「ザルで水は汲めない」既存顧客フォーカスのビジネスモデル
老舗通販企業であるディノス・セシールが、この数年でデジタル化に拍車をかけている。半世紀にわたって培ったリテンションビジネスのノウハウと顧客基盤を強みとしながら、多様化する顧客の情報接触に合わせて、オンラインとオフラインのチャネルを幾通りにも組み合わせたアプローチを展開。デジタルに関わる社内の各専門チームと連携し、またMD部門から豊富な商品知識を吸い上げて、コンテンツの精度を高めている。ディノス事業において昨年開始した、ECサイトでカート放棄した顧客へ該当商品を印刷したハガキDMを届けるという、同社ならではの斬新な施策も好調だという。
硬軟織り交ぜて部門間をつなぎ、一連の動きを推進しているのが、同社CECOの石川森生氏とディノスEC企画部の原義隆氏だ。石川氏は経営企画を含む8部門を兼務しながら、常時複数のプロジェクトを展開。一方で原氏はエンジニアを含む計4人のEC開発チームの中心メンバーとして、システムやマーケティング、MDなど各部門を手分けして横断しながら日々の施策の立案と実行を担当している。ディノス事業においてデジタルマーケティング全体を把握し、ハンドリングするのは両氏を含め数名という、少数精鋭の体制となっている。
新規向けの施策は粛々と回す傍ら、同社が以前に増して追求しているのは、元々のビジネスモデルでもある既存顧客の基盤を維持し拡大する方向だ。「いくら蛇口の水量を増やしても、ザルでは水は汲めない」と石川氏。デジタルの進化によって、購買を含めた顧客データを最大限に生かせるようになったことから、既存顧客へのアプローチに注力している。
商品起点のアプローチが結果的に“個客”化した
各ユーザーに最適なチャネルやコンテンツ、さらにタイミングまで図っていく「人」起点のパーソナライズ施策に注目が集まっているが、同社が起点としているのは「商品」だという。当然ながら、一度でも購入して顧客化したユーザーに関しては、潜在ユーザーと違って「購買した商品」という重要なデータが獲得できている。多くの商品群からいずれかの購入を機に顧客になったユーザーに、その商品のストーリーや適切な使い方、ケアの仕方を伝えていく。同時にその商品に関連してアップセルやクロスセルを提案する、といった形だ。
特徴的なのは、関連する商品をすぐにレコメンドするのではなく、関連商品が欲しくなる時期を見極めてレコメンドする、という点である。たとえば、海外ブランドのスティック型掃除機を購入したユーザーのなかには、後日、掃除機を立て掛けて収納するためのスタンドを購入するという特徴が見られた。というのも、海外製のものは壁に穴を開けて掃除機を立て掛ける仕様となっており、賃貸物件が多い日本では収納に困るケースも多かったのだ。そこで、同社はスティック型掃除機を購入したユーザーに対し、スタンドが必要となるタイミングでレコメンドを実施。その結果、スタンド購入数が増加したという。
こうしたアプローチは、「大型モールがひしめく今、ディノス・セシールが提供する価値は何であるのか?」を突き詰めた答えに発端している。
「当社の通販事業は、日本で最安値でも、最速で届けられるわけでもありません。当社の強みはそういったものではなく、お客様との長い付き合いの中で培った、かゆいところに手が届く“きめ細やかな提案やフォロー”なのです。お買い物がもっとハッピーな体験になるように寄り添う“目利き”が僕らであり、存在価値だと考えています」(石川氏)
昨今では“個客”という言い方もされるが、同社では必ず商品を通して顧客との関係性が成り立っているため、顧客と商品を常に紐付けて捉えている。「もちろん、一人ひとり購入する商品が違うので、顧客側の状況も踏まえると最適な内容やチャネルは個々人で異なります。商品にフォーカスした結果として、適度な粒度でのパーソナライズにシフトしているのが現状です」と原氏は解説する。
バイヤーの「知識・熱量」という眠れる資産
商品にフォーカスすると言っても、非常に多くのアイテムには、それぞれの豊かなバックグラウンドがある。商品の適切な使い方やストーリーを施策に落とし込むには、バイヤーの存在が欠かせない。バイヤーが有する膨大な知識や熱量を引き出し、ストーリーに落とし込むのは機械に置き換えられないアナログな作業になるが、こうした生きた情報は強力な武器となる。
