ピザ注文の約6割がオンライン経由に
去る8月10日、Twitter上ではピザハットとカー用品のイエローハットとの“ハット”つながりのやり取りから「ピザハットのハットは帽子(hat)ではなく小屋(hut)だった!」との衝撃の事実が明らかになり、ネットを超えてテレビの情報番組でも取り上げられるほど話題になった。日本ピザハット マーケティング部の薮内浩平氏はその反響に驚いたそうだが、「それだけ当社についての詳細が知られていないということ。宅配ピザ自体が日常に浸透しているだけに、なかなか特定ブランドを想起してもらうのが難しい」と、業界全体の課題を語る。
生活者のデジタルシフトにともなって、ピザハットでも年々オンライン経由の注文が増えており、現在は平均6割、都心型の店舗だと日によっては9割がオンライン経由だという。一度オンライン経由で注文すると、メール登録を経て「ピザハットオンライン会員」となるが、メールのオプトイン表明をしている人は約350万会員中の半数で、開封率は一般的なメルマガ同様10%未満に留まる。
学生時代の店舗アルバイトから正社員となり、2015年からデジタルマーケティング課でCRMに携わる薮内氏は、近年「メールマーケティングの限界」を感じていたという。
「そもそも宅配ピザを普段から購入する人でも、その回数は平均すると年2~3回です。当社では新規獲得を目的とするチームは別にあるので、CRM担当チームでは既存顧客のリピート促進にフォーカスしていますが、メールが頭打ちの状況では、それ以外のチャネルでの訴求が急務となっていました」(薮内氏)
「Salesforceは高額」の誤解
そこで昨年6月に導入したのが、セールスフォース・ドットコムが提供するMA「Salesforce Marketing Cloud」(以下、Marketing Cloud)だ。以前から使っていたメール配信ツールは従量課金制で、1通のメールを執筆・設定するのに3時間ほど、ABテストをする場合その倍の時間を要し、配信セグメント抽出もIT部門に依頼しなければならなかった。そこで、ツール自体をフルスクラッチで開発して完全移行したものの、今度は機能拡張のための開発にコストがかかるのがネックになってしまっていた。
「正直、八方ふさがりの状況でした。一方で異業種を含めたBtoC事業において、MAツールを導入して大きな成果を上げているという話を聞いていたので、ここはいったんリセットして、新規にMAツールを導入できないかと考えました」(薮内氏)
注目すべきは、社内稟議の通し方だ。業界での立ち位置などからも、マーケティング部に新たに予算を獲得するのが難しかったため、薮内氏は「既存のツール開発・運用予算の範囲内で収める」と経営陣に申告した。複数のMAツールを検討した後、最終的にMarketing Cloudを導入することになるのだが、実は最初は候補にすら入っていなかったという。
「“Salesforceは高額”という印象をもっていたので、当社の予算からも、CRM担当チームが私含めて3人という規模からも、まったく身の丈に合わないと思っていました。そんな折にセールスフォースの担当者さんと話す機会があり、予算内で導入可能と判明しました。シミュレーションもたくさん提案いただき、その熱意も導入の大きな決め手になりましたね」(薮内氏)
メール経由のセッション数は1.2倍、売上も向上
元々、メールマーケティングに限界を感じていたピザハット。Marketing Cloudを導入して、メール以外のチャネル開発に目を向けたものの、最初に成果が上がったのは意外にもメールでのアプローチだった。前述の「メール1通の準備に3時間かかる」という問題は1時間未満に、またABテストの実施についても、件名だけのテストであればわずか3分で済むという、劇的な効率化が図れたという。
以前はテキスト、画像、配信設定など個別の管理画面の操作が必要だったが、Marketing Cloudの管理画面に一括されたこと、またその機能性の高さから「本当に気軽にABテストを実施できるようになり、効果のあるほうに寄せるのも簡単なので、同じ作業量やコストの中で売上貢献を引き上げられている」と薮内氏。
さらに想定外の効果も得られた。以前導入していたツールでは、業者サイドが共通IPアドレスを使っていたことからメール受信が拒否されていたケースも多かったのだが、Marketing Cloudでは1社につき専用IPアドレスが複数付与されるため、そもそもの配信成功数が向上したのだ。
加えて、メール配信数に関しても従量課金ではなく、年間でピザハットが配信見込みとする一定の数を定額とするようなカスタマイズを適用したため、むしろ配信費用は減額。かつ、以前と同じセグメント抽出でもIPアドレスの関係で到達数が増えたため、CV数も向上し、メール経由の売上は前年比115%に向上した。
併せて、管理画面が集約されたことで、運用の属人化も解消したという。CRMチームの皆がMarketing Cloudを使えることで、メンバー間でのナレッジ共有もスムーズになった。
アプリのプッシュ通知によってCV数1.4倍
特にABテストに関して収穫が大きかったのは、コンテンツの最適化だ。たとえば以前は、“コンシェルジュ”からのメッセージ文章をメールの冒頭に入れていたが、そうするとメイン画像やクーポンがファーストビューから見切れてしまう。「“読んでもらう”のではなく、まず“見てもらう”ことに絞るべきでは?」と考えた薮内氏は、思い切ってテキストを割愛し、画像訴求に絞ったメールを配信。その結果、クリック率が1.2倍向上したという。これまで入れていたテキストの執筆もCRMチーム内で手掛けていたため、工数の削減にもつながった。
メール以外に、アプリのプッシュ通知やSMSを介した売上も目に見えて向上している。数年前にアプリを開発していたものの、当初は全体の売上構成で10%以下だったことから積極的な活用に至っておらず、プッシュ通知もできていなかった。
