会話ベースなWeb文化を共有する
次に「作り手の文化の違い」についてです。動画自体がまだ黎明期なので、他業界の映像のプロと一緒に作る事が多くなります。CMなどの広告系か、ドラマなどのテレビ番組系になりますが、その道のプロがネット文脈を理解しているとは限らないので意識のすり合わせが必要です。
ネット文脈では、どれだけユーザーからのリアクションを想定して作っているか? という視点が欠かせません。たとえば人気Webライターの多くは「この文章をかけばどういうツッコミが入るか?」という事を想定しながら文章を練ります。
あまりツッコマれたくない箇所はあらかじめ断り書きを入れておいてツッコミを抑制しつつ、逆にツッコンで欲しい箇所はぼかし、ボケっぱなしにしてツッコミを誘います。テレビ番組などはボケとツッコミがセットですが、ユーザーのリアクションとの掛け合いで作るWebコンテンツは、原則としてボケかツッコミかの片方だけで構成します。ユーザーが発言する余白を作っておくことで、まるでコンテンツとユーザーがネット上で会話をしているような状態となるように想定して作ります。
尺の面でも、Web動画はCMとしては尺が長すぎ、ドラマとしては短すぎます。CMは映像表現に凝りますがストーリー性はないか、あっても弱いものです。ドラマはその逆。そのため、CMは絵コンテで作りますが、ドラマは脚本で作ります。
CMはコンテンツから商品への落とし方(キャッチコピーからタグライン)に慣れていますが、ドラマだとそういう発想は乏しくなります。このような作り手の文化に配慮して弱点を補強し、ネット文脈に置き換える必要があります。
オムニバスとドラマを組み合わせる
3つ目は「バズと感動のトレードオフ」。バズ狙いの動画の多くはオムニバス形式で作られています。「一本釣りではなく網をかける」とよく言うのですが、動画の場合は多くのネタを散りばめておいて、どれかがユーザーの心にひっかかれば良いと発想します。
オムニバス形式でコンテンツを細かく区切ることで、ユーザーはSNSでシェアする際にスナップを切り取りやすくできますし、見せ場が連続するのでユーザーを引き込みやすくなります。5秒に1回は興味を引かないと離脱します。反面、ストーリー性は弱くなりますし、長尺には不向きです。
ドラマ形式の物語では最初に謎かけがあり、それが解けるまで観客を離さないように構成します。長尺の中で伏線をちりばめて感動を作れますが、ネットで見るには冗長なのでSNSでシェアされにくくなります。
オムニバスとドラマはこのようにトレードオフの関係があるため、どう折衷させるかが重要です。私はそのまま「オムニバスドラマ」と呼んでいるのですが、オムニバス形式でかつ物語がある構成にすることを心がけています。

オムニバスでありながら、冒頭に謎かけがあり、途中に伏線があり、最後に謎がとけてオチがつくという構成で、笑いと泣きがあれば理想だと思います。
強くバズを求められればオムニバス色を強くし、逆に誘導数が多い前提で、深く刺さるものを求められたらドラマ性の方を強くします。目指すのがバズか感動かによって作り方も変わってきます。
バズか感動かの選択は、状況にも大きく左右されます。たとえば軍隊では戦力が少なければ忍者のようなゲリラ戦が有効ですが、戦力が十分であれば侍軍団のような正規軍でストレートに力押しをした方が良いでしょう。
動画でも、誘導費が十分ではない、つまり戦力が低い場合はバズ狙いで奇をてらった表現で奇襲するしかありません。そのため、ゲリラ戦は続いていますが、いい加減ネットもそればかりやっている時代ではないでしょう。
ゲリラ戦を打開するには、ドラマ性をどう掛け合わせるか、という中身の話と同時に、動画への誘導枠をどう作っていくか、という話にもなります。枠についてはメディアの話になるので今回は大きく触れませんが、アドネットワークで分散型メディアに配信する動画広告の作り方と、よりプレミアな配信枠で誘導する動画では作り方が異なってきます。
前者は短尺で単発でもウケるものしかできないですが、後者は長尺でシリーズ化を前提にしたものが今後制作できると予想しています。前者はより獲得的に、後者はよりブランド訴求に分かれるので、前者をWebCM、後者をブランデッドムービーといった風にラベリングして分類した方が良いでしょう。