前提を疑い、混乱を秩序に導く 方法化された「編集」の可能性
谷古宇 編集工学研究所では、情報編集のプロセスを可視化し、方法化していると述べました。属人化しがちな情報編集のプロセスを方法論として整理し、訓練次第で誰でも活用できるようにすることで、少人数でも大きな仕事をこなすことが可能となっています。たとえば、大学生に図書館をもっと利用してもらうために、図書館の空間設計から携わるといった仕事も情報編集の仕事です。社会の課題を解決していくことは、ウェブの記事や雑誌の編集を行うことと、コアの部分の考えかたやスキルという意味では、大きな違いはありません。
石川 考え方としては、本質をとらえるクリティカルシンキングに近いのでしょうか。それを編集という仕事に置き換えているということですか?
谷古宇 自分たちが思いもつかないようなアイディアを、いかに発見していくかの挑戦と言っていいのではないでしょうか。アイディアというのは、情報と情報の関係性、つまり、情報の「間」で生まれてくるものです。そんなアイディア創発のプロセスを編集者は無意識のうちにいくつも頭の中で走らせています。
そもそも、ライターや編集者として活躍するためには、「スキル(or capability)」と「素質(or ability)」のふたつが必要です。スキルは、アイディアの創発力、企画書作成力、時間管理力、プロジェクト管理力、記事構成力、文章力といったもの、素質は、非常識を恐れない胆力、旺盛な好奇心、際立った社交性、並外れた行動力、強固な信念、異様なほどの粘り強さ、驚異的な論理構築力と論理破壊力、礼儀に対する正しい認識といったものです。
「スキル」と「素質」は、自分でメンターを探し、その人が仕事で実践している「型」を自分なりに体系化し、自分の仕事に応用しながら、自分なりに少しずつ改善していく過程で身についていくと思います。少なくとも10年くらいかかるのではないでしょうか。大切なのは「自分で」やることです。
また、編集工学研究所が運営する「イシス編集学校」では、たとえば「このコップを10通りの言いかたで言い換えてください」といった課題に取り組みます。目の前のコップが、本当にコップなのかを疑い、類推を繰り返し、情報をスライドする。
石川 文章力やプロジェクト管理力だけでは編集者として活躍できないということですね。よくわかります。私も立場上、後輩の指導にあたりますが、赤入れの技術やマネジメントスキルを教えるだけでは不十分だと感じています。
編集者の仕事は、サイトのSNS運用やデザイン変更といった部分にまでおよぶこともありますし、谷古宇さんのおっしゃるとおり、ひとつのスキルや素質を磨いただけでは対応できない場面も出てきます。そのため後輩には、自身の仕事を編集者という言葉で定義するのではなく、さまざまな場面において自分自身で何をすることが最善なのかを常に考えるようにしてもらっています。
そういった意味でいうと編集者には、クライアントに理由を説明するためのプレゼンテーション力が求められるときもあると思います。このスキルはどのように身につけたらいいのでしょうか。
谷古宇 基本的なことですが、本をたくさん読むこと。情報同士をつなげていけるようにすること。それによって、関心領域が拡大するかもしれません。もし、関心領域が拡大すると、読むべき本が増えます。つながる情報の量も増える。すると、ユニークなテーマや問題意識が醸成される可能性が高まります。
その結果、情報同士のつながりの質が“突然変異”するかもしれません。それは独自の視点を育てる種になるかもしれないし、物事の新しい側面を発見する端緒になるかもしれない。「かもしれない」ばかりですが、こればっかりはやってみないとわかりません。
具体的なプレゼンスキルを磨くのはその後でよいのではないでしょうか。それこそ、ノウハウ本はたくさんありますし、お手本になる方も多くいらっしゃいます。
石川 本によるインプットを増やしながらテーマを持って読むことにより、まずは自分の考えをはっきりと認識することが大切ということですね。
谷古宇 「読む」という編集的な行為の鮮やかな切断面を提示した本として、最近では『小説の自由』(保坂和志/新潮社)、『ニッポンの小説』(高橋源一郎/文藝春秋)の2冊が印象に残っています。
編集的な行為の「書く」側面では、昭和ひと桁生まれまで(一部、昭和10年、11年が含まれていますが)の、夏目漱石、山田風太郎、司馬遼太郎、丸谷才一、澁澤龍彦、久世光彦、蓮實重彦といった方々の日本語の使い方がたいへん素敵だと思っています。
「書く」技術に関する実践的な指南書としては、尾川正二の「原稿の書き方」(講談社現代新書)がおすすめです。ダメな文章がどうしてダメなのか、その理由をわかりやすく解説しています。