとユーザーを結び付ける難しさと面白さ両方の体験が、起業後の事業展開にも結びついています。
Q.独立した経緯を教えてください
周囲の先輩や後輩が起業・独立しているのを見ていて、自分でもやってみたいと思っていました。就職して10年というきりの良いタイミングで、携帯サイトとユーザーを結び付ける面白さを感じ、この世界をもっと広げてみたいという思いが募り、独立しました。
最初の1年は給料も出ず、車で1週間九州をぐるぐると回ったり、とにかく我武者羅に営業しまくったことを覚えています。「これがベンチャーだ」と妙な納得をしながらも、「いつか全国展開してやる!」と思っていましたね。
独立したのは31歳の時でしたが、年齢なんて関係ないってことですね。やってみたければ、やってみるしかないですから。