「Marketing Cloudを導入し、アプリの活用状況データも一元化したら、実際にはアプリ経由の注文がメールや電話よりも高かったんです。まさに、眠っていた資産だったと思いました」と、薮内氏。プッシュ通知を開始したところ、CV数が1.4倍になり、大きな売上増につながった。また数値での成果に加えて、「アプリを開くきっかけを作ることが大事だろう」というこれまでの仮説が検証でき、手応えがあったという。
膨大なデータの可視化で発想の幅が広がる
加えて、Marketing Cloudの導入を機に、SMSでのプッシュ通知も開始。メールを送れない、または開封されない顧客に対する新たなチャネルとして効果が現れている。紙のDM送付コストが1通60~70円であることを考えても、SMSはコスト効率が良いという。
メールに加え、アプリ、SMSと伸び調子のオンラインで多様なチャネル展開が可能になったことに加えて、Marketing Cloudの導入で副次的な効果もあった。そのひとつが、データベースとしての活用だ。これまでは、いち顧客について氏名や住所などの個人情報、都度の注文内容があり、それが顧客の数だけあるという膨大な量のデータのポテンシャルを引き出せていなかった。
「『このセグメントで切って』とIT部門に依頼するものの、そもそもそのセグメントでいいのか、仮説の精度自体が高くありませんでした。またIT部門からのレスポンスも『指示通りに切った』というものにとどまり、それ以上にならなかったんです」と薮内氏。
それがMarketing Cloud上にデータを一元化したことで、マーケティング部内で顧客のデータを見ることができるようになったため、パッと思いついたセグメントを作成してみたり、この顧客が本当に優良顧客なのかを確かめたりといったことが、簡単にできるようになった。それまでは、どのような情報が紐付いていたのかわからなかったが、データの可視化が可能になったことで、そこから新たなセグメントを見出せるようになり、発想の幅がぐっと広がっているそうだ。
「お客様のための活動」を見失わずに
Marketing Cloudを活用してオンラインチャネルを拡大しただけでなく、既存のデータのポテンシャルを引き上げ、さらにチームの人的リソースも最大限に活かせるようになった。導入から1年半が経ち、目に見えて成果が現れている状況だが、それでも薮内氏は「まだMarketing Cloudの機能を2~3割しか使いこなせていないと感じる」と話す。
たとえばソーシャルメディアだと、今は別の担当者が専用ツールを使って運用しているが、「Social Studio」に一元化できるのではないか? カスタマージャーニーの観点では、「Journey Builder」も使いこなせていないので、チャネル横断だけでなくメール内でも分岐させて、もっと数多くのシナリオを作ってPDCAを回せないか? ……と、日々次なる活動のアイデアが生まれている状況だ。
冒頭で紹介したように、以前のツールで行き詰まりを感じ、フルスクラッチでのツール開発にまで挑戦していたピザハット。試行錯誤の上にようやく自社にマッチするマーケティング基盤を整備できた今、薮内氏は改めて「“お客様に喜ばれる”ための活動をしているんだと見失わないようにしたい」と実感を語る。
「ツールや施策はあくまでその手段ですが、以前はそこに手間取ってしまっていました。今後は今まで以上にマーケターの発想力を大事にして、お客様にとっての価値提供に注力したいと思います」(薮内氏)
カスタマージャーニー研究プロジェクトチームのコメント
大島:MAの導入で「施策の実行がしやすくなった」という同社は、ABテストによるメールコンテンツの最適化や、アプリのプッシュ通知など、地道な改善によって着実に成果をあげています。特徴的なのは、データを基に消費者の利用状況の変化を想像し、消費者の行動に合わせた施策を実施していること。同社の施策がきちんと成果につながっているのは、“お客様に喜ばれる”ための活動が、受け入れられている証拠に他なりません。少人数のチームであっても、ツールが“施策実行に対する足かせ”を外し、マーケターが発想に専念できるという、まさに理想的なケースと言えるでしょう。
安成:どんなに高機能なツールを導入しても、活用して成果が得られるかは別の問題です。「メールマーケティングの限界」を感じながらも、それを乗り越えるために既存の仕組みをリセットし、新たなMAツールとしてMarketing Cloudの活用に挑戦したピザハットは、変化と引き換えに劇的な効率化と大きな成果を手に入れました。自社の常識や過去の成功体験に縛られずに、仮説検証に挑む姿勢が、同社が成功した要因の一つでしょう。今後も「お客様のための活動」に向けて、同社がどんなアイデアを実現していくのか、目が離せません。
カスタマージャーニー研究プロジェクトとは?
「カスタマージャーニー」、顧客の一連のブランド体験を旅に例えた言葉。デジタルやリアルの接点が交差し、顧客の行動が複雑化する中、「真の顧客視点」に立って、マーケティングを実践する重要性が増してきました。
カスタマージャーニーに基づいたマーケティングの必要性は、その認知が進む一方で、「きちんと“顧客視点に基づいたシナリオ”を作成し、運用できている企業はまだまだ少ない」多くのマーケターに意見を聞くと、そのように認識されています。
今回、安成率いるMarkeZine編集部とセールスフォース・ドットコムでB2Cカスタマージャーニーシニアスペシャリストとして、データに基づいたカスタマージャーニーの設計・検証・再現などを追求してきた大島彰紘氏を中心に、共同でカスタマージャーニー研究プロジェクトを立ち上げました。本プロジェクトでは、「顧客視点のマーケティング」における成功例を取り上げ、様々なアプローチ方法をご紹介していきます。その他の成功例はこちら。