ECブランドが理解すべき「マーケティング手法の違い」
博報堂内でECのコンサルティングチームの立ち上げにも参画してきたHAKUHODO EC+の桑嶋剛史氏は、近年、消費者のコマースをめぐる環境が大きく変化していると解説する。
「特にこの数年、新型コロナウイルスによるパンデミックという事態を受けて、日本においてもECが主戦場となりました。この事態を引き起こした要因の一つ目は、オンラインへの心理的障壁がなくなった消費者の『意識』の変化であり、二つ目は、スピーディにオンラインコマースを始められるようになった事業者の『環境』の変化です」(桑嶋氏)
不要不急の外出を減らし、買物に行く頻度も減らすようになった生活者が、購入場所をオンラインに切り替える動きが加速。それによってオンライン購買が「日常」になったと桑嶋氏は言う。また、様々なオンラインコマースの登場により、それらを下支えするシステム面も大幅に変化することになった。その代表格ともいえる「Shopify」が、ECカートシステムをアプリ操作のような簡単さで実装できるようにした影響も大きいと同氏は言う。
そうした環境変化により、自社チャネルの開設、モールマーケティングの強化、D2Cブランドの開発といったECビジネスへの熱量が加速する一方、競争が激化し、既存マーケティングとの違いに各社が苦戦しているのもまた事実だという。
「最も重要な点は、オンラインとオフラインではマーケティング手法が大きく異なること。その違いをきちんと作れたかどうかで、ECビジネスの成否は決まってきます」(桑嶋氏)
従来型のデジタルマーケティングといえば、顧客と直につながり、すべての活動を数字で管理するダイレクトマーケティングがメインだった。だが、今は間接的に顧客とつながり、ともにブランドを形づくりながらマスへと広めるブランドマーケティングとの「接合点」が求められていると桑嶋氏は言う。
「今のECブランドに求められているのは、一つの手法や目先の数字に引っ張られることなく、 生活者の声にきちんと目を向けることです。そこで我々が推進するのが、オンライン・オフライン双方のユーザーの声を聞きながら、“一緒に”ブランド体験を創っていく『生活者共創型』マーケティングです」(桑嶋氏)
生活者に参加してもらう「共創型マーケティング」の三原則
桑嶋氏は、生活者共創型マーケティングに必要なこととして、次の三原則を挙げる。
- ユーザーが「参加したくなる」ブランド設計を行う
- 顧客の声を常に聞き、事業に反映する「仕組み化」
- 積極的にファンを「エヴァンジェリスト」に育てていく
一つ目の「ユーザーが『参加したくなる』ブランド設計」は、事業者側が創ったブランドを受け入れてもらうのではなく、ブランドにユーザー側が参加できる余地を残すことを指している。これにより、ユーザーの声がブランド設計にしっかりと生かされる。
二つ目の「顧客の声を常に聞き、事業に反映する『仕組み化』」は、オンライン上でユーザーの声を集めることを仕組み化し、いかに事業に反映させるかを指す。ユーザーレビューやインタビューを事業改善に役立てるサイクルの「見える化」などがこれに当たる。
三つ目の「積極的にファンを『エヴァンジェリスト』に育てていく」のエヴァンジェリストとは、ブランドを好きになって周りに広めてくれる「伝道師」のこと。企業側は、ブランドを好きになってくれた人を発信源にし、彼らが周りに広めたくなるための「武器」を用意することが必要になる。
これらが従来のマーケティング施策と大きく異なるのは、ユーザーに対してワクワクするような「コト体験」を提供している点だと桑嶋氏はいう。
「生活者の情報リテラシー向上にともなって、PRにおける単なるインフルエンサー起用は、徐々に波及効果が弱くなっています。本物のブランドファンであるエヴァンジェリストを育てることは、時間がかかりますが、『急がば回れ』できちんと効果が出ます。ブランドがきちんと生活者のものになることで、彼らが自発的にブランドを育ててくれるのです」(桑嶋氏)
ECでパーパス、ミッションの実現するための「三つの問い」
それでは、実際のECビジネスにおいて「生活者共創型」マーケティングはどんな成果を挙げているのだろうか。具体事例を紹介するのが、奈良県にある日本酒蔵「梅乃宿酒造」のマーケティング部長、古澤幸彦氏だ。同氏は「梅乃宿酒造のチャレンジ」と題し、同社と HAKUHODO EC+がこの半年にわたって行ってきた施策を紹介した。
「当社の商品ラインアップの主力は、日本酒を使った果実リキュール“あらごし”シリーズです。これまでのメイン事業はB2Bでしたが、昨年7月からはECを始めとするB2Cへと本格的に取り組んでいます」(古澤氏)
ECサイトを大幅にリニューアルさせ、同じタイミングで移転した新しい蔵は、ワークショップにも参加できる「体験型の蔵」に生まれ変わったという。
これまで、梅乃宿酒造がB2Cビジネスを展開する上で重視してきたことは、以下の三つだ。
1.なぜECビジネスを行うのか?
2.ECにおける生活者との関係性をどうするか?
3.具体的な仕掛けをどうするか?