ディノス・セシールは、こうした眠れる資産と、個々の顧客が求めている情報とのマッチングの精度を高めるため、1年半前にマーケティング基盤として「Salesforce Marketing Cloud」(以下、「Marketing Cloud」)を導入。現在、大きく分けて2種類のシナリオを走らせている。
ひとつは、カート放棄やブラウザ離脱など、EC運営において定石とされる施策。とはいえ、同社の場合は前述のように、カート放棄後にメールなどオンラインチャネルでアプローチした上で反応がない顧客に対し、One to Oneで紙のDMを郵送しているのが極めてユニークだ。
もうひとつは、個別商品にフォーカスした施策だ。簡単な例でいうと、包丁を購入した顧客に対し、しばらく後にメンテナンスの重要性や活用方法を伝えるとともに、砥石やシャープナー、相性の良いキッチン商品を提案するメールを送る、といった内容だ。一見シンプルだが、それだけにありきたりなレコメンドだと顧客の側も耳を貸さない。ここに、バイヤーの知識と熱量が生きてくるのだ。
シナリオのアイデアを即実行できる仕組みを設計
実際、個別商品にフォーカスしたアプローチはターゲット母数が限られるため、属性などで区切ったセグメント配信に比べて売上額は少ないものの、開封率は3~4倍、CTRは+30%もの成果が出ているという。
「『Marketing Cloud』のようなMAツールを導入していると、あらゆるアプローチを効率化、自動化しているのだろうと思われがちですが、実態はとても地道で泥臭い作業の連続です」と原氏。適切なターゲット抽出と配信、スピードの向上や、マーケティングのインスピレーションを与えてくれるデータベースの操作性は「Marketing Cloud」が同社のマーケティング基盤になり得た理由だというが、「シナリオ設計だけは人の頭を使ってやるしかありません。一度、精度の高いシナリオを構築できれば、その後はチューニングをしながら効率的に運用していけるメドは立っているので、今はまさに仕込みの時期です」と続ける。
現在は原氏の所属するECチームの調整の下、商品の特性や背景がお客様に伝わりやすい商品からマーケティング部とMD部、またコンテンツ制作を手掛けるチームなどと連携してストーリーに落とし込み、地道に実装、配信まで漕ぎつけている。一方、この方法の積み上げでは数が限られてしまうため、商品名と品番、訴求メッセージさえ準備すれば、翌日にも設定したセグメントにメール配信を開始できるテンプレートも「Marketing Cloud」内で設計した。
メールからLINE、紙のDMまでチャネルを横断
同社は、この仕組みをマーケティングやMDなど、他部門にも共有。積極的にアイデアを寄せてもらうよう呼び掛けて、ECチームのCRMの発想を適宜織り交ぜながら実行しているという。「ツールの技術面や細かい設定を完全に理解しなくても、『こういう訴求なら響くのでは』というアイデアを共有してもらい、すぐ形にできるようになったのは大きいですね」(原氏)
いずれのシナリオも、顧客が受け取りやすい形式やタイミングで情報を提供する、チャネルを横断したアプローチを順次展開している。まずメール配信、メールが開封されなければLINE、それも届かなければ紙のDMを郵送する、という流れだ。
「かつては我々のタイミングでシーズンごとのカタログを送り、それが購買のトリガーになっていました。ですが今、購買のトリガーは完全に顧客の側に移っています。その状況下で、当社都合で『このチャネルでしか情報を届けられない』というのはあり得ない」と石川氏。「Marketing Cloud」を本格稼働して1年ほどで、開封率やCVRは確実に向上しているという。それだけ、受け取った人が価値を感じ、次のアクションを起こしていることがわかる。
ちなみにカート放棄や個別商品購入後にオンラインでリーチできない場合、デジタルプリンティングも「Marketing Cloud」と連携しているため、One to OneのDM制作まで一気通貫で回るようになっている。そのため、Journey Builderによって顧客のアクションに応じた、オフラインも含めたチャネル横断のシナリオを自動的に走らせることができるというわけだ。その仕組みの構築には、システム的な難しさ以上に、部数によって単価を管理している従来の印刷会社との商習慣を変えることに大きな苦労があったそうだ。
