統合するからこそアトリビューションが問題になる
こうしてデータを統合していくと、購入などのコンバージョンに何が貢献したのかを包括的に判断する必要性が生じる。今までは単純にWebサイトにおける訪問(セッション)のみを考慮していればよかったが、データが統合された結果、複数の訪問、チャネル、キャンペーン、ブラウザ、デバイス、オフラインなど幅広く包括的な行動を分析しないと、判断を誤ってしまう。部分的な分析では矛盾する結果が出ることもある。
このように、「アトリビューション」は必然的に重要性が増した考え方であって、手法ありきで生まれて普及したわけではない。eMetricsでも各種プレゼンテーションの中で「アトリビューションが」と言及されることは多かったが、説明の中で普通の単語としてあっさりと使われていただけであり、「アトリビューションとは」「アトリビューションの考え方」などとアトリビューションを特別扱いしたトピックは皆無だった。
バズワードの背景を理解し、対話に参加しよう
「アトリビューション」も「ビッグデータ」と同様、米国の現場ではバズワードとして持ち上げられているわけではないのだ。考えてみると、「アトリビューション」は新語でも造語でもなく、単に英語で「帰結する」「配分する」などと言っているにすぎない。聞きなれないカタカナ用語を過信し、バズワード化して手法や概念が独り歩きしてしまうのは、日本での翻訳とコミュニケーションの問題でしかないのだろう。
そして、バズワード化した手法や概念を過信して、そのまま受け入れてしまうと、「実現が難しい」「改善の余地がある」「日本の現状に合わない」ことが明らかになってくる。次第に一時的な流行として忘れ去られていき、また新たなバズワードに注目が集まっていく。
このような循環は、そろそろ止めようではないか。日本の実情に合わなければ、合わせれば良い。改善の余地があるのなら、それを考え、実行しつつ世界に提案すれば良い。提案が妥当なら受け入れられるだろうし、妥当でなければ、妥当でなかったことが分かるだけだ。ここで閉じこもってしまうと、日本だけ独自の進化を遂げてしまう。
そもそもeMetricsのようなイベントは、新発見を一方的に発表する場ではなく、分かったことを叩き台として発表し、議論をする場と言える。アイデアは常に生まれ、議論され、進化していく。こういった場での意見表明が日本人として難しければ、質問するだけでも良いだろう。質問することによって、不明確な点が明らかになったり、新たな発見につながることもある。対話に参加し、方向付けに影響を与えることがコミュニティに参加することであって、聞いた話を翻訳して日本に伝えるだけでは不十分なのだ。
これまで何度もグローバルなイベントに参加してきたが、今回のeMetricsは比較的小規模なイベントだったため、そう思えることができた。eMetricsは年に何回か開催されている。ぜひ、日本からも参加し、対話に挑戦してみてほしい。筆者も対話に参加しつつ、議論の流れや現場の実情、温度感、未解決の課題、悩みなどを国をまたいで伝え、コミュニケーションしながら業界に貢献していきたいと思う。