小林大三氏
1991年、株式会社リクルート入社。広報室、新規事業開発室、経営企画室などを経て、2007年にインターネットマーケティング局 局長に就任。2009年から、IT部門と融合したMIT( Marketing & IT )を担当。
マーケティングとITの融合は必然
青葉――米国ではマーケティングとIT部門の融合は進んでいると言われますが、MITという部署はどのようなことを行っているのでしょうか?
小林:MIT(Marketing & IT)は全社的なマーケティングとIT部門を統合した部署で、2009年に、デジタルマーケティングを担当していたIMO(Internet Marketing Office)と、全社共通のシステム部門のFIT(Federation of IT)とを融合する形で生まれました。マーケティングのスタッフが30人ほど、IT部門は約200人が属しています。
当社は事業部制を敷いていますので、当然それぞれの事業部にマーケティングチームがおりますが、事業部内で解決するのが難しいことや全社で集約した方が効果が大きいことなどを、MITで担当します。ITのスタッフは、各事業部の保守開発チーム、大規模なプロジェクトを担当するチーム、インフラとしてのITを担うチーム、それから全社システムの保守管理チームの4つに分かれています。最初に挙げた各事業部のITを担うスタッフたちは、それぞれの事業部のフロアに席を置いています。
青葉――なぜ、このような組織体制にされたのか背景や意図を教えてください。
小林:ひとことで述べるなら、必然的にこうなった、というところでしょうか(笑)マーケティングとIT部門が同じ部署にあるほうが仕事もスムースで、効果も高かったのです。
私は2007年ごろからデジタルマーケティングに携わっていたのですが、ちょうどその頃、ユーザーにリーチする手段としてバナー広告かポータルサイトとのタイアップが主流だったところに、サーチの技術が急速に入り込んできていました。
この変遷は、デジタルマーケティングの短い歴史のなかでもちょっとしたポイントだと思っています。バナー広告は、集客につながるクリエイティブな制作力、ポータル提携は好条件のタイアップを引き出す交渉力といった感性の勝負でした。
一方、リスティング広告などのサーチを活用した集客は、トライ&エラーを繰り返して、科学的に最適解を出していくことができますよね。そして日々の細かいチューニングを、どのように仕組み化・システム化していくか、という数値分析と運用の勝負になる。SEOもシステムの改修が伴います。つまり、マーケティングの在り方そのものが変わり、IT部門との連携が格段に重要になってきていたんです。
にもかかわらず、組織体制上はマーケティングとIT部門が分離していて、連携も決して密ではなかった。そこで、これはもう垣根を払って融合するべきだと判断し、MITが生まれました。
青葉――時代を先取りしたこの組織変革には、正直驚きました。融合には相当なパワーが必要だったのではないでしょうか。
小林:そうですね、もちろん多少の大変さはありましたが、基本的にはいまお話したことを皆が感じていたので、「なるべくしてこうなった」という感覚でした。そもそも、リクルートは昔から時流に応じて柔軟に組織を変えてきたので、そういう文化もスムースに移行できた背景にあるかもしれません。
デジタル領域では、他の部署と違い非常に高い専門性が求められます。そのため組織は変えても、以前のようなオールラウンダーを目指した人材の異動は見直すようになりました。これは、当社の臨機応変な姿勢を保ちつつ、さらに組織変更の効果を引き上げるために取り入れた方針ですね。