Advertising Weekを日本に招致。変えたかった広告業界の構造とは?
廣澤:笠松さんは、2016年にAdvertising Week Asia(以下、AWA)を招致し、今年が8年目となりますが、このイベントを日本に招致しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
笠松:2014年から2015年にかけてアメリカで開催されたAdvertising Weekに電通のグローバルビジネス担当であった頼さんと一緒に視察に行ったのが始まりです。向こうの主催社と話す機会があり「ニューヨークとロンドンで開催してきたけど、アジアでもやりたい」と言われました。私たちは「アジアの中で日本は広告のカルチャーや成熟度があり、発信の場としては中心になれる」と伝え、その後、招致に至りました。

笠松:元々Advertising Weekは、2004年にアメリカの広告業界の人気が下降していたことをきっかけにニューヨークで初開催されたものです。招致を決めたときの日本の広告業界も、理由は違いますが同じような状況にあると思っていました。
そして、言語の問題があってアジアや欧米からあまり知られていない日本の広告業界の実力を示し、人材の流動性を高め、アジア全般にアピールする場が必要だと考えたんです。
また、日本特有の文化として、メディア村やクリエイティブ村など、職種や領域で村社会が形成されていました。また、広告会社同士の対立も目立ち、本来はクライアントのために働く広告会社の役割とは異なる状況になっているのでは、と感じたんです。そのような思いもあり、AWAではいろんな壁を取っ払って議論できる場作りを心掛けています。
イベントのキーワードは熱狂
廣澤:イベントを招致するにあたり、パーパスやミッション・ビジョンなどはどのように定められたのでしょうか。
笠松:友人やカウンシルメンバーと30名ほどで集まって、今取材を受けている会議室で3、4回、時間にして数十時間は話し合い、AWAのビジョンを考えました。
そこで出てきたキーワードが熱狂でした。人々が熱狂するところに価値を生み出し、その熱狂を広げていこうと。そして、この言葉をもとに博報堂ケトルの木村さんがアイデアをくださり、「熱狂を創りだす~The Creativity excites the industry」というビジョンになりました。
廣澤:多くの業界人が集まるAWAですが、イベント運営にあたって意識されていることはありますか。

笠松:このイベントでは、協賛企業によるピッチプレゼンは行わないようにリードしています。その会社のサービス説明が聞きたければ、Webサイトやクローズドのセミナーに参加すれば良いですし、参加者もサービスの説明が受けたくてAWAに参加するわけではない。結果として、誰も得をしないんです。参加者が聞きたい、知りたいのは、リアルなストーリーです。
ですので、スポンサーの話したいテーマに合わせ、出来るだけ競合他社やユーザー企業を巻き込んでもらうようにお願いしています。そうすることで、各領域で今何が起きているのか、課題は何かといったリアルなストーリーを聞ける場を生み出していけると考えているからです。
協賛のセールスに行っても「セミナーはできますが、一方的な宣伝は集客に好影響がないのでお勧めしません」と伝えてきました。それを8年続けてきた結果、常連で協賛してくださる企業様にはその意図をご理解いただけているし、実際に集客につながっていると思います。
