星野リゾートの次なる転換点は、米国進出
田中:今の世の中を見ていて、星野代表が気になっていること、考えていることは何でしょうか。こんなことが起こりそうなど、何かあればぜひお聞かせ下さい。
星野:やはり、日本の人口減少ですね。この国を何とかしようと頑張ってる政治家やベンチャー起業家の方々がたくさんいらっしゃいますが、正直なところ、私は自国のために尽くして心中しようとは思っていないのです。私の使命は、星野リゾートを次の世代に継ぐこと、さらにはサステナブルなビジネスを作っていくこと。その際、「世界は成長しているけれども、日本は衰退していく」という状況は、非常に大きな経営判断の軸になります。
今、星野リゾートは国内で強いポジションにいて、収益をあげることができています。海外に出て、新しいフロンティアを開発するなら、今です。この国の力が弱まっていくと、それに従って国内の事業体も力が弱くなっていきますから。力が弱まってしまってからでは、海外へ進出することもできません。星野リゾートの次の大きな転換点は、米国のメインランド進出です。
田中:そうなるとますます国際的なホテルチェーンとガチ勝負になりますね。
星野:そうですね。ここでは、マーケティングの理論に忠実に行かねばと思っています。というのも、私がアメリカにいた1980年代、日本のホテル業界は米国進出にとても熱心でしたが、ほとんどが失敗に終わりました。失敗の原因は、何となくバブルの崩壊で片付けられていますが、私はマーケティング上の失敗だったと思っています。

米国は、多民族国家です。ギリシャから来た人にはギリシャ料理を出してほしいし、日本人には寿司を握ってほしい、フランスから来たシェフにはフレンチ料理を出してほしい。これが米国で商売をする時に、お客様の心にすっと入る最低条件なんですね。つまり、私たちが海外へ出ていく時は、日本らしい「温泉旅館」から入る必要があると考えています。
日本で109年の歴史を持つホテルチェーンが、米国で西洋式のホテルをやってしまうと、また30年前と同じ失敗を繰り返すことになるでしょう。反対に、外資系のホテルチェーンが米国で温泉旅館をやっても、積極的に行きたいとは思わないはずです。そのくらい、米国はある意味単純で、ある意味素直な国です。温泉旅館という日本が持っている資産をベースに、米国で事業基盤を築けたら、その先には他のオプションが広がるかもしれません。
田中:米国進出に向けて、既に動かれているのでしょうか?
星野:コロナ禍の間に準備を進めていまして、既に開発チームが現地にいます。やはり、最初の施設は春夏秋冬といった季節感があるところに出したいですよね。米国で最初の温泉旅館は、雪見露天風呂が必要だと思っていますから。
日本は、自動車産業しかり、様々な産業が世界へ進出していますが、ホテル業界はまだ世界へ行けていません。80年代にあれだけトライしていましたから、世界進出はこの国のホテル業界の悲願でもあります。以前の失敗から時間がかかってしまいましたが、その挑戦権をやっと得た感じがしています。

田中教授:あとがき
今回、改めて星野代表にインタビューしてみて、最も大きかった発見は、星野氏が「慎重」であると同時に「アグレッシブ」であり「革新的」であるということだった。ビジネスにおいて慎重な姿勢はともすればリスクを避け、保守的、かつ一番安全な道を歩くことと捉えられがちである。
しかし、そうした見方は正しくない。星野氏は、自分が家業を継いだ4代目であるために、慎重にならざるを得ないのだと言う。
こうした「慎重」な姿勢は、実は外資系の日本進出という潜在的な危機感からも生まれてきたものであり、星野氏は外資に対抗するために日本の温泉旅館の再生に取り組んできた。それは伝統的な旅館の在り方を大きく塗り替えるものであった。
さらに、星野氏はインターネットという大きな時代の波に対して、大きな予算を投じて自社でエンジニアを多く採用することで、この大きな波を乗り切ろうとしている。また、インターネットへの予算投入に見合うよう、多様な顧客が収容できるキャパシティを備えることも推進してきた。「OMO」や「BEB」を新しいホテルカテゴリとして次世代に向けに出発させた理由は、そこに潜在ニーズがあったことも確かだが、一方においてインターネット投資に見合ったキャパシティを備えるべき、という経営判断による。
つまり、星野氏は経営の意思決定をする際に、自社の存続のための極めて慎重な姿勢を維持しながらも、刺激的なコンセプトやサービスを大胆に打ち出している。こうした慎重さと革新性とが同居した意思決定のスタイルが星野リゾートの大きな特徴と言える。こうしたスタイルに我々は多くを学ぶべきではないだろうか。