社会にとって足りないパーツを作っていく
株式会社Moonshot 代表取締役 CEO 菅原 健一氏
Supership CMOとして、ブランド広告主の課題解決やアドテクノロジー、データドリブンマーケティングの啓蒙、事業展開を行う。スマートニュースのブランド広告責任者などを経て、Moonshotを創業。
一方、「キャリアに関して構想したことは一度もない」と断言する菅原氏。20代での強烈な経験が、仕事に対する姿勢を作ったという。菅原氏は高専を卒業後、携帯の着信メロディーサイトのシステムを構築する三井物産の子会社に入社。その会社で、着信メロディーそのものを作る孫会社の立ち上げ話が浮上したのである。
「システムを作る会社がエンタメを作るなんて無理だと反対されながらも、僕と部長、あと2人で、コンテンツプロバイダー業の会社を始めました。25歳で、自分のやっているプロジェクトが月商10億円。責任があって、とても楽しかったです」(菅原氏)
ところがその会社は、後に売却される。「会社はなくなるんだ」と気づいたことによって、会社に勤めるのではなく、プロジェクトベースで仕事をする姿勢をもつようになった。
その後は、2~3年ごとに転職を繰り返す。どのような節目で、新しい環境に飛び込んでいったのだろうか。
菅原氏は「転職先から相談された悩みを、解決できたタイミング。職場に『はまらなかった』時や、役に立たなかった時に辞めた、ということもありました。早めにうまくいって、つまらなくなったケースもありますね」と振り返る。

しかし転職先に馴染むかどうかは、身を投じてみるまでわからない。「ジョブマッチングができていない会社」に入社してしまったこともあり、幸福度は上下を繰り返していたという。
菅原氏が「いちばん思い出深いキャリア」と語るのは、SupershipのCMO時代。会社を売却するという初めての経験をする中、4ヵ月間、毎朝4時まで働いていた。売却が会社の成長や従業員の幸せにつながるのかを考え続ける、タフな日々だった。
現在は自身で会社を立ち上げ、デジタルマーケティングに限らず幅広い企業支援を行っている菅原氏。30歳を過ぎた頃から、仕事をする上で「世界にとって自分は何を担当する係で、どう役に立っているのか」を考えるようになってきたと明かした。
「自分のことを考えているというよりも、社会に足りないパーツに所属したり、パーツを作ったりという意識。それって精神的な充足感がすごく大きくて、嫌な仕事ってない。世の中のためになっている実感もあります」(菅原氏)