一つ目のECビジネスを行う理由は、コロナ禍により飲食店の売上が落ちたことも関係がある。だが、ECを今後の新しい事業の柱にするには、それだけでは十分とはいえない。そこで立ち返ることにしたのが、企業パーパスである「新しい酒文化を創造する」と、ミッションである「驚きと感動で世界中をワクワクさせる」だったと古澤氏はいう。
「従来どおりのB2Bビジネスだけでは、パーパスとミッションを十分に達成できないことがわかっていました。そこで『梅乃宿はECでパーパス、ミッションの実現を目指す』という軸をクリアにしたことで事業展開に推進力が生まれました。」(古澤氏)
二つ目の「ECにおける生活者との関係性」については、生活者にワクワクしてもらい、ともにブランドを創る「エヴァンジェリスト」になってもらうことを目指した。そのためにはECでしかできない体験を考える必要があったという。そこで、目指す方向性を示したキーワード「#ワクワクの蔵」をクリエイティブ展開している。
三つ目の「具体的な仕掛け」については、上述の二つを兼ね備えた商品開発が行われ、EC限定商品「PARLORあらごし 大人の果肉の沼『いちご』」として結実した。この商品の特徴を、古澤氏は次のように説明する。
「『大人の果肉の沼』は、ローストビーフにかけたり、かき氷にかけたりと”楽しみ方、超自由”をコンセプトにしたイチゴのリキュールです。ポイントは、生活者と商品を育てる商品設計をしていること。ネーミング、ボトルデザイン、コンセプト、テクスチャ。これらすべての掛け算により、お客さんが誰かに話したくなり、SNSで拡散したくなる。そんな行動が起きるように設計したのです」(古澤氏)
商品設計から「生活に溶け込む」ことで拡散につながる
商品開発の後にプロモーションを考えるのが従来だとしたら、「大人の果肉の沼」は商品設計から顧客の生活に溶け込むことを考えたという古澤氏。結果として「とんでもない名前のイチゴのリキュール見つけた!」とバズが発生。オーガニックで5万いいねを獲得したという。
「商品の発売後、数分で完売する状況が今も続いています。これは非常に鮮度が高い商品で製造や在庫数が限られることとも関係するのですが、お客様にはそのことさえもポジティブに拡散していただいています」(古澤氏)
顧客がワクワクする企画を単発で終わらせず、二の矢、三の矢をつがえては放つ、梅乃宿酒造。「沼」の次に展開するのは、“噛むリキュール”をコンセプトにした新商品「超あらごし ほぼみかん」だ。また、かねて「梅乃宿ファン」だという声優にアンバサダーに就任してもらうなど、あらゆる側面で顧客をワクワクさせるキャンペーンを心がけている。
「商品の飲み方をアレンジして発信したところ、SNSで拡散してもらえるようになりました。今では、お客様同士が盛り上がり、次のお客様を連れてきてくれる構造になっています」(古澤氏)
結果として、わずか半年で売上額が10倍を超えるまでになったのだという。
梅乃宿酒造のチャレンジに見る「5つの優れたポイント」
セッションの最後には、桑嶋氏が自身も関わった梅乃宿酒造のチャレンジから優れたポイントとして五つを挙げた。
1.元々のパーパス・ミッションからECビジネスのコンセプトを考えたこと
ECビジネスを新たに始める際、今までのビジネスと切り離してしまう会社があると桑嶋氏は指摘する。とはいえ、ユーザーから見れば同じ会社であることに違いはない。だからこそ、そうした『接合点』がとても重要になってくるのだという。
今回の件でいえば、新たに設定された「#ワクワクの蔵」というコアビジョンが、元々のパーパスやミッションとしっかり連携していたことはとても大きい。そこがユーザーに受け入れられたポイントだと思うと述べた。
2.D2Cチャネルだからこそできる、生活者との関わりを考えたこと
「D2Cを『やりたいからやる』『販売量を増やしたいからチャネルを作る』といった理由では、今の時代の生活者からは受け入れてもらえない」と桑嶋氏。梅乃宿の場合は、商品開発も含めて「なぜ自分たちがD2Cチャネルを始めるのか?」「ここでやることの意味は何か?」といったことを常に考えてきたことが成功の要因だったと指摘する。
「たとえば『大人の果肉の沼』は、鮮度が凄く重要なため、通常の販売手法では届けることができません。でも、D2Cチャネルなら商品を新鮮なまま直送できる。これが立派な価値になっていると思います」(桑嶋氏)
3.安易なPR手法ではなく、エヴァンジェリストの育成を重要視したこと
桑嶋氏は、梅乃宿酒造がファンである声優をアンバサダーに起用した話に触れ、元々梅乃宿酒造が好き、ないしは好きになってくれた人をアンバサダーにするという点が重要だったという。ユーザーに「この商品は本当に良いんだな」「愛されているブランドなんだな」ということが伝わり、広がりの輪が生まれたのだと思うと述べた。
4.従来の「モノ発想」から脱却し、SNSで拡散したくなる商品設計を“0→1”で行ったこと
ものづくりで大きくなった会社であればあるほど、先に「良いモノ」を作ることに力を入れ、その後にプロモーションについて考えがちだという。
「梅乃宿の場合はまず『どうやったら生活者自身がワクワクできるのか?』を考え、次にそのワクワクを『どうすればSNSなどで拡散したくなるか?』と考えながらプロダクト開発につなげていきました。その結果、ユーザー自身が楽しみながら拡散してくれる商品になったのだと思います。私も開発に携わらせてもらった者として、生活者に愛されることになったことをとても喜んでいます」(桑嶋氏)
5.生活者がワクワクする施策を矢継ぎ早に実施していくこと
チャレンジが一過性のもので終わってしまうと、生活者からは「一瞬のプロモーションだった」と思われてしまうことを桑嶋氏は指摘。その意味においても、梅乃宿が手掛けるキャンペーンや新商品は、いずれも「ワクワク」を提供し続ける“蔵”であると想起させることを高く評価した。また、そうした「つながっていく姿勢」を生活者に届けていることにチャレンジとしての価値があると強調した。
コロナ禍を経て、今後も競争のさらなる激化が予想されるECビジネス。本セッションからは、共創型マーケティングの有用性とともに、それを持続する重要性が示された。HAKUHODO EC+と梅乃宿酒造のチャレンジは今後も続いていく。