場当たり的に対応してきたデジタル化を、一度まとめよう
「どのようにして、我が社はデジタル化していったのだろう?」この問いへの答えは、アーネスト・ヘミングウェイの言葉を借りると、「少しずつ、そして突然に」となる。
『ハッキング・マーケティング』の冒頭で、著者のスコット・ブリンカーはあらゆる企業がデジタルに巻き込まれている状況について、このように表現している。このヘミングウェイの言葉とは、小説『日はまた昇る』で、「どのようにして破産したのか」と問われた主人公が答えた言葉で、縁起でもない引用である。だが、これは実に的を射ているのではないだろうか。ソーシャルメディアマーケティングやコンテンツマーケティングなどが普及していく過程を経て、マーケターの日々の業務は、いつの間にかデジタルマーケティングにどっぷり浸かっている。
もはや個々のデジタルマーケティング手法を試していく段階は終わったのだ。これまでバラバラに活動していた個々のデジタルマーケティング施策を、すべて結びつける「糸」のようなものが必要なのである。つまり、マーケティング・マネジメントを考え直し、再構築すべきタイミングということだ。
では、それをどう考え、実行するのか。それが『ハッキング・マーケティング』のテーマである。
マーケティングは、もっといえばマーケターの仕事は、新しい段階に突入している。これまでは、従来のマーケティングチームとは別に、独立したデジタルマーケティングのチームが存在していた(今も別働隊になっている会社は少なくないだろう)。これがなぜかといえば、デジタルマーケティングに求められるスキルは従来のものと異なっていたため、従来のマーケティングチームとは違うタイプの人が集まっていたからだ。それぞれのチームの文化は異なり、常に一緒に行動するのは難しかった。さらに、デジタルマーケティングは傍流と見られていた。
しかし、(言うまでもないが)スマートフォンの普及によるネットへの常時接続、それにともなう優れたWebサービスやアプリの登場により、市場は一変した。デジタルはデジタルの世界にとどまらず、リアルの世界と混ざり合っている。ということは、マスもデジタルもマーケティングチームは一緒に行動すべきだという動きが出てくるのは自然なことだ。市場でリアルとデジタルが融合しつつあるのに、マーケティングチームがバラバラになっているわけにはいかない。
デジタルな世界の流儀はIT業界に学べ
すなわち、すべてのマーケターはデジタルマーケティングを行うだけでなく、デジタルな世界での「仕事の仕方」を身につけなければならない。これまでデジタルマーケティングに携わってきた人も、全体的なマーケティング戦略の中でデジタルを捉え直さなければならない。これは新たな挑戦になる。しかし、それはあくまでも「マーケターにとって」ということだ。
従来の仕事のやり方を、新しい(デジタルな)仕事のやり方に変えるために、マーケターよりも先に苦労してきた業界がある。デジタルビジネスを誰よりも先導してきた米国のソフトウェア開発の世界だ。この業界の知恵を借りて、マーケティングをハックすればよいのだ。
「ソフトウェア開発とマーケティングはまったく別のものだろう」と思うかもしれない。そのような意見はスコット・ブリンカーも想定していて、書籍では関連性を丁寧に解説している。いくつか紹介しよう。たとえば、以下のことはソフトウェア開発にもマーケティングにも当てはまる環境の変化だ。
- 戦略と事業運営のスピードが加速した。
- 少数の大規模案件から、継続的にカスタマー・エクスペリエンスを求めるようになった。
- 以前より直接的に顧客と関わり合うようになった。
- 実験やテストを行うようになった。
- 会社の他の部門と、より深く関わり合うようになっている。
- 成長のエンジンとして、イノベーションを推奨している。
ソフトウェア開発とマーケティングの苦い経験
ソフトウェア業界の苦い経験を少し詳しく見てみよう。かつてのソフトウェア開発は、最初に顧客の要望やソフトウェアの目的をしっかりヒアリングし、それを実現させるための手段をじっくり考え、綿密な開発計画を立て、実際の開発に移るという流れだった。しかし、これは愚かなことであると痛感することになる。クライアントは完成したソフトウェアを見るや否や、「こうして見てみると、ここは反対になっていたほうがいいな」などと言うのである。
何カ月もかけて開発してきたソフトウェアは、そう簡単に再設計・再開発はできない。苦労して作った成果物を捨てて最初から始めるか、「なんとかする」ために必死に働くというアプローチを取ることになる。このような経験から、ソフトウェア開発者は、事前の完璧な計画はフィクションであることに気が付いたのだ。
この例は何かに似ていないだろうか。大きなキャンペーンを市場で展開する前に、ペルソナを壁に貼り出して議論に議論を重ね、何が顧客の心に響くかを予想する。それにもとづき、キャンペーン用素材のデザインと制作を行う。ところがキャンペーンの発表直前になってステークホルダーからの横槍が入り、休日返上で対応に追われる。しかも、そうこうして発表したキャンペーンは、微妙に時流をつかみ損ねてしまうこともある。もうおわかりだろう。
実験と改善の高速なサイクルがイノベーションを生む
では、こういったことを経験して、ソフトウェア開発者はどのようにやり方を変えたのか。その一つは小さく速いサイクル(スプリント)で開発し、一定の成果物ができた時点でテストするという方法だ。フィクションの世界で話を進めずに、目の前にいる本物の顧客やステークホルダーにフィードバックをもらい、改善する。それも一度ではなく、繰り返し行う。書籍の副題にあるように、実験と改善の高速なサイクルを経て、イノベーションを目指すのである。
デジタルな環境が整ったおかげで、マーケターも同じことができるようになった(やらなければならない環境になった、とも言える)。すでにソーシャルメディアで事前にリアクションを測るような試みはしているかもしれない。それをしっかり戦略に組み込んで、組織的に行えるまでにする必要がある。それも、ソーシャルのキャンペーンやランディングページだけではなく、すべてのマーケティング活動に広げていく。小さな実験と改善の積み重ねは、失敗できない大型のキャンペーンでこそ真価を発揮する。
ペルソナの丁寧な議論が不要だとは言わないが、盲目的にこれまでの手法を続けている必要はない。顧客がマーケティング戦略にさえ影響を及ぼすような強い力を持つようになったのは、デジタルによるものだ。同様に、マーケティングもデジタルを使って顧客像を調整することができる。アプリやOSのように、ペルソナもベータ版を更新すればいい。
『ハッキング・マーケティング』では350ページにわたり、米国ソフトウェア開発の優れたビジネス手法とマーケティングを結びつける。既にソフトウェア開発で成功している手法であるので、それを取り入れることの失敗リスクは大きくない。この本は「実践的な考え方」に重きが置かれ、その方法をかなり具体的に紹介している。なかでも「スピード」に関することに最も多くのページが割かれている。
日々の業務を加速し、イノベーションを起こし、それを拡大していく。その近道は、IT業界の流儀を真似ることである。本書の目的と手段、主張は非常に明快だ。
マーケターのすべての仕事をデジタルな世界に合わせてアップデートするために、ぜひご一読いただきたい。