観察するとユーザーの日常が見えてくる
――今回はアプリダウンロード数470万(2024年11月現在)を誇るYAMAPのビッグデータを用いたCRMについてうかがいます。まずは小野寺さんのこれまでのご経験が、ヤマップさんで生かされている点をお聞かせください。
小野寺:私は新卒でベネッセコーポレーショングループに入社し、編集者として進研ゼミの東大・京大向け理系数学教材を担当した後、営業部門を経験し、商品開発から販売まで知見を得ました。その後、広告会社や企業のEC立ち上げ支援を経て、ネスレ日本、協和などのメーカー2社を経験して現在に至ります。すべてが今につながっていますが、特に生きているのは、人を観察する大切さです。
たとえば10年くらい前の話ですが、当時、化粧品や栄養補助食品の新聞折込チラシは、1日あたりの折込チラシ枚数が少ない月曜~水曜日に入れるとレスポンスが良い(注文が多い)というのがセオリーでした。しかしネスレ日本でコーヒーマシンの折込チラシを実施した際に初めて、土曜日や日曜日に配布したほうがレスポンスが良いという経験をしました。そもそも、どんな人が購入しているのかというリアルな情報を知るために、大手家電量販店に1日張り付いてコーヒーマシンの売り場を観察したところ、多くの購入者はご夫婦もしくは母娘で来られていて、1人で購入しに来た人は皆無でした。つまり、化粧品や栄養補助食品のような個人の課題解決商材とは異なり、家族みんなで楽しむ商材の場合は購入する前に家族で相談・検討する。だから、その検討する時間を取りやすい週末にチラシを入れたほうがレスポンスがいいのだと理解できました。
また、同じくネスレ日本時代にコーヒーマシンのキャッチコピーを変えたことで売上の大幅な変動を経験しました。当時、チラシを見てお電話をされた方に対し、コールセンターでヒアリングしてもらったところ、チラシ内に書かれていた「すぐに作れて、後片付けも簡単」という説明のコピーに注目が集まっていたことがわかりました。そこでキャッチコピーを「わずか1分で飲める」と変更して訴求してみたのですが、なんとレスポンスが従来比72%にダウンしてしまう結果に……。一方で、「後片付けは5秒でOK」と変更すると従来比140%にアップ。ここから購入の最終決定に響くのは作る手軽さではなく、片付けの簡単さだと見えてきました。
このように、人間の行動を観察してユーザーの日常に思いを巡らせ、そこから推測して施策を考えることが大事なのだと学び、今も続けています。
マーケティングは目を凝らし、耳を澄まして
――小野寺さんのマーケティングの軸には人間観察があるんですね。
小野寺:そうですね。よりよいサービスを届けるためには、やはり人の声を聞き、考え続けることです。たとえば、ヤマップの入社後に、当時販売していた少額短期保険で大きく変えたことが3つあります。
1つは、お試し加入の撤廃。期間中に有事が発生する可能性は極めて低く、試したところでサービスの「体験」はほぼ不可能です。これが化粧品なら肌に合うかを試す意義、青汁なら味を試す意義などありますが、保険の場合はお試しをする理由が不明確だと感じました。そこでこれをやめて、本当に加入したくなる方法を考える方向にシフトしました。
2つ目は、ケガ保障の追加。「遭難にはケガが付きものなのに保障がついていない」という、山仲間からの声に応えたものです。お客様から非常に好評だったのと同時に、単価も上がりました。
3つ目は、1年プランの実施。これは年に20回以上は登山をするお客様からのご要望でした。当時は1ヶ月プランのみ販売しており、都度入ったりやめたりという方も一定数いらっしゃいました。お客様にとっては、正直面倒くさかったのです。お客様の本音としても「まとめて1年間加入するから少し安くなるといいな、手続きも簡単だといいな、加入忘れもしたくないな」というのがあったと思います。結果的に1年プランは登山回数の多いユーザーに支持され、売上の根幹となっていきました。
ーーユーザーの声を大事にすることで、ちょうどいいサービスが提供できるのですね。
共創で人を巻き込み、楽しい気持ちをCRMに
ーーYAMAPアプリではどのようなことに取り組んでいますか?
小野寺:前提としてYAMAPの複数あるマネタイズポイントはほとんど、登山回数と密接に関わっています。稼働者数増加のためにも、気持ちよく山へ行ける理由作りを常に考えています。
そのひとつが「リアルタイム紅葉モニター」です。YAMAPは登山の記録や写真を投稿でき、山専門SNSの側面があります。ユーザーの投稿データから全国の紅葉情報を抽出したのが、このサービスです。ヤマップ1社の力で日本全国の紅葉情報を網羅的に把握するのは非常に難しいですが、YAMAPに集まるユーザーからの活動データがそれを可能にしました。
せっかく紅葉を目当てに山へ行ったのに旬の時期が終わっていたら残念ですよね。そんな登山者のガッカリを防げます。また、この旬の情報はテレビニュースや天気予報などでも取り上げられ、結果的にメディア露出につながるというメリットもあります。
共創をもう少し能動的に進めたものが2023年の5~6月に実施した、「全国一斉清掃登山キャンペーン」です。期間中にゴミを拾った様子の活動日記を投稿・公開することで、YAMAPアプリ内で「清掃登山バッジ」を獲得できるというものです。
登山中にゴミを目して拾うこともありますが、登山者1人で拾ってもさほど影響がないという諦めを感じることもあります。そこで、大人数でやれば参加者のモチベーションも上がり、世の中が良いほうに変わるかもしれないと考えました。普段のYAMAPは、山頂からの素敵な景色、登山道の情報、お昼ごはん、途中で出会った動物など、登山の思い出日記としてユーザーのみなさんが素敵な写真を投稿してくれます。一方、この清掃登山キャンペーンの時はそのような素敵な写真に加え、通常はほとんど投稿されることのない登山中に見つけたゴミの写真も多く投稿されました。誰だって、普段は自分の日記にゴミの写真を投稿したいとは思わないはず。あえて投稿してもらうことで、さらにそれを見た人が清掃登山に気づいて連鎖的に参加するという、「人が人を呼ぶ仕組み」を作りました。
最終的に参加者は15,000人を超え、拾ったゴミは約4.7トンも。この活動に共感した他の自然を愛する多くの企業も各社のSNSでYAMAPのキャンペーンを一緒に盛り上げてくれました。このように、みんなが幸せになることを基準として、人を巻き込んで楽しんでいるうちにCRMになっていくという発想があってもいいのではないかと考えています。
――確かにCRMというと「顧客がどうあるべき」と考えがちです。しかし、清掃登山なら、ユーザーが自ら行動してくれ、さらにキャンペーン後には皆の意識が少しずつ変わっている。その状態が今後も大きな力になりますね。