運命を変えた一言「100円でええ」
そうして商売を続けるうちに、ある偶然が「100円均一」を生むことになる。
その日は、今にも雨が降ってきそうな怪しげな雲行きだった。当時の矢野氏は露天販売をしていたため、雨が降るなら店を出すのを止めるつもりでいた。しかしその後、思いのほか天気が回復し、晴れてきた。「まだ間に合う」と思い、大幅に遅れながらも予定していた売り場に向かうと、たくさんのお客さんが、今か今かと待ち構えていた。
トラックから荷を下ろし、開店準備を始めると、しびれを切らした客が次々に矢野氏のところにやって来る。そして段ボールを勝手に開けて「これ、なんぼ?」ときいてくる。矢野氏は慌てて伝票を探すがなかなか見つからない。思わず口をついて出たのが「100円でええ」。他のお客さんも同様にきいてくるので、「それも、100円でええ」と言い放つ。値札をつける間もなく商品が売れてゆく。こうして矢野氏が売る商品は「すべて100円」になったのだ。
それから「100円均一」で商売を始めた矢野氏は、お客さんから「安物買いの銭失い」などと言われたりもした。こうした言葉にショックを受けた矢野氏は、思いきり利益を度外視して商品原価を上げることにした。原価70円が当たり前なところを80円、ときには98円まで上げた。すると値段からは信じられないレベルの品質の良さが評価され、同業者の中で一番売れる店になっていった。
当時の大手スーパー、ダイエーと取引するまでにもなった。しかし中内社長の「催事場が汚くなる」との一言で出店停止に。大打撃だったが、矢野氏は「それならダイエーの客が流れるところで商売すればいい」と機転を利かせ、ダイエーのすぐ近くに自前の店舗を開くことにした。これが常設店舗のはじまりとなった。
100円ショップは多品種薄利多売の代表選手といえる。ダイソーを単なる「安売り」の店と思っている人も少なくないだろう。だが矢野氏は自らの商売をこんなふうに説明する。「100万円の車は安物だけど、100万円の家具は高級品ではありませんか。100円でも高級品を売っているんです」と。
ダイソーは、最初から「高品質だが100円」という厳しい制約を自らに課している。そうした制約がアイデア創出の原動力になっているのだ。
ダイソーの成功のきっかけは「偶然」だったかもしれない。だが、その偶然を活かし、顧客本位の工夫を重ねる努力があったからこそ今日の姿がある。そしてそれを可能にしたのが、矢野氏の「自己否定」をするほどの謙虚な姿勢であることは確かだろう。
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