ツールをハブに、施策に“血が通った”
実は「Marketing Cloud」の導入と運用によって、社内のデジタル意識の向上と部門間コミュニケーション量の向上という副次的な効果もあった。前述の“デジタルツールで効率化が叶っていると思われがち”なのは、対外的にだけでなく、社内的にも同様だという。オンラインのみで購買が完結する顧客も増えてはいるが、今でも年間2億部ものカタログを発行している同社の軸足は、まだオフラインベースのビジネスにある。
だからこそ、「半ばポジショントーク的だが、『デジタルは魔法の杖ではない』と言い続けている」と石川氏は明かす。
「MAツールをただ導入するだけでは無理ですが、それをインフラとして、MDの頭の中にある商品に関するナレッジを吸い上げるスキームが生まれれば、MD側の意識が変わるはずだと思っていました。実際、部門間のコミュニケーションが活発になり、それがお客様へのアプローチの充実につながっています」(石川氏)
原氏も「MDとマーケティング部門を交えてコンテンツや伝播の仕方を考えるようになって、商品の魅力をより掘り下げて伝えられるようになってきています。見えやすいデジタルの数字から施策を企画しがちだったECチームも、個別商品に注目するようになり、新しいアイデアがどんどん生まれています。『Marketing Cloud』がハブになって、デジタルと人の知恵が融合した、血が通った施策が実現できるようになってきました」と語る。
少人数ながら、デジタルを発端とするマーケティングを全社的な動きへ展開できるよう挑戦しているディノス・セシール。テクノロジーの力を最大限に生かしながら、それに甘んじず、原氏の言葉を借りれば“泥臭く”アナログな強みを掛け合わせて顧客への価値提供に努める姿勢が強くうかがえた。
カスタマージャーニー研究プロジェクトチームのコメント
大島:バイヤーの持つ膨大な商品知識から「消費者が本当に必要になる瞬間」を見出しシナリオに落とし込んでいるという点は、一般的なレコメンドを超えた独自性を感じます。ツールに詳しくない人からもアイデアをもらえるように仕組み化しながら、人が考えるべきこととツールで実現することの区別が徹底されています。「チャネルが限定されるのはあり得ない」としてチャネル横断を実現するなど、“顧客に提供すべき自社の価値”を追求する姿勢と実現する情熱について、見習うべき点の多い事例です。
安成:WebサイトからDMまで、デジタル×アナログのチャネルを横断したOne to Oneマーケティングの実現は、多くの企業が長年向き合っている課題です。「Marketing Cloud」をハブに、購買を含めた顧客データの施策を実践しているディノス・セシール。その真の強みは、マーケティングプラットフォームの基盤を整えた上で、“商品起点”という自社ならではのカスタマージャーニーを描き、シナリオに落とし込んだ施策を高速で実行している点です。カタログ通販というオフラインベースのビジネスに軸足を置く同社が、引き続きどのようにデジタルと人の知恵を融合した施策を実現していくのか、楽しみです。
カスタマージャーニー研究プロジェクトとは?
「カスタマージャーニー」、顧客の一連のブランド体験を旅に例えた言葉。デジタルやリアルの接点が交差し、顧客の行動が複雑化する中、「真の顧客視点」に立って、マーケティングを実践する重要性が増してきました。
カスタマージャーニーに基づいたマーケティングの必要性は、その認知が進む一方で、「きちんと“顧客視点に基づいたシナリオ”を作成し、運用できている企業はまだまだ少ない」多くのマーケターに意見を聞くと、そのように認識されています。
今回、安成率いるMarkeZine編集部とセールスフォース・ドットコムでB2Cカスタマージャーニーシニアスペシャリストとして、データに基づいたカスタマージャーニーの設計・検証・再現などを追求してきた大島彰紘氏を中心に、共同でカスタマージャーニー研究プロジェクトを立ち上げました。本プロジェクトでは、「顧客視点のマーケティング」における成功例を取り上げ、様々なアプローチ方法をご紹介していきます。その他の成功例はこちら。